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どこか厳格な雰囲気が漂う板張りの床。
俺が故郷の村で、幼い頃通っていたタチバナ道場だ。
そこに沢山の大人達が沈痛な面持ちで立ち並んでいる。
辺りの空気は重く張り詰め、誰もが表情を強張らせて、決して朗らかに解す事はない。
俺は視線をゆっくりと奥へ向ける。
そこには、真っ白な布がかけられた大きな桐の箱が置かれていた。
棺桶。
人が最後に身を置く、とても窮屈で小さな住処。
そこに、とても小さな小さな背中が一つ。布の上に顔を伏せ、うずくまったまま動かない。
俺はゆっくりとそこへ歩み寄る。
『起きてよ……まだ今日の稽古終わってないじゃない……』
女の子のとても悲痛な嗚咽が聞こえてくる。
棺桶の中に居る人の知り合いだろうか?
……あ、そうだ。
あの中にいるのは、この子の父親だ……。
なんとなく、おぼろげな意識の中でそう思った。
『どうして……? どうしてそんな……』
人の死は突然のものだ。
それだけに受け入れ難く、悲しみは海より深い。
だけど、受け入れなくちゃ駄目だ。
いつまでも悲しい気持ちを背負ったままじゃ、人は前に歩き出す事が出来ない。
『こうなったのは―――』
と、その時。突然、女の子はくるっとこちらを振り返った。
その目は憎悪に満ち、真っ直ぐに俺を射抜く。
子供とは思えぬ眼光の鋭さに、俺は思わず立ち竦む。
『全部、アンタのせいだ!』
憎しみを込めてそう叫ぶ。
まるで毒を吐き捨てるかのように。
心底憎々しげに。
え? な、なんだ急に?
が、戸惑う俺を他所に、今度はその場にいた大人達全員が俺を取り囲み、そして指を指す。
『お前のせいだ!』
『お前が殺したんだ!』
一斉に浴びせられる、俺に対する憎悪の念。
幾ら弁解を求めてもそれは決して聞き入れられず、俺はただ一同の真ん中で非難の雨を受け続ける。
ち、違う!
俺は、俺はそんな―――。
『この、悪魔!』
『この、人殺し!』
違う! これは違うんだ!
「うわあああっ!」
叫ぶのが先か、目を覚ましたのが先か。
気がつくなり、俺の心臓は高く波打っていた。
ゆ、夢か……。
どくどくと高鳴る胸を押さえ、額に浮かぶ微かな汗を甲で拭い取る。
あれ? ところでここは一体……。
俺は見覚えのないベッドの上に横たわっていた。体が冷えぬように丁寧に毛布までかけられている。
ゆっくりと上体を起こす。
と……。
「ガイア?」
俺を呼ぶ女性の声。
見ると、ベッドの向こう側にあったテーブルセットに、ロイアがイスから半分立った状態で、驚きに満ちた表情で俺を見ていた。
「あれ? ロイア?」
「ガイア!」
バタン、とイスが倒れる音。
突然、ロイアが飛び出すと、そのまま俺に抱きついてきた。
「ちょっ、な、なんだよ、一体!」
「良かった……本当に」
涙ぐみながら、ぎゅうっと力強く狼狽する俺を抱き締める。その様子がなんだか声がかけづらく、俺は仕方なくされるがままになる。
まあ何にせよ、女の子に抱きつかれるのは嫌じゃないが……。
密着したロイアからはいい匂いがする。
うんうん。男と違ってごつごつしてなくて、柔らかくていい感触だ。あれ? 意外と着痩せするタイプなんだなあ。もしかしたらセシアより―――。
「……あ。セシア! そうだ、セシアは!?」
ふと稲妻のようにその名が脳裏に浮かんだ。
俺の人には言えない秘密を知り、そして理解し支えてくれる唯一の人。
まったく、一体俺は何を考えてるんだ! セシアをそっちのけでアホヅラこいて、馬鹿な事を!
