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 魔素を取り込んだ途端、急激に不安感が消え去り異様な自信に満ち溢れてきた。
 やばい。
 俺の理性が消えかけている証拠だ。ヴァルマはほとんど暴走一歩手前、俺は三歩ほど手前といったところか。
 とにかく今は、一時でも早くヴァルマを止めなければならない。竜巻がすぐ間近まで迫ってきているのだ。悠長な事はやっていられない。俺の体だってダメージも小さいとは言えない。速攻で決めなければ。
「食い尽くせ」
 ヴァルマが雷竜に命令する。
 雷竜は咆哮を上げて襲い掛かってきた。
 行くぞ……迷ってる暇はない。
 右手に全魔力を集約させ、右手を覆うように障壁を展開する。俺は爆発以上の高度な魔術は使えない。ならば、後は魔力をどれだけ注ぎ込めるかが勝負だ。魔素を大量に取り込むのは危険だが、今はあえて理性の保てるギリギリの所まで踏み込まなければならないのだ。空気の焦げる匂いが微かに香る。空気を震わせる咆哮、凄まじい魔力の質量、まるで実物のような迫力。圧倒的な存在感を見せ付けながら、雷竜は大きな口を開け、俺を飲み込まんと向かってくる。
 これでも、食らえ!
「おおおおおおっ!」
 覚悟を決め、俺はその巨大な口に目掛け、敢えて自分の右手を繰り出した。
 刹那、
「ぐあああああっ!」
 当然の事だが、雷竜は口の中に飛び込んできた右腕に噛み付いた。同時に、全身に凄まじい電撃の衝撃が駆け巡る。
 牙に当たるものはあるのだが、構成している要素が雷のため、噛み付かれた痛みはなかった。だが、それを上回るほどの激痛が俺の全身に行き渡っている。今、俺は高圧電流の中に自分から手を突っ込んでいるのと同じ状態なのだ。
「フン、勇気ある行動というには思慮が足らな過ぎる。愚かだな」
 少しでもダメージを軽減するために障壁を張っておいたのだが、それでも想像以上の激痛だ。このままでは、あと数十秒も俺の意識は持ちそうにない。
 だが、ここで倒れている訳にはいかない。俺は、早い所ヴァルマをブン殴ってでも止めなければならないのだから。
 俺は雷竜の口の中にある右手の魔力に意識を集中させる。燃え盛る炎が空気中の酸素を一瞬にして嘗め尽くす光景をイメージ。
「『爆ぜろ』!」
 一気に魔力を放出する。
 すると、俺の右手を爆心地に、局地的な爆発が起こった。俺の使える魔術の中で一番高度な爆裂系魔術。俺の右腕に噛み付いていた雷竜の頭は、この爆発で倍以上に膨らんだ。そのまま張力の限界を超え、ぼんっ、と音を立てて吹き飛ぶ。頭を失った雷竜の体は次々と解れていき、幾重もの雷の帯に戻りやがて中空に霧散した。
 やった、吹っ飛ばしてやった……。
 あの雷竜を倒せた事に自分でも驚いた。倒すまではいかなくとも、ヴァルマの所までの血路を開ければそれで良かったんだが。俺とヴァルマの差はそれほど絶望的なものでもなかったようだ。
 しかし、せっかくヴァルマまでの障害を取り除いたのに、既に全身はボロボロだった。先ほどの感電で膝が自分の意志を無視して震え出して止まらないし、特に雷の真っ只中にいた俺の右手は感覚すらなくなり、火傷として電流紋が浮き上がっている。動く事は動くのだが、麻痺してしまったように痛みも何も感じなくなっているのだ。当分は自由に動きそうにもない。
『先ほどのガイア=サラクェルの瞬間攻撃レベルは13を記録。精神侵蝕度は72.5%に到達。ほぼ臨界点です。負傷率は27%。電撃により神経系統に麻痺症状を起こしています。右腕は被害甚大、行動不能です』
 そうMの書が、今の俺の状態を正確に分析する。
 満身創痍だ。
 そんな俺の状態を知ったヴァルマの表情が、ニヤッと歪む。
「上出来だ。だが、それもここまでだ」
 ひゅうっ、と深く息を吸い込む。
『警告、警告。マスターの精神侵蝕度が80%を突破しました。間もなく暴走状態に入ります。ただちにクールダウンを行って下さい』
 まさか!
