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「そういう事になったから、ヨロシク」
時刻は太陽も大分昇って来た昼前。ようやく店に下りてきたゴードン氏は、リームのさりげなくともとんでもない発言に思わずガックリと大口を開けた。二日酔いで霞んでいる頭も一瞬で覚醒してしまう。
「おい、なんだそれ? 俺は聞いてないぞ」
「いやだから、決定事項だし」
降りてきたゴードン氏にリームは、『私達はアニスに雇われたんで、これからブレイザー一家を潰すから』と、まるで石鹸が切れたから新しく買ったことを報告するぐらい軽い口調で言い放った。突然の事にゴードン氏は大きな動揺の色を浮かべたが、それよりもまず、僕達が一体何者なのかすらまだ把握しきれていないといった様子だ。昨日は一度リームとケンカになりかけ、その後はなんだか成り行き任せに潰れるまで飲んだ。そのせいで、ろくに自己紹介を初めとする諸々の挨拶が未然のままだ。ゴードン氏が僕達が何者なのかを知らなくて当然だ。
リームは僕が部屋まで背負って連れて行ったが、その時にゴードン氏はここで毛布を被って眠っていた。今、奥からやってきた所を見ると、どうやら一度夜中にでも目を覚まして眠り直していたようだ。
「なんだ、決定事項ってのは。訳分かんねえぞ。その前にまず、お前らは一体なんなんだ?」
「何って、バウンサーだけど」
「はあ? お前らが?」
露骨に疑わしげな目で僕達を見定める。無理もないだろう。リームはどこにでもいそうな小柄な女性だし、僕も見た目にそういう迫は持ち合わせていない。バウンサーといえば、様々な危険からクライアントを守る戦闘のプロフェッショナルだ。とても僕達二人がそのようには見えないだろう。一応、同業者はそれだとすぐに気づく。やはりこういった荒事の世界で生きている人間というものは、意識していなくても人とは違った空気を放っているのだろう。僕達もまた、アカデミーで習った訳でもないのだが自然と同業者は直感で分かる。
「グレイス、見せてやんなさい」
「……はいはい」
そのリームの指示通りに、僕は一歩前に歩み出た。
静かに独特の呼吸法で僕は空気を吸い込む。酸素を肺に取り込むのと同時に、大気中に混在するエネルギー因子である魔素も取り込む。その取り込んだ魔素に僕はイメージを与え、今取り込んだ分全てを魔力に変質、そして右手に集めた。
魔術師は、この魔素という特殊な因子を体内に取り込む事で魔術を行使する。魔素は体内で魔力に変換され、そこに更にイメージを与えて何かの形に変質される。それは魔術師によって、炎だったり水だったり、また僕のように風だったりする。必ずしも森羅万象に存在するものでなくてはいけない、という訳ではないが、実在しないものを具現化するにはかなりのイメージ力が必要になる。魔術の行使で重要な点の一つとしてそのイメージ力が上げられるのだが、イメージ力が貧困であると魔術の威力も格段に落ちる。下手をすれば、魔術としてすら成立しない場合だってあるのだ。だから魔術師は、自分達と馴染みの深いものの姿を借りたイメージを与えて魔術を行使するのである。
「行きます」
右手をゴードン氏の前に差し出すと、そっと手のひらを上に向けて広げた。突然差し出された僕の手を、ゴードン氏は何事が始まるのかとしげしげ見つめる。その傍らでアニスもまた、背伸びをしながら僕の差し出した右手の行く末にじっと視線を注ぐ。
僕はもう一度イメージを研ぎ澄ますと、それが固まった事を確認して、手のひらに集まった魔力に青い竜巻のイメージを与えてそのまま一気に開放した。
手のひらから突然飛び出した竜巻は徐々に広がりながら突発的に天井に向かって伸びる。竜巻は周囲をさっと一陣の突風が如く撫でながら、そのままあっさりと中空に消えていった。
「うおっ!?」
手のひらから一気に噴出した小さな竜巻に、ゴードン氏は思わず一歩後ずさった。アニスもまた、同じように青い竜巻の登場に目を丸くして驚いている。
