BACK

 翌日。
 ほぼ夜明けと共に僕達はリームが地図で見つけた村に向けて出発した。当然の事ながら、僕が立てていたこれまでの予定は大幅な変更を余儀なくされる。定期船の日程などを考慮しなくてはいけないから、また新しく建てなくてはいけない予定に頭が痛い。
 リームの普段の素行は随分と破天荒なのだが、何故か生活のリズムはやけに規則正しい。朝はいつも決まった時間に起きるし、夜は滅多に夜更かしをする事はない。むしろ僕の方が起きるのは後だ。おそらく昔から規則正しい生活をする事が習慣になっているのだろう。けど、暴飲暴食だけはどうにも治る様子がない。これもまた昔からの習慣、というよりも陋習なのだろうけど。
「ほら、遅いぞ。もっと速く歩きなさいよ」
 今登っている坂のてっぺんからリームが叫んで僕を急かしてくる。僕はこれでも精一杯歩いているのだが、リームの歩調はもはや走っているのに等しい勢いなのでまるで追いつけない。僕も走って追いかければいいのだけど、そうしたら今度はリームは本当に走り出してしまう。リームに走られてしまったら、それこそ僕には追いつくことは出来ない。ただでさえ気がはやっているのだから、きっと一度走り出したらしばらくは止まらないだろう。でもリームはかなり方向オンチだから、十中八九目的の村には辿り着けない。どこか山奥に迷い込む事は必至だ。そんな事態を起こさないためにも、とにかくリームの速度を僕が調整しながら進まなくてはいけない。
「ま、待ってよ……」
 僕は激しく息を切らせながらも、なんとか疲れた体に鞭を打って前へ前へと進んでいく。体は疲労のあまりまるで鉛のように重いのだけど、リームはまるで体重がないかのようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。疲れるということを知らないのか、あきれるほどのタフネスぶりだ。
 満月の前後は体が特に活性化し、それに伴って基礎体力も普段よりは多少強くなる。けどそれは夜間に限った話で、日中はどうにも普段と同じ力しか出す事が出来ない。僕は決して人より体力が劣っている訳ではない。ただリームの体力が極端にずば抜けているだけなのだ。さすが、アカデミー時代に50km走で四年連続新記録を樹立しただけの事はある。ただ、その体力が私生活ではあまり誉められた事には使われないのだけど。
 そんな、限りなく走っているに近いペースで歩き続けること三時間。リームにとってはかなりのローペース、僕にしてみれば過剰なほどのハイペースでおよそ三十キロの道程を踏破し、目的の村についた。その頃既に僕はクタクタに疲れ果て、もう一歩も歩きたくなかった。にも関わらず、リームは村に着くなり早速酒場を探し始めるものだから、また迷子にならないようにとなけなしの力を振り絞ってその後を追う。
「ちょっと、グレイス。地図出して。酒場がどこにあるのか探すから」
「いや、地図にはそこまで載ってないと思うけど……」
「ったく、いざって時に使えない地図よね」
 もうお酒を飲むことしか頭にないらしく、なかなか思うように事が進まぬことにリームはやけに苛立っていた。けれど僕はとっくに疲れ果てているため、そんなリームを言葉でなだめるだけで精一杯だ。
 リームは再び自分の勘を頼りに酒場を探して歩き始めた。僕もその後をゆっくりとついていく。
 ……うーん、なんか変だよなあ。
 僕は周囲をゆっくり見回しながらも、どこか拭えない違和感に首をかしげた。その村は、本当にどこにでも見られる極普通の村だった。けれど、どうしてもこれまでとはどこか違うような気がしてならない。しばらく黙ってリームの後をついていきながら、自分の本能が理性よりも敏感に感じ取った違和感の正体について考える。だが圧し掛かる疲労感が、僕の思考をしきりに邪魔をしてくる。何か掴めそうなのだが、すぐに疲労というフィルターがかかって邪魔をしてくる。
「ねえ、リーム。なんかおかしくない?」
 そう僕は前方を闊歩するリームに向かって訊ねる。
