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『ヲヲヲヲヲヲヲ!』
 小型の太陽と化したブリューナクがヴァルマの胸を直撃する。
 ドンッという衝突音。
 しかし、ヴァルマは立っていた。
「フッフッフ……ハアーッハッハッハ!」
 狂的な笑い声が辺りに響く。
 ヴァルマは腕で防ごうとするどころか、あえて自らの胸で受け止めたのだ。
 ブリューナクはヴァルマの体を貫こうと、強引に前進し続ける。だがヴァルマの体は魔宝珠で強化されているためか貫く事が出来ず、ヴァルマは踏ん張っている足で床を削りながら後方へ押されていく。
 この状況でも、ヴァルマは平然としているのだ。完全に魔素の取り込み過ぎで理性が飛んでしまっている証拠だ。
「止まってブリューナク! お願い!」
 ロイアがなおも必死でブリューナクに訴えかける。しかし、ブリューナクは主人の言う事など全く聞かず、怒りの咆哮を上げながら突進していく。
 セシアが言っていた、失敗に終わった言葉によるリモートコントロール機能の事を思い出す。原始的な自我を植え付けたが、うまくいかなかったそうだ。それはつまり、このように時折所有者の命令を無視して自分勝手な行動に出るという事だったのだろう。
 とにかく、ブリューナクを何とかしなければ。幾らヴァルマでも、あれ以上の高熱を受けたら無事で済む筈がない。
 俺はゆっくり呼吸を始め―――。
「ガイア!」
 突然、後から怒鳴られる。
「それ以上は駄目! 暴走するわよ!」
 セシアだった。
「だけど! このままじゃヴァルマが!」
「あなたまで暴走しちゃったら、元も子もないでしょう!」
 確かに俺の理性はかなりギリギリの所まで来ている。暴走するヴァルマを止めるために俺までが暴走してしまったらまるで意味がない。
 これ以上魔術を使うのは危険だ。
 思わず、ギリッと奥歯を噛んだ。
 くそっ……俺にはどうする事も出来ないっていうのか……。
 俺はなんて無力なのだろうか。幾らそこそこの魔術師としての実力があっても、いざという時に何も出来ないのでは魔術が出来たって全く意味がないじゃないか。
『魔槍ブリューナクの攻撃レベル上昇修整+5。間もなくマスターの防御限界点に達します』
「そろそろだな。さて、終わりにするか。『来たれ、雷鳴』」
 ヴァルマの右手の炎の刃が幾重もの雷を帯びる。雷系の魔術は本来はかなり高度な魔術なのだが、ヴァルマはそれをいとも簡単に操っている。
「楽しませて貰ったよ」
 と、その時。
 ズザッ、と音を立てて、後方へ押されていたヴァルマが立ち止まった。ブリューナクの突進力をヴァルマが受け止めてしまったのだ。
「うそ……」
 ブリューナクを受け止めてしまったヴァルマに、思わず唖然としてしまうロイア。
 ブリューナクがどれほどの攻撃力を誇っているのかは、ロイアが一番良く知っているのだ。金剛石よりも高い硬度を誇る竜鱗を突き破るほどの破壊力を持つブリューナクの一撃。それを生身で受け止めてしまうのがどれだけ驚くべき事なのか。体を魔宝珠で強化しているために成せる技なのだろうか? かといって、あえてブリューナクの前に自らの体をさらけ出そうというヴァルマの神経も恐ろしい。いや、魔素に理性を食い荒らされている今の心理状態では決して考えにくい事でもないか。
「さすが、源流神器『屠殺者』の後継機。なかなか素晴らしかった」
 そのまま雷を帯びた炎の刃でブリューナクを貫く。
 ぐにゅっ、とまるで肉を貫くかのような音が聞こえる。
『ヲヲヲヲヲ!』
 すると、まるで痛みに苦しんでいるのかのように、球状のブリューナクは激しく発光しながら唸り声を上げる。
「縛」
 ヴァルマが落ち着き払った様子でそう唱えると、炎の刃に帯びていた雷がブリューナクに次々とまとわりついていく。そのまま雷は網状の捕縛結界を形成し、ブリューナクを完全に拘束してしまった。
 拘束されてしまったブリューナクは発光を止め、急におとなしくなってしまった。雷牢の中でもがくのはかなりの苦痛なようだ。
「しばしおとなしくしている事だ」
 拘束されたブリューナクをおもむろに掴み、そのまま投げ捨てる。打ち捨てられたブリューナクは、それでもしばらくは唸り声を上げながらもがき苦しむが、やがてその声も聞こえなくなり、ゆっくりと元の槍の形へ戻っていく。
 無茶苦茶だ……。
 ブリューナクでもあのザマって事は、ヴァルマはドラゴンよりも強いって事なのか? それはもはや人間のレベルじゃない。
 と、その時。
 外を吹き荒れる風の音の他に、家屋が倒壊するような音が混じった。
 遂に、村の中まで竜巻が到達してしまったようだ。今の音は、その竜巻にどこかの建物が巻き込まれた音だろう。自然災害の前に、人の作ったものはあまりに無力だ。
「さて。そろそろ片付けてしまうか」
 妄執に満ちた視線が俺を射抜く。
 俺を心の底から憎む、殺気立った黒い視線。エルフィを傷つけた俺に対する深い怒りだ。
 こうなってしまったのも、全て俺のこの邪眼のせいだ。
 どうして俺はこんなものを持って生まれてしまったのだろう?