「あ……そうでしたね」
と、ロイアは微苦笑を浮かべながらゆっくり離れ、そして俺のベッドの隣へ視線を向ける。
その視線の先にはもう一つ同じベッドが並んでいた。
「あ」
その上に、セシアが横たわっていた。
俺は慌ててベッドから降り、セシアの元へ駆け寄る。セシアは静かな寝息を立てていたが、それ以外まったくぴくりとも動かない。本当はこんなに寝相のいいヤツではないのに。
「セシア? お、おい、大丈夫なのか?」
「心配ありません。法術を使い過ぎたため、疲れて眠っているだけです。体が回復すれば、すぐにでも目を覚ましますよ」
と、その時。
不意に、どふぅっ、と腹に重い衝撃が走る。
「ぐはっ!?」
何事かと目を向けると、そこには、毛布からはみ出したセシアの足があった。
「確かに心配はないようだ……」
その足を毛布の中に戻す。
「こんにゃろう、心配させやがって」
眠っているセシアの頬をぐいっと引っ張る。
「ん……んん」
すると、眠ったままセシアはなんとか逃れようとして、唸りながら顔を左右に動かす。その様子がなんとも面白い。
「ガイア、そろそろ」
「ん? あ、そうだな。セシアは疲れてるんだったっけ」
俺はセシアの頬を放してやり、乱れた毛布をかけ直す。
「いえ、下ぐらいはいたほうがよろしいかと」
下?
そう言われ、自分の下を見下ろす。
下着一枚だった。
「だあっ、ちょっ、そっち向いてろ!」
傍に上着と共にかけられていた自分のズボンを見つけ、慌てて俺はそれをはく。
「フフフ。その様子ですと、もう心配はありませんね」
そんな俺を、まるで微笑ましいものを見ているかのような表情のロイア。
「な、何だよ、それは」
「憶えていませんか? ガイアは大怪我をしたんですよ? グレイスよりは軽かったですが、何せ体力的にもあまり余裕のない状況でしたから」
俺は記憶を掘り起こしてみる。
と、浮かんできたのは、ヴァルマのレーヴァンテインが作り出した、燃え盛る灼熱の刃の感触だった。
そうだ、俺はあの炎の刃に斬られたんだったっけ……。
斬られた胸をなぞると、そこに痛みはなかった。セシアが治療してくれたのだろう。
それをきっかけに、次々と記憶が逆再生に蘇ってきた。そう、あの、まるで悪夢のような出来事の一部始終を。
仲間同士で憎み合い、いがみ合い。そして、殺し合う。
エルフィが不可解な何かによって大怪我をした事から始まった惨劇。
いや、不可解ではない。エルフィを傷つけたのは、俺のこの忌まわしい目、邪眼のせいだ。
俺にそんな意思が明確になくとも、誰かを傷つけてしまう事はある。そう、また俺はこの力を制御出来ずに傷つけてしまったのだ。
そうだ、そのせいで……。
「ところで、一体ここはどこなんだ? あれから何がどうなったんだ?」
「少々入り組んでいまして長くなりますから、一度には説明できませんわ。今、お茶を淹れますから、あちらで飲みながらゆっくり順を追って説明いたしますね」
俺は上着に腕を通し、先に席についた。ロイアが部屋の奥に添えつけられていた簡易的な台所でお湯を沸かし始める。
「ガイアはどこまで憶えていますか?」
背を向けながらロイアがそう訊ねる。
「俺が意識を失う所までは。まあ、なんとか思い出せる」
「では、ここがどこかは分かりますか?」
「う〜ん……推測するに、村の外れにあるって誰かが言ってた避難場所か?」
「ええ、その通りです」
やがてロイアはティーポットとカップを二つ手にして俺の向かいのイスに腰を降ろした。
「どうぞ」
俺にカップを差し出す。中には琥珀色の紅茶が注がれていた。そっと口をつけ、思わぬ熱さに顔を一瞬しかめる。
「確か竜巻が村までやってきてたよな? あれからどうやって逃げたんだ?」
ふーっ、と息を吹きかけて紅茶を冷ましながら訊ねる。
「助けてくれたんです。ヴァルマが」
ロイアが手元の自分のカップに視線を伏せながらそう答える。
その言葉に、俺は唖然とする。
「ヴァルマが?」
あの時ヴァルマは、自分と妹達しか信じないと叫んでいた。そして何より、俺を酷く憎んでいた。だからヴァルマが俺達全員を助けるなんて、あの様子からも、とても俄かには信じられなかったのである。
「ええ。既に逃げるに逃げられない状態だったんです。ですが、ヴァルマが突然見たこともない魔術を使って、竜巻の威力を弱めたのです。おそらく、Mの書に記載されていた古代魔術の一つだと思います」
