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やれやれ、やっぱりこうなるか……。
一同の視線が俺一点に集まっている。跳ね除けたくても許されない、そんな状況だ。
「じゃ、いきます……」
俺は意を決し、コップに口をつける。中に入っているのは、甘い香りの漂う果実酒。それもあまりアルコールの強くないヤツだ。
口の中に広がる葡萄の甘味とアルコールの不快な風味。俺は顔をしかめながらも果敢に喉の奥へそれを無理に押しやる。
「おお、飲んだ飲んだ」
「やれば出来るじゃん」
偏食の子供に野菜を食べさせているんじゃないんだから……。
「ガイア、あんまり無理しない方がいいと思うけど」
と、グレイス。
「あの状況で断れるかよ。っていうか、止めろ」
いい感じに酔ったヴァルマが、俺に酒を奢るとか言い出したのだ。無論、オキヅカイナク、と俺は断ったのだが、ここでしゃしゃり出て来たのがあの双子。兄様のお酒は飲めませんか、とうざい脅迫が飛んでくる。下手に断れば、酔って元々乏しかった善悪の判断能力が更に乏しくなっている二人は、粛正と評してとんでもない目に俺を遭わせる。二人ほどの剣士ならば、そこのテーブルナイフ一本でも、肉料理が乗っている鉄板を両断するぐらい平然とやってのけるだ。ノリで髪や眉毛やらを無くす訳にはいかない。
「そうそう、本国の方、大変な事になってたって知ってる?」
「ヴァナヘイムとの戦争の事かね? 新聞に書かれている程度の事は知っているよ」
「え? ニブルヘイムってヴァナヘイムと戦争してたんだ?」
「なんだ、知らなかったのか?」
「だって、リームは新聞なんか読まないもの」
文武両道という言葉から誰よりも遠い人物だからな。そう俺は密やかに思った。
「なによ、知ってるんだったら教えてくれたっていいじゃない」
「言ったってば。でもリーム、それより今夜の夕食は? って聞いてくれなかったじゃないか」
「だったっけ?」
はて、と首をかしげるリーム。母国の事件よりも今日の夕食の方が大事らしい。リアリストと呼べなくもないが、もう少し他の事にも関心を持ってもらいたいものだ。グレイスの気苦労が窺われる。
「随分と被害もあったそうだが、結局はニブルヘイムの勝利。ヴァナヘイムはニブルヘイムに併合される形になったそうだね。まあ、当然の結果だろう。幾ら武道に優れた国とはいえ、魔術にかなうはずがない。ましてや神器が相手では普通の武具は無きに等しい」
「でもさ、ヴァナヘイムの聖騎士団の団長って、本隊の魔騎士達を一人で相手にしたって書いてたぞ。それに、神器を持ってた何部隊だったかの隊長も倒したっていうし」
「フッ。それは単に、神器を持つ器ではなかっただけの話だよ。たった一人で魔騎士を何十騎も倒した団長の力は称賛に値するがね」
悠然と笑みを浮かべ、ヴァルマは平然とそう言い放った。
「相変わらず、キツイな」
思わず俺は苦笑する。ヴァルマは国の一個師団を束ねる人間を未熟者と評したのだから。その人だって神器を贈与されるまでにかなり努力したはずなのに。しかしヴァルマにとっては、努力をしようともしなくとも、結果がそれでは未熟者と評する意外に他ない、とでもいうのだろう。
「私は現実を言ったまでだよ、現実を。神器の力を過信し、自らの精進を怠るような人間の存在は、同じ神器使いとして恥ずかしい」
「さすが兄様です」
「さすが兄様です」
そういえば、この三人も神器を贈与されてたんだったっけ。アカデミーも思い切った事をしたものだ。犯罪者と紙一重の人間に兵器を与えるようなものだから。
「今思えば、よく神器なんか貰えたよな。お前らアカデミー時代は散々やらかしてきたクセに」
「散々? はて、私には当局沙汰になった記憶はないが?」
「そうならないようにやったんだろ?」
「犯罪と立証されなければ、犯罪ではないのだよ」
クックック、と不気味に笑うヴァルマ。その表情は、街中を粋がってうろつくチンピラの類ではなく、本当にその道を極めてしまった悪人のようだ。深入りはしない方がいい。
「第一、君も私の研究に協力してくれた事だってあっただろう?」
それに関しては反論の余地が無い。確かに俺は、ヴァルマの魔術研究に協力した事がちらほらある。目的は、ヴァルマに魔学のノートを貸してもらうためだ。俺の本来の成績は下から数えた方が早く、時折こうしてヴァルマにノートを貸してもらう事によって何とか成績を維持してきたようなものだ。
