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 そして俺達は、どことなく気まずい雰囲気のままそれぞれの部屋に戻っていった。
 部屋に戻っても、俺はグレイスの事は黙っていた。喋りたい、という衝動に駆られる事はなかった。むしろ、早く忘れてしまいたい、とさえ思った。
 きっと俺はもう、グレイスをこれまでのように見る事は出来ないだろう。
 どんな理屈を並べた所で、必ず頭の片隅には、グレイスをヴァンパイアとして、自分とは違う魔族として見る目があり続ける。二度と、以前のように純粋に友人として見られないかもしれない。そんな自分が、酷く心の狭い惨めなヤツに思え、自己嫌悪に陥った。
 本当の事を言えば、俺はあまり自分が好きではない。
 理想像とかけ離れ過ぎている、というのもあるが、自分で自分に幻滅し落胆させられる事が多々あるからである。そこに更に邪眼の事も加えれば、どうしてもネガティブな思考に陥りやすくなる事からは逃れられない。
 俺は、本当にくだらない人間だ。


 翌朝。
 俺達は昨日とほぼ同じ時刻に食堂に降りて来た。
 リームの様子に変わった所は見受けられなかった。おそらくグレイスは、リームには俺との事は伝えていないのだろう。
 昨夜のグレイスの口振りからして、一回の吸血量は相当なものらしい。リームに貧血気味の様子は感じられないが、それは血が有り余っているからではなく、単に無理に元気に振舞っているだけなのかもしれない。
 本能のままに生きる粗雑な人間だと思っていたけど、まさかそんな献身的な一面があるなんて。
 人間は、一生の内に人一人救えるか救えないか程度の力しか持っていないそうだ。だがリームは、確実にグレイスを血の呪縛から救っている。自らの体を張る事で。
 そういえば、俺は何をしているだろうか?
 セシアには世話になってばかりだけど、俺からはどれだけの事をしてやれているだろうか?
 俺は、みんなの事をとやかく非難出来るような立派な生き方はしていない。
 楽しげにみんなが談笑しながら朝食を取る傍らで、俺はコーヒーをぐるぐるとかき回していた。
 コーヒーの黒とミルクの白が螺旋を描きながら互いに交わりあっていく。そして最後には完全に溶け合い、柔らかなブラウンとなる。人間関係もこれと同じだと思う。こうやって互いがうまく交じり合う事で、綺麗なブラウン、理想的な関係が生まれていく。どちらかが強く主張したり退いてしまったりしてしまえば、綺麗なブラウンは生まれない。
 俺とセシアはどうなのだろう?
 それを考えると、酷く気が重くなった。
「ねえ、ガイア。どうかした?」
 と、そんな様子の俺にセシアが不安げに話し掛ける。
「いや、別に。なんでもないよ」
「そう。砂糖取ろうっか?」
「ああ、そうだね。頼む」
 すると、セシアは怪訝そうに表情を歪めた。
「ガイア、いつも砂糖なんか使わないじゃない」
「あ、そうだったっけ?」
「なんか本当に変よ。何かあるんじゃないの?」
「大丈夫だよ。疲れが溜まってるだけさ。ほら、昨日は散々雑務に使い回されたから」
 そう言って、無理におどけては微笑んで見せる。
 朝食が終わり、また昼食を待つだけの退屈な時間が始まった。
 一昨日から続く雨は、今朝も降り止む様子もなくザアザアと続いていた。風もまた少し強くなってきた。そういえば、そろそろ台風の起こる季節だったっけ。もしかすると、それが近づいているのかも知れない。
 みんなは退屈しのぎにカードゲームを始めた。俺も気晴らしに参加する。だが、さすがに五ゲームも消化すると徐々に飽きてきた雰囲気がみんなから発せられるようになってきた。
「ああ、もう。飽きたっ。退屈」
 と、リームが苛ただしげにこぼす。
「この雨じゃしょうがないよ。外に出ると危ないみたいだし」
「せめて、雨さえ止んでくれればいいのですけどね」
「ヴァルマ、雨を止ませる魔法なんかないの?」
「あるにはある。だが、まだ研究段階だ。効果のほどは分からない。それでもいいかね?」
「最悪、雨が続くだけでしょう?」
「いや。謎の爆発事故が起こるかもしれん」
「そんな危ないんじゃ、駄目じゃん」
 そんな他愛もない話をしながら夕暮れを迎える。今日も一日、随分と怠惰に過ごしてしまった。
 夕食。
 俺は考え事をし過ぎたせいか、あまり食欲がなかった。いや、それ以前に、楽しく談笑をかわすみんなの中へ入っていけなかった。話を振られても体面上は楽しげに軽口を叩いたりもしたが、心の中は冷め切っていて、みんなとは一線を引いていた。
 無駄に悩み過ぎている。
 自分でもそれは重々承知していた。