そういえば、ヴァルマが前に竜巻をどうにかできるような事を言っていたっけ。まさか、それを本当にやるなんて……。でも、何故俺達を助けてくれたのだろうか? 特に、憎むべき俺にとどめも刺さずに。
「竜巻が消えても、まだ幾らか余波は残りました。ガイアもグレイスもすぐに手当てをする必要があったのですが、応急手当をする時間を、ヴァルマが障壁を張って稼いでくれたのです。それからこの避難場所に移り、みんなの手当てしたのです。そしてセシアは体力を使い切って、あのように倒れるようにして眠ってしまいました」
「そうか……なんか随分苦労かけたみたいだな。ところで他のみんなは?」
「リームとグレイスはまだここにいます。ですが、ヴァルマ達はここには来ずにどこかへ行ってしまいました。私達とは顔を合わせづらかったのでしょう」
それを聞き、不思議と俺は残念な気持ちになった。なんだか後味の悪い別れ方になってしまった。たとえ険悪なムードになろうとも、ちゃんと顔を合わせてから別れたかった。いや、また同じ事の繰り返しになってしまうから、それを避けるためにヴァルマはあえてこんな形で別れる事にしたのかもしれない。
「ヴァルマのヤツ、どうしてわざわざ俺達を助けてくれたんだろう? 俺達のことなんて、どうでも良かったんじゃなかったのかな……?」
助けてもらった事には感謝はしたい。けど、俺にはヴァルマの心理がいまいちよく分からなかった。俺達に手を上げる事にあんなにも躊躇いを持たなかったはずなのに、それが急に助けてくれるなんて。殺したいほど憎んでいたのか、それとも仲間として掛け替えなく大切に思っていたのか。
「ガイアはヴァルマ達の昔の事、知っていますか?」
「いや。ロイアは?」
「前に、ヴァルマが酔った勢いで少しだけ話してくれた事があるんです」
ロイアはカップに口をつけ、一口だけ紅茶を飲む。
俺も人の事は言えないけど、ヴァルマはそれ以上に秘密主義的な所があった。特に自分の過去に関する事には口を頑なに閉ざし、決して話そうとする事はなかった。それを俺は、何か気恥ずかしいものがあるから、と今までは解釈していたのだけれど……。
「ヴァルマ達の生まれた村では、昔から双子は『祟り神』の生まれ変わりと言われていたんです」
「祟り神?」
災いをもたらす神の事だ。御利益などという大そうなものはなく、大事に扱わねば災いが降り注ぐという迷惑極まりない存在なのである。
「ええ。ですから、エルフィとシルフィは村人だけでなく、両親にすら忌み嫌われていたそうです。ヴァルマはそんな二人をいつもなぐさめていました。同年代の子供達で、祟り神の生まれ変わりと言われている二人と遊ぶような人はいませんでしたから、自然と三人はいつも一緒にいるようになったんだそうです」
だから三人はあんなに仲が良いのか……。
ヴァルマ達兄妹は、誰から見ても仲の良さそうに見える。だが、それは一般的な仲の良さではなく、どこかルナティックな親密さが感じられるのだ。他の誰よりも距離が近く、逆に周囲の人間とは一線を引いているような関係だ。
「ある日、その両親が不慮の事故で亡くなりました。当然、村の人はエルフィとシルフィのせいだと口々に噂しました。やっぱり祟り神の生まれ変わりのせいだ、と。その後三人は親戚中をたらい回しされた挙句、最終的には養護施設に引き取られる結果になりました。ですが、そこでも三人には居場所がなかったそうです」
ふと俺は喉の渇きを覚え、程よい温度になった紅茶を一気に飲み干す。
俺はロイアの話に聞き入っていた。今まで俺の知らなかったヴァルマ達の姿が気になって仕方なかったのである。
「どこに行っても自分達を受け入れてくれる人はいない。愛情を持って接してくれる人はいない。だからヴァルマは、自然と自分の牙を研ぐようになりました。身を守るためにあらゆる知識を身に付け、独学で魔術も勉強したそうです。魔術ですと、幾ら体力がなくとも関係がありませんから」
独学で魔術を憶えるという事がどれだけ困難な事か。俺はアカデミーでその事を十分知らされている。ちゃんと整理されたカリキュラムに乗っ取って学習した所で、その全てを把握するのは極めて困難なのだから。
ヴァルマの魔術の才能は生まれつきではなく、そういった境遇を生き抜くために身に付けたものだったのか……。
どこか自分の中に、あの三人の見方が変わっていくような気がした。
