悲嘆しているであろうロイアを一人部屋に置いておくのは非常に胸が苦しかったが、翌朝まで一人にさせて欲しいそうなので、俺は後ろ髪引かれる思いを断ち切って部屋を後にした。
　とにかくロイアが不安でならなかった。思い余って自殺はしないだろうが、それに匹敵するほど自分を精神的に追い詰めやしないかと気がかりでならなかった。しかし、こういったお節介は頭に浮かぶものの、肝心の具体的手段はいつも持ち合わせていない。そんな俺には、どうやら理想ばかりを並べる夢想家の資質があるようだ。
　と、部屋を出るとすぐそこにセシアの姿があった。どうやら廊下でわざわざ待っていてくれたらしい。
「ロイア、どう？」
　その質問に、俺はなんとも答え難く、ただ、笑みとも苦味とも取れる曖昧な表情を浮かべるしかなかった。
「取り敢えず戻ろう。廊下は冷えるから」
　こくっとセシアはうなずく。俺は手のひらに魔術で炎を作り出し、それを頼りに連れ立って自分達の部屋へ歩き出した。
「なあ、ロイアの持っていたあの槍。ブリューナクだったっけ？　あれって本当に神器なのか？」
　セシアはアカデミーの四回生の頃は、その優秀さから神器開発と研究に携わっていたため、普通の生徒よりも神器に関しては造詣が深い。実際にどんな活動をしていたのかの明細や神器についての機密情報は外部に漏らす事ができないが、当り障りのない範囲でなら話してくれる。
「ええ。魔槍ブリューナク。源流神器、灼熱の毒槍『屠殺者』から発展した、正真正銘の神器よ」
　屠殺者の話ならテキストで読んだ事があるので知っている。これまでに開発された神器の中で最も開発された時代が古い、源流と呼ばれる神器の一つだ。現在の神器は、全てこの源流から発展、派生していったものなのだ。
　屠殺者はとにかく兵器としての能力を追求し破壊力を求めた結果、開発されてしまった失敗作だ。屠殺者は戦闘時は凄まじい高熱を際限なく発する事が出来る。記録によれば、暴走により小さな街一つを蒸発させてしまった事もあるそうだ。そして更に、使用者が勇敢に戦えるように精神干渉機能も付加させたのだが、それがうまく機能しなかったらしく、屠殺者を持つ者は皆、例外なく異常なほどの破壊衝動に駆られて暴れ回ったそうだ。
　破壊力の面では何ら問題はなかったのだが、兵器としては全く使い物にはならなかったのだ。制御出来ない神器なんて、単なる爆弾と一緒である。
「あの屠殺者の後継機か……。だったら、ドラゴンぐらいは倒せても不思議じゃないな」
　ドラゴンに物理的な破壊力をぶつけたところで、金剛石のような鱗に阻まれ、何の効果も示さない。しかし、障壁をも打ち破るほどの威力を持った熱をぶつければ、理論上は倒す事もそうは難しくはない。しかし、それだけの熱を生み出すには相当の魔術を使わねばならなくなるが、それを簡易的に実現するのが神器という兵器だ。
「ブリューナクは屠殺者の破壊力を押さえ、扱いやすさを重視して開発された槍。精神干渉機能は外され、代わりに槍自体に原始的な自我を植え付け、高度な意思伝達制御、つまり言葉によるリモートコントロールを実現させようとしたの。だけど、結局はうまくいかなかったって記録資料には書いてたわ」
「うまくいかなかった？　どんな風にだ？」
「詳細は書かれてなかった。もっと機密ランクが上の書類を閲覧できたら分かったんだけど。まあ、推察するに、意思伝達の辺りがうまく機能しなかったって所じゃない？　それに、常に安定した出力を出せたのかどうかも疑問だし」
　ロイアは、そんなとんでもないものを持って、しかも使っているのか……。
　幾ら神器でも、俺にはそんな度胸はない。超人的な力が得られる神器というものは非常に魅力的ではあるが、それはあくまでその力が自分の思い通りになったらの話だ。
「ロイアのヤツ、なんでまたそんな物騒な神器を選んだんだ？　もっと他にイイヤツがあったと思うんだが」
　セシアのもそうだが、最近になって授与されている神器は皆、出力の安定した非常に安全なものだ。それだけ、源流神器を開発していた頃に比べて技術が進歩したのである。
「攻撃力で選んだんじゃない？　実際、アカデミーにあった神器の中で、ドラゴンを倒せるだけの破壊力を持った神器なんてそうはないもの。それに、ロイアは槍闘士だし。第一、危険だって分かっていても選ぶ他なかったんじゃないの？　その……口に出すのは気が退けるけど、黙って何もしなかったら、それこそただ死ぬのを待つだけだったみたいなんだし」
　死―――。
　俺達のような生活をしている者にとっては、非常に身近な存在だ。今日の寝床が明日の棺桶になってもおかしくはない。
　そして、俺達の間に沈黙が訪れる。
　ふと頭の中に、ロイアの放った悲痛な言葉が浮かび上がった。
　私、怖いんです。
　気丈なロイアからこぼれた、俺が聞く中で初めての弱音。