 だけど、一度沈み込んだ気持ちを再びいつもの場所へ引き上げるのは容易ではないのだ。俺のように、鬱っ気が強い人間は特に。
 次から次へと料理をたいらげていくヴァルマの食欲が羨ましかった。俺も、あのぐらい傍若無人に生きられたらいいのに。この邪眼のおかげで、すっかり周囲の人間に対して過敏になってしまった。俺にとって自分以外の人間は、まるでガラス細工のように壊れやすい存在だ。だからだろう、ふと思えば周囲から一線を引きがちになったのは。
 今夜も酒を酌み交わしながら宴会を繰り広げた。だが、俺にはまるでガラス越しの世界の出来事のように思えた。
 夜も更けた頃、ようやく宴はお開きとなり各自がそれぞれの部屋に戻っていった。
 俺はまたも慣れない酒を飲まされ、足元がやや危うくなっていた。平衡感覚が薄れ、普通に歩いているつもりなのにどうしてもふらついてしまう。
 セシアと部屋に戻るなり、ばったりとベッドの上に突っ伏した。
「あー具合わる……」
「また、意地張って呑めないクセに呑んだりするからよ」
「意地なんか張ってないって。ヴァルマが脅迫するんだ。すげえ遠回しに」
「そういうの、被害妄想っていうのよ」
「チェッ。冷てーの」
 ぶー、と頬を膨らます。そんな自分の子供じみた仕草に、随分と酔ってるなあ、と俺は思った。
「あれ? おかしいわね」
 と、その時。セシアがそんな声を上げた。
「どうかしたか?」
「イヤリングが片方なくなっちゃったの。朝、確かにつけたと思ったんだけど」
「どっか落としたんじゃないのか?」
「うーん、だとしたら探すの時間かかりそう……」
「じゃ、俺が下を探してくるよ。セシアは部屋ん中探しとけ」
「うん、お願い」
 俺は部屋を出た。
 真っ暗な廊下は足元もおぼつかなく、俺は照明代わりに魔術で小さな炎を作り出した。
 まあ、十中八九下にあるだろう。それもセシアの座っていた辺りに。大方、宴会の途中で落っことしてそれに気づかなかった、なんてオチだろう。
 そう高をくくって、俺は食堂へ向かった。
 と―――。
「うん……分かった」
「すみません、わざわざ」
 食堂の方から人の話し声が聞こえてきた。
 グレイスとロイアだ。
 一体何を話していたのだろうか?
 が、俺はすぐにその好奇心を心の奥へ追いやった。この好奇心のせいで、俺はグレイスを傷つけたのだから。
「あら、ガイア?」
 そこに降りて来た俺に気づいたロイアが話し掛けてくる。
「どうかなさいましたか?」
「いや、セシアがイヤリングをなくしたって言うからさ。探しに来たんだ」
「でしたら、これではありませんか?」
 そう言ってロイアが俺に手のひらを差し出した。それを左手の炎で照らしてみる。ロイアの手のひらの上にあったのは、銀細工のイヤリングの片方だった。
「そうそう、これこれ。サンキュ」
「テーブルの上に落ちていましたので、念のために私が持っていましたの。セシアのものだったんですね」
 俺はロイアからイヤリングを受け取り、それを落とさぬようにしっかりと握り締めた。
「もしかして、ガイアからの贈り物ですか?」
「そんなトコだ」
 俺は二人と別れ、部屋に戻った。二人も各自の部屋に戻る。
 部屋では、セシアがベッドを引っ繰り返して床を這いずりながら必死に探索作業を行っていた。
「あったぞ、セシア」
「え、本当?!」
 それを聞くなり、セシアは嬉しそうにパッと顔を輝かせた。俺は苦笑しながらセシアにイヤリングを渡す。
 俺があげたものを大事にしてくれてるんだ。
 そう思うと、なんだか嬉しかった。
「良かった、見つかって」
「ロイアが拾ってくれてたんだ。ちゃんと礼を言っておくんだぞ」
「なによ、子供じゃないんだから」
 ぶう、と頬を膨らませ、もう一対のイヤリングと一緒に小さな宝石箱の中へ仕舞い込んだ。直後、探し物が見つかるなり急に機嫌の良くなったセシアは、早速風呂の準備を始めた。女とは随分と気持ちの切り替わりが早いものだ。
「ねえ。ところで、ガイア?」
「なんだ?」
 着替えを出しながら、ふとセシアが訊ねてきた。
「なんか私に隠してる事あるでしょ?」
 俺には背中を向けながらではあったが、その鋭い指摘に思わず声が出そうになる俺。
 セシアは妙に勘が鋭く、よく俺はドキッとさせられるのだ。女はみんなそうなの、とか言っているが、セシアはそういうレベルの鋭さではないのだ。
「今、ギクッてしたでしょ」
「してないって。別に疚しい事なんかないぞ。俺はセシア一筋だから」
「また、すぐにそうやって誤魔化す。なにか不安事があるんでしょ? 違う?」
 やれやれ……。何もかもお見通しって訳ね。