 こんなもののせいで、俺は―――。
「くっ……こんな事を考えてる場合じゃない」
 とにかく、今のヴァルマには説得はするだけ無駄だろう。
 こうなったら、たとえ暴走すると分かっても。
「やるしかない……」
 迷っている時間はない。
「ガイア!」
 再び、セシアの制止の声が背後から聞こえる。だが俺は、それを無視して魔素を取り込む。俄かに血液が沸騰するような感覚が全身を走った。同時に、体のあちこちの痛みがスッと消えていく。
 さて、今の俺は理性を保っているのだろうか? 非常に微妙だ。
「ヴァルマ!」
 痛みを感じなくなった足で疾と踏み込む。
 魔素の影響で全身が異様な力強さに溢れている。しかし、これは錯覚なのだ。単に精神の高揚により体が興奮状態にあるせいだ。
『ガイア=サラクェルの精神侵蝕度が75%を超えました。暴走状態に入ると危険です。早急に迎撃する必要があります』
「フン」
 右手に魔力を込め、踏み込んだ勢いでそのまま繰り出す。狙うは、どんなに鍛えても筋肉のつかない人体の急所の一つ。鳩尾の一点だ。
 ヴァルマのレーヴァンテインがすかさず斬りかかってくる。左手に障壁を展開し、それを受け止める。
 つっ……。
 だが魔力が足りないためか、その侵蝕を食い止めるまでには至らない。受け止めた左腕に、レーヴァンテインの灼熱の刃の温度が伝わってくる。
 とはいっても、完全に止める必要はない。たった一撃。たった一撃入れるだけの時間さえできればいいのだから。
「いい加減に目を覚ませ!」
 俺は右手の全魔力を爆発魔術に変え、ヴァルマの鳩尾に叩きつけた。
 鼓膜の張り裂けそうな破裂音がこだまする。
 俺の右手には確かな手応えがあった。障壁に阻まれる事なく、確実にヴァルマの鳩尾を捉えた感触が。
 これで止まってくれ!
 そう願いながら、ゆっくり顔を上げる。しかし、俺を見下ろしていたのは、ヴァルマの余裕に満ちた表情だった。
「くだらん」
 ヴァルマの額が、俺の頭を打ち付ける。強烈なヘッドバッドだ。
 ごすっ、と鈍い衝撃が頭の中に響く。その一撃に一瞬意識が朦朧とし、完全に無防備な隙を作ってしまった。
 しまった!
「死ね」
 次の瞬間、レーヴァンテインの炎の刃が襲い掛かった。
 くそっ、避けられるか……!?
 咄嗟に背後に飛び退く。だが、それは僅かに遅く、灼熱の衝撃が左肩から右脇腹まで嘗め尽くした。
「ぐあああ……!」
 転がりながら傷口を押さえる。押さえた手のひらに焼けたような熱が伝わってきた。炎の刃に斬られたせいだろう。
「浅かったか。やはり、魔術師が慣れない剣を使うものではないな」
 激痛に悶え苦しむ俺を、ヴァルマが苦笑しながら見下ろす。
 押さえた傷口から、思い出したように血が流れてきた。凄まじい出血だ。手のひらでは押さえきれず、指の間から次々と零れ落ちていく。これまでの疲労も重なっているせいか、途端に眩暈がしてきた。くらくらと視界が揺れ始めてくる。
「ヴァルマ! いい加減にしろよ! 今がどんな状況なのか分かってるのかよ!」
 激痛に耐えながら必死で俺はそう叫ぶ。
「竜巻から避難するよりも、エルを傷つけた貴様を殺す事の方が重要だ!」
 だが、ヴァルマにはまったく取り付くしまもない。ヴァルマにとって、妹達に比べたら俺達の存在など遥かに優先順位は低いのだ。
「もういい! お前の恨み言なり何なり、それは後でゆっくり聞いてやる! 今はここを避難する方が先決だろ!」
「貴様が逃げ出さない保証がどこにある! あえて罰を受けようなどという人間がこの世にいるはずがない!」
「そんなに、そんなに俺が信用出来ないのか!?」
「何度も言うようだが、私がこの世で自分以外に信用するのは、エルとシルだけだ! 貴様など、初めから信用するか!」
 轟、と吠えるヴァルマ。
 少なくとも俺は、みんなの事は信用している。
 だって、俺達は仲間だろ? アカデミー時代の四年間を共に過ごして来た。
 駄目だ……。やはり、ヴァルマを説得なんかできやしない……。
 失意と共に意識が徐々に遠くなってきた。疲労に加えてこの急激な失血だ。今まで体が動いていた方が不思議なくらいだ。
 体がゆっくり床の上に沈んでいくのが分かった。だが、既に視界は目を閉じていなくとも真っ暗になっており、それは伝わってきた床の濡れた感覚で分かったのだ。
 結局、ヴァルマを止めるのは俺には無理だったようだ。
 これが、凡人と天才の差か……。
 意識が途切れるまで聞こえていたヴァルマの声は、まるで子供の泣き声のような気がした。
 そういえば、そろそろ竜巻がここを直撃するなあ……。みんな、早く逃げろよ……。
 最後まで俺は、それが気がかりで仕方がなかった。



TO BE CONTINUED...