　だけどそれは、人間にとっては誰しもが抱く死への圧倒的な恐怖だ。ロイアはそれから逃れたい一心で、ああいった一抹の行動に出たのだ。自身に迫る死の恐怖と仲間を裏切りたくない想いの二律背反。しかし、無情にも想いは恐怖に負け塗り潰された。そして生まれ出でてしまったのが、塞ぎようのない確執と癒えない傷。
　かといって、一体誰がロイアの行為を咎められるだろうか？　確かに仲間を売るなんて誉められた事じゃないけど、迫り来る死への恐怖の大きさは、追われている本人にしか分からないのだから。
「ねえ、私、少し疑問に思う事があるの」
「疑問？」
　ふと沈黙を破って話し出したセシアを向く。
「ロイアが襲撃したっていう第三宝物庫。あれについての報告書を読んだ事があるの。ほら、あの時、少しでも情報があった方がヴァルマも良い作戦が立て易いと思って」
　グレイスの名誉回復運動をしていた時の事だ。あれの一番の活躍者は、作戦総指揮を取ったヴァルマだ。
「本当は見ちゃいけない資料だったんで、急いで読んだからちゃんと憶えてないんだけど。あの時ね、第三宝物庫から盗まれたのって、ブリューナクだけじゃなかったらしいの」
「は？　ブリューナクだけじゃない？　じゃあ、ロイアが嘘をついてるって事になるじゃないか」
「うん……でも、ロイアのあの様子じゃ、とても嘘をついてるようには見えないんだけど……」
　だけど、納得がいかない。セシアの表情がそれを物語っている。
「ブリューナクの他に、神器、資料が幾つかなくなっているらしくて……。宝物庫が襲われて成功した事件ってあれぐらいしかないから、もしかすると」
「セシア」
　と、俺はセシアの言葉に自分の言葉を被せて制止させた。
「もうやめろ。俺は、仲間を疑いたくないんだ。真実は、さっきロイアが話した事で全てだ」
「……そうね。私きっと、あんまり急いでいたから読み間違っただけかもしれない」
　そう微苦笑を浮かべるセシアを、俺は炎が浮かんでいるのとは反対の手でそっと抱き寄せた。
　なんだか、酷く不安で仕方がなかった。
　それはロイアに対するものだけではなく、俺達全員に対して。
　これまで俺達は、どんなに派手にケンカしてもすぐに仲直りしていた。そして、それを機に互いの理解をより深め、一層強い仲間という絆を作り出していた。なのに今は、逆に俺達の絆が希薄になってくような、あっという間に散り散りバラバラになってしまいそうな、そんな不安感でいっぱいだった。こんなに傍にいるセシアでさえ、こうして体温を感じていなければ落ち着けないほど不安感は増長し俺を支配している。
　どうしてこんな事になったのだろう……？
　神様でもない限りこの問いかけには答える事は出来ないだろうけど、そんな無意味な質問さえ、今の俺には振り払う精神的余力はなかった。


　翌朝。
　雨は今日も強く降り続き、とても出発できそうな天候ではなかった。風も相変わらず強く吹き付けていて、あちこちから窓や壁がきしむ音が聞こえる。
　今朝も、俺達は昨日も集まっていた食堂の席へ座った。
　しかし、昨日の今日という事もあってか、雰囲気は張り詰めて冷たかった。
　ひどく居心地が悪かった。互いに話し掛ける事もほとんどなく、たとえ話し掛けたとしても、そんな気はないのだが二言三言で会話は途切れてしまう。
　一同ほとんど無言のまま、気まずい朝食を終えた。
　と、ロイアが視線を避けるようにそっと立ち上がり、自室の方へ引き返していった。
　一番辛いのはロイアだろう。なんせ、俺達がこれまでタブーにしてきたあの事件の主犯だったのだから。俺達と居るのは気まずくて仕方がないだろう。
　俺達にはロイアをこれ以上責めるつもりは全くなかった。いや、リームだけは珍しくおとなしくて、未だにロイアに敵意を持っているのか否か、俺には計り知れなかった。
　ロイアが去っていって間もなく、ヴァルマ達もゆっくりと席を立ち二階へ上がって行った。さすがに三人もこの空気には居心地が悪かったのだろう。
　食堂には、俺達の他にリームとグレイスだけになった。
　だが、四人になっても会話が始まる事はなかった。初めてここに八人が再会した日は、日長話しても尽きない話題で談笑が絶える事がなかったのに。
　どうしてこんな事になってしまったのだろうか……。
　そうこうしている内に、リームがグレイスを連れて二階へ行ってしまった。たとえ四人だけだとしても、やはりこの気まずい空気には耐えられなかったようだ。
　遂に二人きりになってしまった食堂。俺は悪い夢を見ているような気がしてならなかった。
　どうしてあんなに仲の良かった俺達がこうもいがみ合わなければならないのだろう？
　もう、元に戻れないのだろうか……？
　残ったのは、そんな儚い願いだけだった。
「ガイア……私達も部屋に戻ろっか？」
「そうだな……」
　セシアがそう寂しげに問い掛けた。
　俺はただ、小さな声でうなずくだけしか出来なかった。