 思わず漏れそうになった溜息を押し殺し、俺は観念する事にした。
「まあ、その、な。有り体に言うとだな、俺はセシアのためにもっと頑張らねば、って事だ」
「私のために? どうして?」
「つまり、セシアには世話になりっ放しなのに、俺は何にもしてないからさ。セシアに依存しっ放しじゃあ良くない、と思って」
 と、セシアの背中がくすっと笑った。
 そして振り返るセシア。その表情は、たまにしか見せてくれない優しげな微笑だった。
「ガイアってコンプレックスが強いのね」
「悪かったな。俺は神器なんか持ってないからな。嫌でもそうなるさ」
「あら? ガイアは私の神器が好きなの?」
「いや、そんな事はない。神器なんてオマケみたいなモンだし」
「私だって、それと同じよ?」
 セシアはそっと歩みより、コン、と俺の胸に自分の額を当てた。
「私にとってはね、ガイアって存在がすごく大きいの。大事な大事な心の支え。ガイアが思ってるよりもずっと、ガイアは私の事支えてくれてるんだよ? 気がつかないかなあ」
「そ、そうか?」
「私、割とアカデミーでは孤立してたでしょ? 下手に才能あったせいで。自分で言うのもなんだけどね。でも、もしガイアがいなかったらね、きっと途中でアカデミー辞めちゃってたと思う。ガイアって、辛い時とかにいつも私を支えてくれてたから、それで頑張れたもの。だからね、私は凄くガイアに感謝してるんだよ? こういうの、やっぱ言わなきゃ伝わらないかな?」
 セシアはそっと額を離し、俺を見上げてニッコリ微笑む。
「もっと自分に自信持ちなよ」
 そう言って、人差し指を俺の頬にぐりっとめり込ませる。
 その時俺は、どうしようもないほどセシアを抱きしめたい衝動に駆られた。
 正直言って、泣き出したくなるほど嬉しかった。
 ただ、男は泣いてはいけない、というちっぽけなプライドでなんとか涙だけは耐えていた。
 俺はそっと腕を伸ばし、セシアの体を抱きしめる。
 徐々に腕に力を込め、より強くその感触を確かめていく。
 今ほど、セシアを愛しく思った事はないだろう。
 俺はそっとセシアに顔を近づけた。
 それに、セシアは俺の意図を察知したのか、自分もゆっくり爪先立ちになって顔を近づける。
 互いの息づかいが感じられるほどの距離。
 ゆっくりと目を細め、閉じかけたその瞬間―――。
 突然、廊下からけたたましい足音が聞こえてきた。一気に雰囲気が崩れ、まるで夢から覚めたような気分になる。
 くそっ、一体誰だ?
 ドンドンドン!
『大変だよ! セシア!』
 足音は俺達の部屋の前で止まり、ドアを激しく叩いた。
「あら? あの声、グレイス?」
 ドアを叩きながら叫んでいるのはグレイスの声だ。
 普段穏やかなグレイスには珍しく、随分と鬼気迫った叫び声だ。それだけで、何かただならぬ事態が起きた事が容易に推測できる。
 俺達はすぐにドアに駆けよって開けた。
「た、た、た、大変なんだ!」
「おい、どうしたんだよ。そんなに慌てて」
「とにかくロイアが大変なんだ! セシア、急いで来て!」
「ロイアが?」
 グレイスは酷く狼狽していて、何が言いたいのかよく分からない。ただ、ロイアにセシアの法術が必要な重大な何かが起きた事は推測出来た。なんにせよ、あまり悠長な事が許される事態ではないようだ。
「とにかく、行きましょう。場所は?」
「ロイアの部屋だよ! こっち!」
 そう言ってグレイスはロイアの部屋に向かって飛び出した。
 すぐさま後を追う俺達。
 廊下は真っ暗だったが、グレイスの足音を聞けばどこをどう行けばいいのかぐらいは推察できる。
 やがて廊下の向こうに開きっ放しで明かりが漏れているドアが見えた。どうやらそこがロイアの部屋のようだ。
「あそこか!」
 迷わずその中に飛び込む俺達。
 が、瞬間。
 俺達はその場にたじろいでしまった。
 ぐちゃぐちゃぐちゃ……ズズッ。
 ロイアは部屋の隅でこちらに背を向けてしゃがみ込んでいた。
 何か奇妙な音を立てながら。
 辺りには、酷く生臭い匂いが立ち込めている。
 この音……。そうだ、ゾンビが死体を食っている時の音に似ている……。
「ロ、ロイ……ア?」
 思わず呼びかけるグレイス。
 表情は唖然として、まるで自分が思っていたのと違う事態が起きて驚いているように見えた。
「……」
 グレイスの呼びかけに、ロイアはゆっくりとこちらを向いた。
 その顔は赤黒いものでべっとりと汚れている。その赤黒いものは腕や服の胸の辺りまで飛び散っていた。
 そんなロイアの手の中にあったもの。
 それは、子供の頭ほどの大きさの、うごめく肉の塊だった。



TO BE CONTINUED...