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深い夜の帳が辺りを包み込む。大きな静寂の中で、僕は樹木に寄りかかりながらボーっと焚き火の炎を見つめていた。いつもならとっくに眠ってしまっている時間だが、今はさっぱり眠気はない。ボーっとしつつも、ある程度注意は周囲に張り巡らせている。今夜はこうして見張りをしながら夜を明かすつもりなのだ。
夜空には月齢十三日半の真円を描きかけた月が煌々と森の木々を照らしている。闇夜を照らすその光はとても幻想的ではあったけど、僕にとっては息苦しい不安感を憶えさせる不快さはどうしても拭えない。目をそらした所で僕の体には何の変化もないのだけど、どうしても夜を徹して月見にしゃれ込む気にはなれない。
月が真円に近づくに連れて増す不快感。その理由は、僕の体にはヴァンパイアの血が流れているからだ。僕の祖父がヴァンパイアであるため、その血を受け継いでいる僕はクォーターに当たる。満月を間近に控えた僕の体はほとんど睡眠を要しないのだが、それもまた夜行性であるヴァンパイアの血の影響だ。
クォーターは純血よりも辛い事が多い。元々、魔族と人間の血は相容れないものなのだ。それが同じ体に同居すると、常に互いの血が軋轢を起こす危険にさらされるのである。初めてヴァンパイアとしての発作が起きたのは、僕がアカデミーの二回生になろうかという頃だ。魔族は一般に十六歳の誕生日を迎えると、生まれ持った力の本格的な覚醒が始まる。僕もまたご多分に漏れず、生まれてからずっと眠り続けてきたヴァンパイアの血が覚醒し、人間の血へ反乱を起こした。その結果、僕はヴァンパイアの血に負けて理性を失い、暴走を繰り返しては沢山の無関係な人達を傷つけてしまった。その中には、当時僕が好きだった人―――リームも含まれていて。自分が仕出かしてしまった事を理解した時、本当に僕は自分自身が情けなくて仕方がなかった。
けれど、それほど悪い事ばかりでもなかった。その事件がきっかけで、僕は……。
「う〜ん……」
うめくような声が僕のすぐ隣から聞こえてくる。見ると、僕のすぐ傍らではリームが毛布に包まりながら眠っているのだが、何やら悪い夢でも見ているのだろうか、表情がやけに険しい。
あの事件がきっかけで、期せずして僕はリームとこれまで以上に親しい間柄になった。両親にも正式に恋人と紹介までした。もっとも両親は、その当時はまだ学生だったのだけど、既に僕達が将来結婚する事が決定事項と認識し、あまつさえ母はリームに僕の子供どうこうなどという話までしていた。まだ付き合い初めだというのに、まるでもう結婚してしまったかのような応対だった。
話がそれてしまった。
僕は基本的に常にヴァンパイアの血が表面化しているのではなく、月齢に合わせてヴァンパイアの部分が強くなったり弱くなったりする。特に吸血の発作は、主に満月の前後に集中的に起きる。発作が一度起きると、僕は人間の血を吸わずにはいられなくなってしまう。それは僕の体が欲している訳ではなく、ヴァンパイアとしての本能の部分がそうさせるのだ。
このあまりに強過ぎる衝動の前には、人間の理性などまるで役には立たない。それで結局抑えきれずに暴走した僕は、何人もの人を襲ってしまったのだ。けれど、そんな僕にリームは自分の血を飲むように進めてくれたのだ。確かにそれならば、僕は関係のない人間を傷つけずに済む。しかし、正直言ってリームの言葉はその時は俄かには受け入れられなかった。僕のような魔物に、わざわざ血を与えようとする人間がいるとはとても思えなかったのだ。けど、そんな危惧もすぐに消し飛んだ。リームは、僕が血を飲みたくなった時、一度として拒絶した事もなければ、この事を外部に漏らした事もない。それに、リームは元々表裏のない性格なのだ。僕を騙してどうこうなんてする人間ではない。
他にも色々とあるのだが、主にそういった経緯を辿って僕とリームは付き合い始め今日に至る。