俺に与えられた仕事といえば、大体は野草や鉱石の採掘だ。それがどういう使い道で使用されるのかまでは知らないが、あまり大声で言えるようなものではないのは確かだ。
「一度、お前がよく使ってた第二十三研究室が謎の事故で爆発した事があったよな?」
普通ならば爆発を起こした張本人であるヴァルマに請求書が行くはずだが、何がどうなっているのか、爆発自体は原因が不明のまま迷宮入りになり、結局アカデミー側が修理代金を負担したのだ。もっとも、その裏でヴァルマが暗躍していたのは言うまでもない事だが。
「人類の発展の影には、こういった些細な失敗がつきまとうのだよ。それに、どうもあれは君が採ってきた月光花に原因があったみたいでね。ちゃんと新月時に採取するように言ったのに、どうも一日ずれていたようだ」
「修理代は随分かかったそうですねえ」
「保険は適用されなかったそうですねえ」
「おやおや。アカデミーの予算にはそんなに余裕がなかっただろうに。理事長には気の毒な事になったねえ。一体どこの誰に責任があるのやら」
と、意味深に俺の方へ視線を向ける三人。
「べ、別に関係ないだろ。謎の爆発事故だったんだから」
「そう、それでよろしい」
俺の返答に満足そうに笑みを浮かべ、ヴァルマは残りの酒をあおった。そもそも、爆発するような研究をする奴が悪いのだが、そこまで言及したって俺には何のメリットも無い。ヴァルマの前では沈黙が最良の選択だ。
「ヴァルマのそれもありますが、アカデミー時代には色々な事がありましたわね」
何故か断定系のロイア。しかし、一同はスルー。
「ああ、あったあった。私の牛殺し熊殺しに百人組み手」
説明不要の、アカデミー創立以来の猛者という称号を得たリームの伝説だ。
「吸血鬼騒動、上級生同士の園内抗争もあったね」
吸血鬼騒動とは、アカデミー内で通り魔事件が起き、その被害者が大量の血液を失っていた事からついた名前だ。皆、首筋には牙の痕があり、そこから血液を吸われたらしい。犯人は突然後ろから襲い掛かり、あっという間に首筋に牙を突き立て吸血していったという。もっとも、死人は出なかったし犯人も事件の真相も分からず、やがてぱったりと音沙汰が無くなったというなんとも中途半端な結末だったが。
上級生同士の園内抗争は激しかった。生徒による自主管理を目的としてアカデミー内には生徒会という機関が存在した。園内の風紀、規則等を主に司っている。だが、その生徒会の中に旧体制を改めようとする動きが現れ、生徒会はハト派とタカ派に分裂、派閥は生徒達にまで及んだ。全盛期は凄まじかった。普通に歩いているだけで突然呼び止められ、ハト派かタカ派か問われる。そこで運悪く敵同士だったりすると、そのまま問答無用の粛清が開始される。俺は訊ねられた時はいつも『下級生ですから分かりません』と答えて逃げていた。
「確かロイアも、理事長室半壊させたんだったよね? 槍投げ誤射」
「もう。思い出させないで下さい。恥ずかしい」
「それに、宝物庫の事件なんかもあったな」
と―――。
俺の言葉に一同が一斉に息を飲み視線を集めた。和やかだった場の空気が一瞬にして凍りつく。
「あ……悪い。つい、うっかり……」
瞬時に事を理解した俺は慌ててみんなに詫びる。それだけは触れてはならないものなのだ。
「い、いいよ。もう過ぎた事だから」
グレイスはそう言って、場の空気がこれ以上重くならないようにと取り持つ。
「では、ガイアにはもう少し飲んでもらおうかね? 世話になった感謝の印として私がもう一杯奢ってあげよう」
ヴァルマがグレイスをフォローする。それでどうにか空気が綻んだ感じになった。
宝物庫の事件は、俺達の中ではタブーになっている。俺はそれを忘れた訳ではなかったが、久しぶりにみんなに逢えた嬉しさで気持ちが緩み、無理に飲んだ酒も乗じて、ついうっかり口を滑らせてしまったのだ。
「さあ、遠慮はいらないよ? 思う存分、味わってくれたまえ」
そして、それに対する罰かのように、麦酒が並々と注がれた大きなジョッキが俺の目の前に出された。
ヴァルマにそう言われてしまっては断る訳にはいかない。エルフィシルフィに粛正されるよりは、飲めない酒を無理にでも飲む方がずっとマシだ。単純な生存率の比較である。
「ガイア、たまには男らしいトコ見せて」
隣に座るセシアはかなりいい具合に酔って機嫌が大変よろしい。一瞬助けを求めようかと思ったが、この様子では当てにはならない。
しゃあねー。飲むか……。
うんざりした気持ちになりながら、俺はゆっくりジョッキを手に取った。
TO BE CONTINUED...