「三人にとって愛情というものは、自分達の中でしか成立しなかったのでしょうね。ヴァルマにしてみれば、妹達からの愛情しか、エルフィとシルフィにしてみれば、兄の愛情しか信じられなかったのでしょう。両親からも忌み嫌われ続けてきたのですから、仕方のない事かもしれません。とても悲しい事ではありますけど」
だからこそ、エルフィがあんな大怪我をした時、あそこまで執拗に犯人を探し、怒り狂っていたのだ。
三人の絆は血縁よりも濃い。不運な境遇に生まれ、互いを支えながら苦難を乗り切り、絶えず周囲に警戒しながら生き抜いてきたのだ。それに比べたら、俺達の仲間なんて絆は、あってないようなものだろう。
だけど……。
「でも、ヴァルマは俺達を助けてくれたんだろう? それは、あいつが俺達の事を多少は信用していたからじゃないのかな? もしかすると、そんな閉鎖的な自分達に気づき、それをなんとか直そうとしていたのかもしれない」
そうだ。きっとそうに違いない。
希望的観測でしかないけど、そう考えればヴァルマが俺達を助けてくれた事も納得が出来る。
「そうですね……」
と、その時。
トントン
ドアをノックする音。
「どうぞ」
ドアがゆっくりと開く。そこから現れたのは、リームとグレイスだった。
入ってきたリームの表情はまるで仮面のように凍りついていた。それは、グレイスを傷つけたロイアに対するものと、そして俺に対するものだ。
「よ、よお……」
気まずい空気のなか、俺がそう話し掛けてみる。だが、返って来たのは射抜くような冷たい視線だった。
「あれ、ガイア! もういいの!?」
その後からグレイスが現れる。
シルフィにやられた怪我の方もセシアに治療してもらったらしく、あんなにぐったりしていたのが嘘のように元気だ。
「いいもなにも、お前の方がよっぽど重傷だったろうが」
「でも、全然目を覚まさなくて心配したんだよ」
「なあに、ちょっと美女に囲まれる夢を見ててさ。すぐに目を覚ますのがもったいなくてな」
そうなんだ、と微苦笑するグレイス。
と、
「ガイア」
突然、リームがただならぬ雰囲気で俺の前に歩み寄ってきた。
「ちょっ、リーム!?」
その雰囲気を感じ取り、グレイスがすぐに止めに入ろうとする。だが、あっさりとリームに突き飛ばされた。
「リーム」
続いてロイアも立ち上がる。手が、傍に立てかけていた槍袋に伸びる。
「いや、いいよ」
だが俺は、素早くそれを制止する。こうやって仲間同士で争うのは、もう沢山なのだから。
敵意に満ちた目で俺を睨みつけるリーム。
仕方のない事だ。
あの時、俺が邪眼の力で気づかずに殺してしまったのは、リームの父親なのだから。
これほど恨まれるだけの事を、俺は犯してしまったのだ。
「あのさ」
突然、リームの右手が閃いた。
「つっ……」
そう思った次の瞬間、俺はリームに殴り飛ばされていた。
口の中に鈍痛が走る。口の中が切れただけでなく奥歯が一本折れていた。
上体を起こし、床に腰を降ろした姿勢になる。その俺を、リームが見下ろしていた。
両のこぶしは白くなるほど硬く握り締められ、ぎりぎりと強く歯を噛み締めている。
さて、次は足かな……。
が、
「……あんたなんか、もう顔も見たくない」
リームにやられる覚悟を決めていたのだが、当のリームは何故か、ぷいっ、と視線をそらし踵を返した。
「行くよ」
そう言ってリームはグレイスの腕を掴んだ。
「行くって、もう!? ちょ、ちょっと待ってよ。別にそんな急がなくても」
だが、そう抗議するグレイスを無視し、リームはそのまま強引にグレイスを引っ張って部屋から出て行った。
これでいいのか……?
いささか拍子抜けは否めなかった。
リームは最愛の父親を失った。
だが、俺は奥歯を一本失っただけだ。
たったそれだけで、俺は許されるのだろうか?
いや、リームは『許す』なんて言ってなかったか……。
「大丈夫ですか?」
ロイアが心配そうな表情で手を差し伸べてくる。その手を取り、俺は立ち上がる。
「そちらでうがいをするとよろしいですよ」
「そうだな……」
熱く腫れぼったい頬に違和感を覚えながら、簡易キッチンに行き備え付けのコップで口の中をすすぐ。吐き出すと、真っ赤な水と共に白い奥歯が一つ、ころん、と音を立てて排水溝に吸い込まれていった。喪失感は微かで悲しみも無かった。奥歯と肉親を比較する事自体がおかしいのだろう。
「あの……ガイア」
「ん?」
二杯目の水を口に含んだその時、ロイアがやけに遠慮がちに訊いてきた。
「邪眼とは、本当の事なのでしょうか……?」
TO BE CONTINUED...