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「さすがにこればかりはガンバンテインでも防ぐ事はかなわないだろう?」
漆黒の短い杖を指の間でくるっと回し、ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる。
ヴァルマは再度くるっとレーヴァンテインを回し、それをしっかりと右手に握り締めた。
「『我が右手に宿れ王者の炎』」
と、詠唱。
瞬間、バシュッという激しい噴射音と共に、ヴァルマの手首から先が炎に包まれる。
「『王者の炎は全てを屠る覇者の炎』
炎は間欠泉のような勢いで半身ほど先に向かって噴出し、赤からオレンジ、そして白へと変色していく。炎の温度が著しく高温になっているためだ。
間欠泉のように手から炎を噴出しているその姿。それはまるで、炎の剣だ。
これが神器『レーヴァンテイン』の力だ。レーヴァンテインは、たとえ魔術の心得がなくとも起動韻詩を詠むだけで炎の剣を作り出す事が出来る。しかも、これはあくまで魔術ではないため、たとえガンバンテインにより生成された魔力絶対不可侵のフィールドであろうとも関係がないのだ。
「さて。まずはガイア、貴様からだ。索敵調査、開始」
『了解いたしました、マスター』
左手に抱えたMの書がそう答える。
Mの書はぼうっと同心円状の光を浮かべ、なにやら聞いた事のない言語をぶつぶつと話し始める。こんな状況でなければ、もうちょっとメルヘンチックにも見えただろう。
「セシア、あの本は一体何なんだ?」
「神器『Mの書』……最悪の神器よ。ヴァルマとの相性が合い過ぎてる。Mの書自体に攻撃力はないけど、Mの書には優れた情報収集能力と予測、分析、判断能力があるの。つまり、Mの書を相手にするって事はこちらの手の内は全て読まれるのと同じよ」
ヴァルマは断片的な情報から、物事の全容を推理する力に優れている。そんなヴァルマに手の内を知られてしまうという事がどれだけ恐ろしい事か。情報というものは、収集力と即効性に優れていれば最強の武器になりうるのだ。
と、その時。
俺の胸の辺りにぼうっと同心円状の光が浮かび上がった。驚いてその光に触れてみるが、指はすり抜けるばかりで触れられない。
『ターゲット捕捉。これより調査開始します』
どうやらこの光はMの書が俺に当てている捕捉のためのもののようだ。
こうやっていても仕方がない。
ヴァルマを止める方法はただ一つ。意識を喪失させるしかない。
俺はセシアが張ったフィールドから飛び出し、魔素を特殊な呼吸法で体内に取り込む。
「行くぞ、ヴァルマ!」
俺は体内で魔素を魔力に変えながらヴァルマに突進する。
『対象、ガイア=サラクェル。魔素吸収率は予想最大許容量の20±5%。予測される攻撃レベルは5。要注意』
「フン。なんだ、そんなものか」
ヴァルマは炎の剣を構え、そして俺の突進に合わせて振り下ろす。
「はああっ!」
俺は気合と共に左手に小さく集中的に結界を展開する。その僅かな領域でヴァルマの振り下ろした炎の剣を受け止める。しかし、それでもレーヴァンテインの灼熱の刃の熱がじんわりと伝わってきた。
「ヴァルマ、いい加減にやめろ!」
「黙れ。私に指図するなと言っただろう」
「どうしてだ! 何故俺達がそんなに信用できない!?」
「信用しろという方が無理な相談だ」
「この分からず屋め!」
俺は魔力を足に集中させた。
『魔力の流動に変動が見られました。集中部分はガイア=サラクェルの右足です』
Mの書の言葉に構わず、俺は右足をヴァルマに振り上げた。
「吹っ飛べ!」
咄嗟にヴァルマはMの書を抱えた左手をくの字に曲げて防御体勢を取る。俺の右足は丁度、ヴァルマの二の腕を捕らえた。刹那、俺は右足に集中させた魔力を一気に開放する。小規模だが局地的な爆発が、俺の右足とヴァルマの腕が衝突した場所で起こった。
俺の得意な火の魔術の高度な技だ。火はゆっくりと燃えるものだが、急激にある一定区内を燃やす事によって、莫大な高熱と風圧を起こす。即ちこれが爆発の原理なのである。
間髪入れず、再度魔素を吸収、イメージを与えて魔力に変換し、今度は左足に集中させる。右足を振り切った勢いで、腰を軸に上体を回転。軸足を左足から右足に切り替え、今度は左足による回し蹴り。左右の足による二段構えの連続攻撃だ。
「ほう、意外とやるな」
が、二発目の蹴りは空を切った。
避けた!?
そう思った次の瞬間、ヴァルマの膝が俺の腹を捉えた。
なんとか鳩尾だけは避け、カウンター気味に入ったため派手に後ろに吹き飛ばされたが、うまく体勢を整えて着地する。
「さすがにアカデミー時代のままという訳ではないか」
ヴァルマの左袖はボロボロになっていたが、ダメージはほとんどないようだ。さすがに俺も、気絶させるのが目的なので全力ではなかったが、全く平然とされているのには驚きを隠せない。
「だが、その程度ならば障壁すら必要ない」
ニヤッと余裕の笑み。
そんなバカな、何故効かないんだ?