 ヴァルマの周囲に、今度は先ほどとは比べ物にならない数の雷の帯が生成された。
「もうやめろ! 暴走して消し飛びたいのか!」
 だが、ヴァルマに俺の叫びは届かず、そのまま詠唱に入る。
 今の内にならばヴァルマを止められるかもしれない。しかし、俺の体はもはや自由が効かなくなっている。どうにか立ってはいるが、自分の意志では一歩も踏み出せない。
「終わりだ」
 詠唱が終了し、ヴァルマが勝ち誇った笑みを浮かべる。
 次の瞬間、ヴァルマの周囲に三匹の雷の和竜が出現した。
 そんな……!
 建物が崩れ落ちそうなほどの凄まじい咆哮の三重奏が響き渡る。
 一匹を倒すだけでもあんなに苦労したというのに。それが今度は三匹も生成するなんて。
 もう無理だ。
 遂に俺は、その言葉を脳裏に浮かべる事を許してしまった。精神を食い荒らす魔素を、理性が保てる限界域を超えて取り込み、強暴な手下を三匹も作り出したヴァルマ。もはや、俺にはどうする事も出来ない。暴走を止めるために俺までが魔素を取り込み過ぎて暴走してしまっては元も子もない。技術も上、魔力も上、更に神器も持っている。第一、体を自由に動かす事もままならない俺には、もはや勝ち目はない。
「行け! エルを傷つけたあいつを、八つ裂きにしろ!」
 三匹の和竜が俺に目掛けて一斉に向かってくる。
 早くガンバンテインのフィールドに逃げなければ。あんなの、俺なんかでは相手にならない。
 だが、そんな俺の意思を体は聞いてはくれず、ダメージが大きいせいか、それとも恐怖に慄いているせいか、足がぴったりと床に張り付きこの場を一歩も動く事が出来ない。
 三匹の中から突出した一匹の和竜が、大きな口を開けて俺に襲い掛かる。
 駄目だ……障壁も張れない。
 咆哮を浴びせられながら、俺はどうする事も出来ずにただその場に立ち尽くしていた。
 しかし、
「貫け!」
 突然、横から細長い光が一閃する。
 光は雷竜の首をあっさりと貫いて行った。首を貫かれた雷竜は苦悶の咆哮を上げながら雲散してしまう。
「戻りなさい」
 すると細長いその光はまるで意思を持っているかのように軌道を変える。
 光が戻っていった先に立っていたのは。
 ロイアだった。
 細長いその光はロイアの手の中に収まり発光をやめる。その手に握られていたのは、あのブリューナクだった。
「ロイア、君はガイアの肩を持つのかね?」
「ヴァルマ、これ以上はさせません。今の貴方は完全に正気を失っています。普段のヴァルマではありません。そんな貴方を止めるのは、仲間として当然の事です」
 ひゅっ、と槍を一回転させ、ロイアが最も得意とする霞中段に構える。
「仲間? フン、君とて、自分が生き長らえるために利用したではないか。その仲間とやらを」
「……行きます」
 と、ロイアが疾と踏み出した。
 すかさず残りの和竜が、咆哮を上げながら左右から挟撃する。
 無理だ! 真正面からなんて強引過ぎる!