今僕たちはフリーのバウンサーをやっている。これは早い話、用心棒というヤツだ。クライアントからお金を貰い、クライアントに不利益をもたらすものを排除するのである。仕事は他にも色々と幅があるのだが、まとめて話してしまえば、魔物を中心に相手にするのがハンターで、バウンサーは人間相手が中心に仕事をするのだ。とはいっても、実際のところハンターやバウンサーには公式的なライセンスはなく、実力の証明証さえあれば誰でもなれる。僕達の場合は、アカデミーの卒業証がそれに当たる。
バウンサーになったのは、こういうと聞こえが悪いが、リームがバウンサーになると言ったからだ。リームの目標とするのは世界最強の格闘家らしい。これを聞いて思わず吹き出す人は沢山いるけど、当の本人はいたって真剣だし、それに伴うほどの実力がある。ただ、リームは僕から見るとどうも思慮が足りなくて危なっかしい所があるのだ。だから僕がサポートしてやらなければ、きっと山中で道に迷ったり、飲み過ぎて急性中毒を起こしたり、魔物を倒しても賞金の換金手続きが出来なくて暴れたりするはずなのだ。
でも、何もそれだけで僕もバウンサーになった訳ではない。もっと単純かつ明確な理由がある。それはつまり、僕にとってリームが大切な人だからだ。自分の大切な人と一緒に居たいと思うのは当然の事である。
と、その時。
「あー、駄目だ」
突然、リームがむっくりと起き上がった。ずっとぐっすり眠っているものだと思っていたが、どうやらかなり浅い眠りだったようだ。
「どうしたの? まだ夜明けまで時間はあるけど」
「どうしたもこうしたもないわよ。眠れないの! 一体、もう何日酒を飲んでないと思う? 五日よ五日! 信じられない! 私、よく生きてるわ!」
そう言ってリームは、僕が寄りかかっていた大木を裏拳でガンッと殴った。すると木は大きく揺れ、ぱらぱらと葉っぱが幾枚も舞い落ちてきた。この力の入れ方からすると、お酒を飲めない事にかなり苛立っているようだ。
リームは無類の酒好きで、一度飲み始めたら軽く十人分ぐらいは飲んでしまう。それでも、まだまだ余裕だと笑っているのだ。とはいっても、アルコールを分解する能力は飲める人も飲めない人もあまり変わらないのだから、そんな飲み方を続けていればいずれ体を壊してしまう。そこで僕は自分の采配でボーダーラインに達した時に飲むのを強制的に止めさせているのである。酔っているリームは力のセーブが出来ないので、迂闊に触るととんでもない目に遭わされる。だからそれなりの技術を要するのだが、僕はもう慣れてしまっている。
リームが酒を飲めないと騒ぐ理由は、僕達が前の町を発ってから五日経っているからだ。出発前に買ったお酒はあっという間に飲み尽くしてしまった。ほぼリームが一人で、それもオヤツ代わりに。けれど、次の目的地に向かうルートには途中村や町はないため補給が出来ないのである。つまり、お金は持っている事は持っているのだが、それを使える場所がないのである。
「ちょっと地図貸して」
僕が地図を差し出すと、リームは一心不乱に地図を眺める。普段は僕に任せっきりなのだが。大体、こういうガラにもない事をするのは、何かとんでもない事を考えている時の予兆なのだ。
そして、
「ここ見て! 村があるわ! 現在地がここだから、そんなに遠くない! これで酒が飲めるわ!」
ぱあっと輝くような笑顔でリームは嬉々とはしゃぎ出した。けれど、僕は思わず渋い顔をする。
「でも、この村は大分目的のルートから外れてるけど」
僕が決めた予定では、現在いる峠を明日の夕刻に抜けてそこから二日ほど歩いて港町に到着する、となっている。そこから船に乗り、今度は東の大陸へ向かうのだ。東には怪物がいる。だから私は戦いを挑まなくてはいけない。そう言ったリームのために、僕がわざわざこれまでの予定を大幅に変更して立てた予定だったのだけど。
「はあ? 知ったこっちゃないわ。飲みたいっつったら飲みたいの。ガタガタ言ってないで、次の目的地はここだからね。文句ある? それとも勝負して決めるか?」
僕は苦笑しながらも首を振ってリームに賛成の意を示す。どうせこれはいつもの事だし、僕ももう慣れてしまった。
相変わらず、僕はリームに頭が上がらない。こんな行き当たりばったりの調子で、いつもいつもリームは何らかのトラブルを起こす。そしてその後片付けもまた僕の仕事だ。この構図は、きっと一生変わらないのだろう。