幾らヴァルマでも、魔術を生身の体で受けて平気でいられるはずはない。魔術は突き詰めれば、自然現象の延長線上にある物理的衝撃だ。単なる物理的衝撃ならば、柔軟性のある人体にとっては防ぐ事は十分に可能だ。しかし、ある一定以上の高温や低温にはそれほどの衝撃がなくとも耐えられないのが普通だ。第一、魔術の生み出す破壊力は人体では防ぐ事が出来ないほど強力なものであるはずなのに。何故、直撃を食らったにも拘わらずああも平然としていられるのだろう。
……とにかく、なんとか早くヴァルマを黙らせなければ。
風の吹き付ける音がより一層強くなってきた。竜巻がもうかなり近くまで迫ってきている。
俺は魔素を先ほどよりも多く取り込んだ。もはや手加減はしていられない。
『ガイア=サラクェルの攻撃レベル修整+4。精神侵蝕度は50%を超えます』
Mの書が明確に俺のデータを分析していく。
半分も侵蝕されているという事は、これ以上俺自身にも時間がないという事だ。そろそろ異様な精神の高揚を感じ始めて来る頃だ。やはり気持ちが動揺しているせいか魔力の侵食がやたら早い。うっかり一線を超えて暴走してしまったら元も子もない。
魔力を両腕に収束し、突進。
「己の力量も分からぬとは、哀れなものだ」
ヴァルマの周囲に水球が生成される。今度は先ほどのように無数にではなく、巨大な水球が一つだけ浮かんだ。
「『我が敵を飲み込め』」
すると、巨大な水球が俺に向かって突進してきた。捕縛系の魔術、水牢だ。あれに捕まれば、本物の水牢のように動きを拘束されたまま溺れ死にさせられる。
だが、そう簡単に捕まる俺ではない。
『ターゲット、ロック。ガイア=サラクェルとの衝突まで、後1.02秒』
ヴァルマは俺がこの水牢をかわした所を狙ってくるつもりなのだろう。
だったら。
俺は左手を前に突き出し、障壁を展開。ただし、普通の障壁ではなく、流線型の変則的な障壁だ。
「右か? 左か?」
『ターゲット確認……正面です』
「何?」
流線型の障壁ならば、水牢を突き破る事は可能だ。水が元の位置に戻る前に駆け抜けてしまえばいいのだ。
「くっ、おのれ!」
「遅い!」
完全にヴァルマの裏をかいた。
俺はなおも障壁を張り続けたまま、迷わず突進。そのまま、レーヴァンテインを振り下ろす暇も与えずヴァルマに障壁ごと体当たりを浴びせる。
「これで終わりだ!」
ヴァルマの表情が衝突の衝撃で苦痛に歪む。すぐさま俺は障壁を解除し、続けざまに右手でヴァルマの鳩尾を一撃。同時に、温存していた魔力を開放する。
耳も張り裂けるような爆音と共に、ヴァルマの体が激しく吹っ飛んだ。
まったく手加減はしなかった。もしかしたら障壁を張って凌いだかもしれないが、それでもあの距離からでは大きなダメージは避けられないはずだ。これならさすがにヴァルマも動けなくなったはずだ。
心臓が激しく高鳴っている。
疲労と、そして興奮だ。
まずい……かなり魔素に理性を侵蝕されてきた……。
取り敢えず、今はまだその事に気づけるだけの理性は残っているようだ。
さあ、次はリームとシルフィを止めないと……。
が。
「少々甘く見ていたな」
その時。
完全に決まったと思っていたのだが、ヴァルマはゆっくりと立ち上がった。
上着の前面が酷く焼け焦げている。俺の魔術が直撃した証拠だ。にも拘わらず、ヴァルマはいたって平然としている。
「攻撃力だけで貴様を評価したのがそもそものミスだったようだ」
ばしゅっ、と音を立ててレーヴァンテインの炎の剣が長く伸びる。
『マスターの負傷率は3%以下の極めて軽微なものです。精神侵蝕度は60%を超えました。情緒が不安定なため、普段よりも侵蝕率が高まっています』
驚く事に、Mの書の診断ではヴァルマはほぼ無傷に近い状態なのだそうだ。信じられない。俺はまったく手加減しなかったのに。
確かにアカデミー時代では、俺は平凡な成績の魔術師、ヴァルマは次席で卒業した優秀な魔術師だ。しかし、ここまでの実力差があるはずがない。あの距離で直撃だったのなら、たとえ誰であろうともかなりのダメージは避けられないはずだ。物理的に無傷でいられるはずがない。もしそうならば、人間は火傷とは無縁の生物になってしまう。
こいつ、一体どうなってんだ……?