 けれど。リームは一心不乱に険しい目つきで辺りを見回しながら、しきりに酒場を探している。僕の声は全く届いていないようだ。本来、こういう事には僕よりもリームの方が遥かに鋭いのだが。あの様子では、お酒の事があらゆる優先順位の頂点に位置してしまっているようだ。リームの悪い癖その1だ。
 この様子では、リームはあてになりそうもない。ここは何とか自分で突き止めなければ。
 執拗に探し続けるリームの後を追いながら、僕はなおもこの違和感について考えてみる。もう一度、今度はこちらから違和感に向けて自分の注意を向ける。
 どうも、その違和感を放っておいてはいけないような気がした。原因を突き止めなければ、この先必ず良からぬ事が起こる。僕のヴァンパイアの血がそう警鐘を鳴らすのだ。月齢十四日目に突入した僕の体は日中こそ人間並みの体力しか出せないが、直感的な感覚は普通の人間よりも僅かながら鋭敏に研ぎ澄まされる。ヴァンパイアの血には随分と苦しめられているため、僕はこれまで幾度となく忌み嫌ってきたのだが、こういう部分だけは少しだけ感謝している。鋭い感覚は日常の様々な危険を事前に察知し、そのおかげで回避する方法を用意しておく事ができるのだ。天性のトラブルメーカーであるリームを抱える僕にとっては実にありがたい。
 いち早く違和感の原因を突き止めておきたいのだが。やはり疲労が邪魔をしてうまく思考が働かない。せめてどこか落ち着ける場所でなければ、再び頭は動き出さないだろう。それにリームがあの様子ではじっくり相談する事も出来ない。となれば、僕が次にやらなくてはいけない事は。リーム御所望の酒場を見つける事だ。ある程度欲求が満たされれば、僕の話にも耳を傾ける余裕が出来るだろう。
 方針を改めた僕は早速村の人に酒場の場所を訊ねる事にした。リームは建物ばかり見ているが、本当は現地の人に訊ねるのが一番効率がいい。これまでも初めての街や村に立ち寄った際もそうしてきたのだ。
 だが。
「……あれ? おかしいな」
 周囲を見回すと、通りには自分達以外には誰一人として人の姿がない。それだけではなく、建物もまるで外部からの侵入を拒むかのように閉め切られている。
 あ、そうか!
 と、僕はようやく先ほどから感じ取っていた違和感の正体に気がついた。この村はあまりに静か過ぎるのだ。人間の気配が全くしない訳ではない。だが、まるで表に出る事を拒んでいるかのように建物の中に閉じこもっているのだ。
 これはもしかすると、かなり危険な状況に飛び込んでしまったのではないのだろうか? 疲労感に頭がぼけていたとはいえ、どうしてもっと早くこの事に気がつかなかったのだろうか。
 と。
「あ! グレイス、早く来て! 見つかったわ!」
 先を行くリームの嬌声が、閑散とした周囲に響き渡る。案の定と言えばそうだが、やはりリームはこの状況にまるで気がついていないようだ。というよりも、むしろ酒場以外の事は興味がないのだろう。考えてみれば、五日なんてリームにとって最長禁酒記録だ。その反動が今、大きく出ているのだろう。
「え? 何が?」
「酒場よ、酒場! なにボケたこと言ってんのよ」
 僕は引き摺り加減だった重い足を奮い立たせ、十数メートル先のリームの元へ急ぐ。
 リームの立っていた所の丁度右手に、一軒の大きな建物がそびえ立っていた。この閑静な村には不必要なほどの大きな建物だが、確かにれっきとした酒場のようである。
「ふふん、私の勘も捨てたモンじゃないわね」
 リームは満足そうにうなづく。
 どうやらリームは本当に勘だけで、初めての村にある酒場を短時間の内に探し当ててしまったようだ。なんというのか、人間の執念というものは時として本当に驚くべき力を発揮するものだ。
「あれ? 向かいにもあるよ」
 ふと僕の視界の左手に、もう一軒別の酒場があるのが目に入った。丁度、リームが見つけた酒場とは向かい合わせに建っている。だがその酒場は、こちらに比べて二回りも小さくこじんまりとしていた印象を受ける。比べて、あまり酒場らしくない酒場に見えてしまう。規模的なものを考えれば、村らしい酒場ではあるのだが。