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「あ、おはよう」
 翌朝。
 食堂に降りて来た俺達を向かえたのはグレイスだった。熱いココアを冷ましながら飲んでいる。
「おう、おはよう。相変わらずの雨だな」
 今朝も昨夜から引き続きの大雨だ。その上、風もかなり強くなったようでびゅうびゅうと切り裂くような音が聞こえてくる。
 俺達は昨夜宴会をした時と同じ席についた。
「リームはどうした?」
「頭が痛いって寝てるよ。またこりずに二日酔いになるまで呑んだから」
 昨夜は最後はどうなったのかは憶えていないが、どうやらリームはいつものように潰れて意識を失うまで呑んだようだ。そしてそのリームを抱えていったのもグレイスだろう。
 そういえば、俺はまだグレイスが酔い潰れた所を見た事が無い。リームに付き合わされて散々呑まされている姿は何度も見たが、それでも最終的に潰れているのはリームで、グレイスはいつもそんなリームを抱えて部屋まで送り届けている。もしかすると、俺達の中で一番の酒豪はリームではなくグレイスなのかもしれない。
「あら、みなさん。おはようございます」
 そこへロイアが降りて来た。
「よ、おはよう。お前にしては少し遅いな」
「昨夜は随分呑みましたので、溜まっていた洗濯物をそのままにしていたんです。ですから今、それを片付けていたんです」
 そういや、昨夜はみんな酷い格好でここに辿り着いたっけ。俺達もそろそろ本格的に洗濯しなきゃならないな。
「リームはまだ寝ているのですか?」
「ああ、そのようだ」
「まあ。グレイスって意外と情熱的なんですね」
 意味深な笑みを浮かべグレイスを見る。
「ち、違うよ! リームは二日酔いなだけだってば! 何言ってるんだよ!」
「冗談ですわ。独り者のひがみ、とでも思って下さい」
 そうだ、ロイアは割と言いたい事をはっきり言うタイプなのだ。要するに慇懃無礼なのだが、ヴァルマのような嫌味っぽさがないのは、彼女の人徳のためだろうか。
 思えば、ロイアだけ付き合っている人がいない。俺はセシア、グレイスはリーム、ヴァルマ達は……あれは兄妹というより恋人同士に近いからなあ……。ルナティックな連中だ。
 と、そこへ奥から中年の女性がやって来る。この宿屋の主人の奥さんだ。
「朝食にいたしますか?」
「いや、みんながそろってからにするよ。取り敢えずそれまで、俺はコーヒー」
「じゃあ、私はミルクティー」
「私も同じものを」
「かしこまりました」
 注文を取り、また奥へ戻っていく。
「リームは起きれるってか?」
「その内降りてくると思うよ。二日酔いの薬も飲んだし」
「用意がいいな」
「暴飲暴食はいつもの事だから。言っても聞かないんだもの。胃腸薬と二日酔いの薬は常備してなくちゃ」
 そんな生活を送っているにも拘わらず、少しも体調を崩さない辺りにリームの異常性、もとい特異性が窺われる。
「みんな、おはよー」
「みんな、おはよー」
 と、聞き覚えのあるアルトの二重奏。エルフィとシルフィだ。
 青を基調とした服を着ているのがエルフィ、緑を基調とした服を着ているのがシルフィだ。しかし、二人並んでいると本当に合わせ鏡のようにそっくりだ。服装の違いが無くても見分けられるヴァルマは、一体どこで見分けているのか疑問だ。いや、案外こいつらの事だから、ヴァルマに合わせているのかも。どうせ周りには見分けはつかないんだし。
「おはよう、みんな。今日も酷い雨だ」
 二人の後ろにはヴァルマの姿。
 おや、とみんなも意外そうな顔をする。ヴァルマはセシアとは違う理由で、朝は弱いのである。セシアのは単なる惰眠のむさぼりだが、ヴァルマは無理に起きると動悸がして貧血を起こしてしまうのだ。
「あれ? お前、起きてもいいのか? バッタリ倒れるんじゃないだろうな」
「アカデミー時代とは違うのだよ。私とて、いつまでも貧弱なままではいられない」