一方、
「退くなら今の内ですよ? 神器を持った人間に勝てるつもりですか?」
対峙するリームとシルフィは、もはや完全に臨戦体勢に入っていた。
「神器? そんなモンに頼ってるヤツになんか、私は負けないわ。アンタこそ、殺されたくなきゃ邪魔をしないで」
沈黙。
と―――。
二人同時に前に踏み込む。
「ハアァッ!」
先に手を出したのは、僅かにスピードが上だったリームだった。
リームは自分の間合いを取ると、いきなり全力で拳撃を繰り出した。
シルフィは自分の攻撃は間に合わないと判断し、二本の剣を十字に重ねリームの拳撃を受け止める。ギィン、と激しく金属のぶつかりあう音。リームは手甲をはめているとはいえ、リーチは圧倒的にシルフィに劣る。だが、リームの間合いでは逆にシルフィの長さは仇となり、攻撃の速度に差が生じる。時間にすれば僅かなものだが、二人ほどの実力者にとっては致命的だ。
互いに破壊力は同等。後は、いかにして自分の間合いで戦えるかが勝敗のカギだ。今、間合いを支配しているのはリームだ。
「フン、大した速さじゃないわね」
リームが目にも止まらぬコンビネーションを次々と繰り出してシルフィの動きを封じていく。
シルフィは防御を強制され、攻撃を完全に封じられていた。リームの体捌きの前には迂闊に攻撃する事も出来ず、また、たとえ繰り出したとしても、体重も乗っていない攻撃ではあっさりと手甲に弾かれてしまう。
一度張り付かれてしまうと、格闘師ほどやりづらい相手はいない。全身が全て武器になりうるため、素早く相手の攻撃を見極めなければあっという間に終わらされてしまうのだ。
「さあ、どいてもらうよ!」
リームはとどめと言わんばかりに、左足を軸にし、膝から始まる螺旋運動を腰、右腿の順に伝え、鋭い胴払いを放った。
「気がはやっていますよ」
が。
シルフィはまるで初めからこうなる事を予測していたように、ふわっとまるで体重が存在しないかのように跳躍する。
リームの胴払いはシルフィの足の下を通り過ぎる。
シルフィは右手の剣を上段に構え、そのまま自分の落下に合わせてリームに叩き落す。
しかし。
リームはそれよりも一瞬早く両腕をクロスさせ、手甲によってその一撃を受け止めた。
その時。
シルフィの口元が僅かに綻ぶ。
「『冥界の調停者の裁きは絶対の理』」
起動韻詩。
瞬間、シルフィの神器『閻魔の伏剣』が異様な光を放った。
「!」
突然、リームは表情を変えた。
閻魔の伏剣には、触れている相手の体の自由を奪いさる呪縛の力が備わっている。リームは今まさにその力の餌食となったのだ。
その隙を逃さず、シルフィは左手の脇差を真っ直ぐに繰り出す。
「らああああっ!」
だが、リームは気合で強引に呪縛を解き、その突きを十字に重ねた腕で防御体勢を取り迎え撃つ。
激しい金属の衝突音。
しかしその音は聞こえる事はなかった。
「くっ……」
シルフィの繰り出した脇差は、あっさりと手甲を突き破り重ねた両腕を串刺しにしたのである。
「神器相手にしては上出来ですよ」
しっかりと両腕を貫いた事を確認すると、シルフィは脇差を強引に抜き去る。同時に、リームの両腕から血液が降り散った。あのケガでは、もはや腕は使う事は出来ないだろう。
「『疾くと走れ』!」
と、そこに、横から三枚の風の刃がシルフィ目掛けて走る。シルフィは咄嗟に背後へ飛び退き、間合いを取って構える。
「下がって!」
そう叫んで、グレイスはリームとシルフィの間に割って入った。
グレイスの右手には目に見えるほどの風が渦巻いている。グレイスが得意とする風の魔術だ。
「シルフィ。その脇差、ただの剣じゃなさそうだね」
油断なく身構えながらグレイスはそう問うた。しかしシルフィははっきりとその問いには答えず、長刀を攻撃、脇差を守備の型に二刀流の構えを取る。
「ヴァルマ!」
突然、セシアはフィールドを張ったままそう声を張った。
「紛失神器リストには、ブリューナク、Mの書の他に、至玉『魔宝珠』、邪剣『ザンテツ』の名前があったわ。あなたのその異常としか思えない体の頑強さは魔宝珠の効果、そして、難なくリームの手甲を突き破ったシルフィの剣はザンテツの脇差でしょう! 違う!?」
また、神器だ!?
確かにヴァルマの頑強さは異常だ。あれはもはや人間の域ではない。だが、それが神器によるものとは。じゃあ、まさかこいつはロイアの襲撃に便乗して第三宝物庫から奪った神器はMの書だけじゃないというのか。
「さすがに君は鋭いな。私を抜き、主席で卒業しただけの事はある」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべるヴァルマ。
と、ヴァルマはボロボロになった自分の服にレーヴァンテインの炎の刃を向けた。サッ、と触れるか否かの所で素早く撫でる。すると、ヴァルマの服は瞬時に真っ黒に炭化し、ボロボロと崩れ落ちていった。
「な、それは―――!」
服の下から、引き締まった筋肉のついたたくましい胸があらわになる。
その胸の中央付近、およそ心臓の辺りに、本来ならば人体にはありえないものが埋め込まれていた。
青く淡い光を放つ、丸い宝石だった。
TO BE CONTINUED...