僕は風の魔術を得意としている。何故、と訊ねられても明確な答えはないのだけど、アカデミー時代に行った適正検査において、僕は風の魔術の適性値が最も高いという結果が出されたので、それからずっと風の魔術だけを訓練しているからだ。他の魔術も出来なくもないが、おそらく魔術とは呼べないほどお粗末なものになってしまうのはほぼ間違いない。
僕が戦闘に使う魔術全般は全て風に関するイメージを与えたものである。今、僕が出して見せた青い竜巻は自然界には絶対に存在しないものだ。風とは空気の寒暖の断層に起きる自然現象だ。だが魔術とは魔力を自分のイメージしたものに形成して放つという特性を持つため、自分のイメージしたものをそのまま再現する事が可能なのである。このように、本来なら不可視であるはずの風に見えやすいように色をつける事も可能だ。だから厳密に言えば、僕が作り出した竜巻は本物の竜巻ではないのである。
「御覧の通り、僕はこれでも魔術師なんです。で、リームは格闘師。どちらもちゃんとアカデミーを卒業しています」
グレイスの魔術にゴードン氏は未だに驚いた表情を浮かべている。どうやら魔術を見たのは初めてのようだ。
アカデミーを卒業している、というのは、こういった職業をする上での基本的なステータスだ。卒業したアカデミーのランクにより、その人間の大まかな実力が第三者によって評価される。もちろんレベルの高いアカデミーを卒業していれば、それに準じて評価も高くなる。アカデミーを卒業したという事実が、その人間がハンターやバウンサーとして使える実力があるという証明になる。四年も戦闘の専門教育を受けていれば、それなりのレベルである事は確かだ、と一般的には認識される。もちろんノンキャリアでやっている人も中にはいるが、それらはあくまで例外中の例外だ。基本的にこういった職に就く人間は、必ずアカデミー等の機関で専門教育を受ける。実力をつけるためと、周囲からの評価を得やすくするためだ。
「あんたが魔術師だってのは分かったが……そっちのは格闘師だって? 本当かよ」
ゴードン氏がリームに向ける視線は依然として訝しげなもののままだった。格闘師といったら、極限まで鍛え抜いた自らの肉体を武器とする戦闘のスペシャリストだ。リームがアカデミーを卒業した格闘師であるのは事実だが、外見はどこから見ても極普通の女性だ。体よりも精神を集中的に鍛える魔術師ならばともかく、とても素手で戦うような人間には見えない、と思わず疑ってしまうのも無理はない。けど、リームの実力は外見からは非常に判断しにくいが優れたものだ。この小さな体には、何故か猛獣をも打ち倒す力が秘められている。大概の人間はたとえ武器を持っていようがまるで相手にならないほどの実力をリームは持ち合わせているのだ。ただ、それに見合うような厳つい外見をしていないだけである。
「もう、お父さん! 昨日、リームさんがブレイザーの人達を追い返したの憶えてないの? お父さん、強いんだなって喜んでたじゃない」
「はあ? そうだったかな……」
アニスにそう指摘され、ゴードン氏は自信なさげに頭を掻く。やはりリーム同様、極度の飲酒過多のため昨日一日の記憶のほとんどが飛んで消えてしまっているようだ。
「とにかくだ。この件に関しては、あんたらを雇ってどうこうするつもりは一切ねえ。アニスが勝手に言った事だ。俺はあんたらを雇う気は一切ないからな。これはブレイザー一家と俺との問題だ。他人が余計な首を突っ込むんじゃねえ」
「別に。私らはあんたじゃなくてアニスに雇われたんだもん。あんたにその気がなくても、別に関係ないわ」
「アニスって―――」
と、ゴードン氏の鋭い視線が傍らのアニスを捉える。途端にアニスはビクッと体を震わせると、素早くリームの後ろに逃げ込んだ。
「ったく……。勝手にしろ! 俺は知らんからな!」
チッ、と舌打ちをすると、ゴードン氏は不機嫌そうに床を踏み鳴らしながら厨房の方へ消えていった。