 が。
 ロイアの体が素早く沈み、右の和竜の下へ転がり込む。槍先を和竜の顎、丁度逆鱗の位置に定め真っ直ぐ上に貫く。音もなく和竜は雲散した。
 すぐさま左の和竜がロイアに口を開けて襲い掛かる。
 しかし、
「イーヤァッ!」
 ロイアは振りかぶり、その口に目掛けてブリューナクを投げつける。するとブリューナクは先ほどのように激しい光を放った。あれはただの光ではなく、ブリューナクが発熱しているための光だ。
 ひゅっ、と槍が閃き、和竜の口から飛び込み後頭部から飛び出していく。
 次の瞬間、和竜はまたも声も上げずに霧散した。
「戻りなさい」
 ロイアの手から放たれたブリューナクが、自分の意志で飛んでロイアの手へ戻ってくる。
 俺は思わず唖然とする。
 ロイアが槍闘士として相当な実力を持っていた事は知っていたが、俺が苦戦したあの和竜をああもあっさりと倒してしまうなんて。今の一連の攻撃はとても、神器だから、なんて理由では説明はできないだろう。まさに達人と称賛すべき技量である。
「やるな」
 だが、対するヴァルマは余裕の笑みを浮かべている。しかし、目だけは笑っておらず、無気味な光を放っている。理性がほとんど残っていない証拠だ。
「次は貴方です」
 ロイアは槍を構え、再びヴァルマに向かって突進する。
「ハアッ!」
 掛け声と共に、ロイアがブリューナクを繰り出す。巨大な岩の塊すらも貫き通しそうなほどの鋭い一撃だ。
「フッ!」
 その鋭い突きを、ヴァルマはレーヴァンテインの炎の刃で真っ向から受け止める。魔術師でありながらロイアの一撃を難なく止めるヴァルマの技量も驚くべきものだ。
「そういえば、神器を相手にするのは初めてだったな。貴重なデータが取れそうだ」
「すみませんが、そんな時間はありません。いち早く止めるためにも、全力で行かせていただきますので」
 ばんっ、と弾け飛ぶように両者が離れる。
「行きなさい!」
 直後、ロイアが手にしたブリューナクをヴァルマに目掛けて投げつける。ブリューナクは激しく発光しながらヴァルマに向かって突っ込んでいく。
 ブリューナクには、最強種族の一つであるドラゴンを倒してしまうほどの力がある。金剛石よりも強固な竜鱗の鎧を突き破るほどの高熱を作り出す事が出来るのだ。あの光は、ブリューナクがそれだけの高熱を発しているためのものだ。
 しかし、
「くだらん」
 ヴァルマはレーヴァンテインの炎の刃をぶんと振り、ブリューナクをあっさりと弾き飛ばした。
『只今の魔槍ブリューナクの攻撃レベルは17、予想最大出力のおよそ40%ほどです』
「どうした、本気を出すのではなかったのかね?」
 不気味な笑みを浮かべながらロイアを嘲るヴァルマ。
 全力を出す、とは言っても、ロイアにそれは出来ないのだ。ブリューナクにはドラゴンを倒すほどの破壊力がある。そんな武器を全力で使ってしまったら、ヴァルマ自身を殺しかねないのだ。ロイアは俺達と同じで、あくまでヴァルマの暴走を止めるのが目的で戦っているのだ。
『ヲヲヲヲヲヲヲヲヲ!』
 突然、獣じみた咆哮が辺りに響き渡った。
 ハッ、とロイアが声のした方を見上げる。
 今、ヴァルマに弾き飛ばされたブリューナクが宙をうろうろと浮かんでいる。それはまるで、自分を弾き飛ばしたヴァルマに対して怒りを露にしているかのようだ。
「いけない! 戻りなさい!」
 危機迫った様子で叫ぶロイア。だがブリューナクはその指示には従わず、くるっと回転し槍先を再びヴァルマに定めた。
 と、その時。突然ブリューナクの形が歪んだ。まるで粘土のようにうごめいたかと思うと、槍の形をしていたはずのブリューナクは球状に形を変えた。
 変形が終わるなり、ブリューナクはこれまでよりも数段激しく発光しながらヴァルマ目掛けて突進していった。
 その姿はまるで小さな太陽のようだった。あれがドラゴンを倒したブリューナクの姿なのだろう。
『警告! 魔槍ブリューナクの攻撃レベルは35です。魔術障壁の防御限界を超えています』
「ほう、そうでなくてはな」
 自分に向かってくるブリューナクを、ヴァルマは平然とそれを見据えている。
 ちょっと待て! 障壁で防ぐ事が出来ないって事は、直撃が確実って事じゃないのか!?
 ドラゴンすら屠る、魔槍ブリューナクの高熱。それが人間に直撃したら一体どうなるのか。脳裏を過ぎった光景を、俺は慌てて振り払う。
「やめなさいブリューナク! お願い、言う事を聞いて!」
 だが、そのロイアの叫びも虚しく、小さな太陽と化したブリューナクはヴァルマを直撃した。



TO BE CONTINUED...