「いられないの」
「いられないの」
 そう言ってニヤリと笑ったヴァルマの後に続く二人。
 まあ、世界中を歩き回っていたら体も自然に丈夫になるか。よく見れば、心なしかアカデミー時代よりも血色がいい。
 三人が席に着き、更に賑やかになった。後はリームが起きてくるのを待つのみだ。
「おや? リームの姿が見当たらないが。二日酔いかね?」
「うん。いつもの如く。二日酔いに効く薬はあるけど、不摂生を直すのに効く薬があればいいんだけど」
「フッ、そんなものはこの世にありはしない。昔から言うだろう? 馬鹿につける薬はない、とね」
「あ、そっかあ。じゃあしょうがないね」
 あっさりとリームがそれである事を認めるグレイス。というより、今この場の全員がヴァルマの言葉になるほどと思ったに違いない。言葉にこそ出さないものの、目がそう言っているのだ。俺だって、リームには悪いがヴァルマの言う通りだと思ったし。
 と―――。
「誰が馬鹿だって……?」
 二階の方から、不機嫌なうなり声が聞こえてくる。咄嗟に、ヴァルマを除いたその場の全員がビクッと体を震わせた。
「うーっ……頭痛ェ」
 手すりに掴まりながら階段をゆっくり降りてきたのは、二日酔いで不機嫌そうな顔をしたリームだった。ひどくぴりぴりしているのがここからでも分かる。
「ぐえ、吐きそう……」
 リームは口元を押さえ、階段の途中にしゃがみ込む。
「わっ、ちょ、ちょっと待って!」
 慌てて席から立ち上がったグレイスはリームの元へ駆け寄った。
「早くトイレ行こう! もう少し我―――」
 リームを立ち上がらせようとしたその時。
 突然リームは弾けるような機敏な動作で立ち上がり、半病人とは思えぬ動きでグレイスを捉える。
「ぐえっ」
 驚く間もなく、リームはグレイスの背中を取りそのまま腕を首に回して締め上げた。グレイスの細い首がきりきりと音を立てそうなほど締め付けられる。
「誰が馬鹿だって? うん?」
 ぞっとするほど優しげな声でグレイスにささやくリーム。だがグレイスは、その問いに答えるどころか呼吸すらままならず、リームの腕に開放を求めてタップしている。
「おい、朝から殺人事件はやめろよ」
「大丈夫よ。活殺自在が格闘技の基本だもの。ギリギリまで踏み込むだけよ」
 お前のとこの流派の基本だよ、そりゃ。
 その後、落ちる寸前でようやく開放してもらったグレイスは涙目になっていた。だが動揺が少ない所を見ると、これもまた異常な事ではあるが、日常の些末事でしかないのだろう。
 そんな騒がしい中で朝食が始まった。
 そういえば、みんなで朝食を食べたのは久しぶりだ。アカデミーが休暇に入った時に何度かみんなで行った旅行の時ぐらいだ。
「では、ご注文をどうぞ」
 テーブルにメモを持って主人がやってきた。俺達はメニューを見ながらあれこれと朝食を選ぶ。
「俺は普通のでいいや。パンと卵とサラダ。まだ少し昨夜の酒が残って食欲ないし」
 細かいメニューはセシアに任せた。セシアは憶えてるだけでもかなり呑んだはずなのに、今はそれが嘘のようにケロリとしている。ホント、羨ましい限りだ。体質改善の法術でも編み出して欲しいものである。
「私、二日酔いだから迎え酒」
「だから駄目だってば。すみません、今のオーダーはなしにして下さい」
 二日酔いは嘘ではなさそうだが、それなのにまだ呑む気でいる。はっきり言って異常としか言いようがない。
「では、私の番だ。ふむふむ、ではこの五百グラムのステーキをレアで貰おうか。それと、シーザーサラダを三つ、ミルクも取り敢えず三ガロン。それから―――」
「おいおいおい、ちょっと待て」
 俺は思わず途中でヴァルマを止めてしまった。ヴァルマがあまりにもおかしなオーダーをするからだ。
「新手のシャレか? 悪いがあんまり面白くないぞ」
「私はこんなくだらない冗談は好まないのだが? 心外だね」
 最後にヴァルマはロールパンを十個も頼んでオーダーを終えた。