「やれやれ。大人気ないオッサンねえ」
リームは溜息をつきながら肩をすくめる。
「でも、怒るのも仕方がないよ。これじゃあまるで、僕達が後から無理やり首を突っ込んだみたいだもの」
「いいのいいの。どうせ後で泣きつくって」
「いや、それはないと思う……」
正直な所、ゴードン氏があれほど怒るという事は大方予想していた。おそらく、今まで再三に渡るブレイザー一家からの攻撃にも屈しなかったのは、ゴードン氏が極度の負けず嫌いで頑固な性格だったからに他ならない。何が何でもブレイザー一家に屈する事だけは嫌だったのだろう。だからこそ、多少無理をしてでも頑固に自らの意思を押し通し、店を守り続けて来たのだ。にも関わらず、急にふらっと現れた僕達が、望んでもいない助太刀を勝手に申し出てしまった。それはゴードン氏にとっては、傍から自分がブレイザー一家に負けていると思われている、といった風に解釈したことだろう。つまり初めからゴードン氏は、幾らバウンサーだったとしても、他人のお情けや同情は微塵も欲していなかったのだ。僕達にしてみれば単なる好意なのだけど、ゴードン氏にとっては迷惑な押し付け親切になるのである。
「あの……私」
ゴードン氏が機嫌を損ねてしまった事を気に病んでいるらしく、アニスが心細そうな小さな声で何かを言いかける。
と。
「ん? 大丈夫だって。私らがちゃんと何とかしてあげるから。ね?」
ポンポンとアニスの頭を叩きながら、そう僕に微笑む。同意して、と僕に言っているのだ。
「うん、大丈夫。任せて」
僕もリームに合わせて、そう優しげな口調で語りながらアニスに微笑みかけた。
何が任せてなんだか。
次の瞬間、理性がそう僕に向かって冷静に言い放った。確かに、幾らこの店とブレイザー一家との問題を何とかすると言っても、具体的にどうすればいいのかはまるで見当がつかない。アニスを不安にさせないためとは言え、その場しのぎの嘘をつくのは非常に心苦しい思いだ。そして、その嘘をついた事で僕は、ますますブレイザー一家との問題の解決策を具体化する必要性が高まってしまう事になった。言い方を変えれば、追い詰められた、という表現になるだろう。
正直、先行きが不安だった。どうやってブレイザー一家と、それも物理的介入以外で戦えばいいのだろうか? こちらは相手の事については、利権を独占しようとしている事以外に組織の実体や規模も何も知らない。それに僕らは法律について詳しい訳でもないし、弁論するにしても口下手な僕には自信がない。こちらは物理攻撃しかカードがないのだ。たとえそれを出したとしても、法的には単なる破壊行為にしかならない。ブレイザー一家を解体出来たとしても、僕らは立派な犯罪者として投獄決定だ。
一体どうしたものかなあ……。
とりあえず、少々どころではなく今後の予定は狂ってしまうが、村が金鉱の労働者で溢れてブレイザー一家が目立った動きが出来なくなるまで、向こうの強引なアプローチから店を守る事にしよう。向こうが法的にここの経営権を奪うような手段に出てきたらまずいが、おそらくそれはしてこないはずだ。それが出来るならば、初めからそうしているはずなのだ。きっとこれからも、昨日のような手段を中心に攻めて来るだろう。その攻撃から守り続けるぐらいならなんとかなるはずだ。物理攻撃を続けてくる分には、十分にこちらも遠慮なく対抗出来る。
「んじゃ、そうと決まれば。景気付けに一杯飲もうか」
「駄目だって。昼間から何言ってるんだよ」
こんな軽い調子で大丈夫なのだろうか?
僕はあまりに軽過ぎるリームの態度に不安を隠せなかった。事態がどれだけ深刻なのかを正確に捉えているのは、どうも僕だけのようだ。
リームは好きなように動き、僕は専らフォロー役に徹する。バウンサーとしてのコンビを結成する前からなんら変わる事のない僕達の関係。
もっとも、こういった構図は今に始まった事ではないからとっくに慣れているのだけど。