 みんなを見ると、やはり驚きを隠せない表情をしている。あの貧弱な男の見本のようなヴァルマが、軽く五人前はありそうな料理を注文したのだ。どう考えても普通ではない。
「お前、まさか今の全部食べる気なのか?」
「そうだが。何かおかしいかね? 私はいつもあれぐらい食べているが」
「おかしい。お前は朝っぱらからステーキを食うような健康体じゃなかった。っていうか、普通の人でも食べん」
「先ほども言ったが、私とていつまでも貧弱なままではないのだよ。断言しよう。君ぐらいならば、今の私は腕力で負けたりしない」
 俺は我が耳を疑った。ヴァルマが俺よりも腕力がある、と言ったのだ。風が吹いたら吹き飛ばされてしまいそうなひょろ長い体型で、いつも青白い顔で咳き込んでいる、あのヴァルマが、だ。
「よーし、言ったな。勝負だ」
 ヴァルマのセリフに思わずカチンと来た俺は、右腕の袖を捲り上げ肘をテーブルの上に置いた。
「いいだろう。受けて立とうじゃないか」
 ヴァルマは悠然とした表情を浮かべ不敵に口元を歪める。
 幾らなんでも、腕相撲でお前なんかに負けるものか。魔術でこそお前にゃ負けるが、単純な腕力じゃあ絶対に勝てる自信がある。第一、ヴァルマの腕力なんて並以下、子供と同じ、本を持ち上げる程度しかないのだ。
「ただ勝負するのは面白くないな。負けた方は勝った方の言う事を一日聞く、というのではどうかね?」
「なんでもいい。どうせ負けないし」
「そうか。では、始めようとするか」
 悠然と微笑んだまま、ヴァルマは右手の袖を捲り上げ俺の前に差し出した。
 はっ!?
 その時、俺は息を飲んでしまった。
 目の前に出されたヴァルマの腕は、俺が知っているヴァルマの腕ではなかったのだ。枯木同然だったはずのヴァルマの腕、それが今ではまるで……。
「合図を頼む」
 ヴァルマが自信たっぷりの表情で俺の手を握り締める。おそらくわざとだろう、物凄い力で俺の手を握り締め始めた。俺は決して顔に苦痛の色が出ないように耐えながら、必死で握り締め返す。
「いきますよ〜。レディ、ゴー!」
「いきますよ〜。レディ、ゴー!」
 こうなれば速攻だ!
 俺は長期戦は不利である事を悟り、双子のステレオ合図の直後、全力でヴァルマの腕を倒しにかかった。
 うっ!
 しかし、ヴァルマの腕は微動だにしなかった。まるで鉄の塊を相手にしているかのようだ。
「ははは。ガイア、手加減してくれなくてもいいのだがね?」
 何とか倒してやろうと必死になっている俺に向かって、ヴァルマは余裕たっぷりにそう言う。
 おいおい、マジかよ! なんで動かねえんだ!?
 俺はすっかりこの現実に混乱してしまった。この俺が、あのヴァルマに腕力で負けているのだ。とても俄かには受け入れ難い。
「兄様、料理が来ますよ」
「兄様、もう終わらせましょう」
「そうだな。では、それっ」
 と、まるでキャッチボールでもするかのような軽い掛け声。
 直後、凄まじい力によって俺の腕はテーブルの上に捻じ伏せられた。
「これが本当の朝飯前と言ったところかな?」
 茫然とする俺に向かって、ヴァルマはそう嘲笑を浮かべた。
 ま、負けた……完敗だ。あのヴァルマに……。
 男としての自尊心を痛く傷つけられ、がっくり落ち込む俺。その肩をぽんとセシアがなぐさめるように叩いたが、余計に自分が情けなくなるだけだった。
「さて、ガイア。今日一日、君は私の奴隷だ。しっかり御主人様につくすように」
「よーにぃ」
「よーにぃ」
 死刑宣告に等しい追い打ちが俺を打つ。情け容赦などこれっぽちもない。
 はあ……なんでこんな事になったんだろう……。
 そういえば、ヴァルマは決して勝算の無い勝負は絶対にしないヤツだったっけ。もう少し早く気づいていたらなあ。そんな思いが過ぎると同時に、俺はヴァルマの奴隷になった自分に、なにか励ましの言葉を考えずにはいられなかった。



TO BE CONTINUED...