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 十数分後。泥だらけの格好を着替え終えた俺達は一階の食堂に集まった。
 積もる話は沢山ある。一年ぶりの再会を喜びつつ、今夜は飲み明かす事になったのだ。もっとも、俺は飲むのだけは賛成しかねるが、大体その辺りは有耶無耶にされるだろう。
『乾杯!』
 大きな嬌声と共にジョッキのぶつかり合う音が響く。その直後、早くもリームはあっという間に一杯目を飲み干してしまった。俺達の中で一番酒好きなのがリームである。食べるのもリームだ。破壊エネルギーの源はその食欲にあるらしい。俺は強く節制を望む。
 かつて素手で熊を殺したという伝説を樹立したリームだが、その外見は同年代の普通の女性と何ら変わりない。あの細い腕のどこにそれだけの破壊力を秘めているのかは全くの謎だ。本人が言うのは、ちょっとした工夫とタイミングが凄まじい攻撃力を生み出すそうだが、どうもそれだけでは説明しきれない非常識な点が多々あるのも事実だ。工夫とタイミングだけで中身の入った酒樽を振り回せる訳が無い。
 俺は開始早々に、付き合いで注文したジョッキをテーブルの上に置き、料理の方へ手を伸ばした。飲まされる前に少しでも腹の中にものを入れておけば酔いにくくなる。ちなみに乳製品の効能は迷信だった。俺が長年培った経験で得た知識である。
「なんだ、ガイアはまだ飲めないまんまなんだ?」
「飲めないヤツは一生飲めないんだ」
 酒の消化酵素のあるなしは生まれつきに決まっているものである。俺がどんな努力をしたところで、酒が飲めるようにはなりはしない。
 既に二杯目が半分近くまで消えてしまっているジョッキを片手にリーム。
「他に、何かあまり強くないヤツはないかな? それならガイアも付き合えると思うんだけど」
 グレイスがオーダー表に手を伸ばす。
 悔しい事に、この男だか女だか分からないヤツでさえ飲めるのだ。というか、思い返してみればグレイスが我を失うほど酔った所を見た事が無い。なんだか無性に腹正しい敗北感を感じる。
「強くても弱くても、結果は一緒だからいらん。飲まないのがベストなんだ」
「今夜ぐらい付き合ってよ。どこに行っても、いつも私一人で飲むんだから」
「少しな、少し」
 とは言いつつも、絶対に逃れられない状況に追い込まれるまで、俺は飲まないつもりでいる。そう、アカデミーの卒業後夜祭の日の時みたいに、どこかの馬鹿力に無理やり飲まされでもしない限りは。
「ガイア達はハンターを続けていましたよね?」
「ああ。ロイアも確かハンターだったよな?」
 ロイアはかなりの腕前を持った槍使いだ。理事長室を破壊した事件さえなければ、神器を貰えたかも知れないほどの実力者である。槍というのは扱いが簡単そうで難しい武器だ。俺も実技講習の時間に模擬槍を持った事があるから分かるのだが、槍は突き刺すか叩くのが主な攻撃方法で、大半の槍は破壊力を上げるためにかなり重量を持たせた作りになっている。つまり、槍を扱うには技術だけではなく、それ相当の腕力も必要なのだ。ロイアはその腕力を補うために魔力を利用した生体強化の術式も習得している。魔力を放出するのが魔術なら、体内を循環させるのがその術式だ。
 魔力は一見すると万能に見えるが、実は大きな落とし穴がある。魔力は大気中に混在するエネルギー因子の一つである。それを特殊な呼吸法で体内に蓄積し、術者のイメージを与えて放出するのが魔術である。だが、魔力には特殊な性質がある。魔力は術者の精神を食うのである。大量の魔力を必要とする魔術を行う時は、それに伴って大量の精神力を消耗する事になる。もし、未熟な魔術師が極端に魔力を必要とする魔術を行えば、あっという間に精神を食い滅ぼされてしまう。精神を食い滅ぼされた魔術師は暴走してしまうのだ。
 人間には欲と伴って理性がある。その理性が精神力な訳だが、理性を取っ払われてしまえば、後は欲望のままに突き進む事になる。暴走が始まれば、自分の欲望を満たすために際限なしに魔力を取り込み放出し続ける。そして最後には、体が大量の魔力を支えきれなくなり、本人もろとも消滅してしまう。更に、生まれつき魔力を受け止めるキャパシティが極端に大きい人間もいる。こういう人間は相当精神力を鍛えないと暴走した時が恐ろしい。自爆消滅するのに通常の何十倍もの魔力を必要とするからである。そのため、垂れ流す魔術の破壊力や消滅時に起こる爆発の規模も半端ではない。こういった人間の事を、教科書にはベルセルクと呼ぶと書いてあった。こういった人間はそれほど大勢いる訳ではないのだが、それはあくまでニブルヘイムでの話である。ニブルヘイムの隣国のヨツンヘイムでは、今年に入って既に三件ものベルセルクによる局地的爆発事件が起きているそうだ。
 魔力は利便さの裏にそんな恐ろしい一面も併せ持っている。そのため、魔術を使い過ぎるのは非常に危険なのだ。俺は暴走した事はないが、魔術を使い続けると不気味なまでに自分の精神が高揚してくる感覚は幾度となく経験している。おそらくそれが、暴走への第一歩なのだろう。
「そうそう。ロイアって、まだ一人で旅してるの? 危険じゃない? 女の一人旅って」
「確かに物騒ですわね。ここに来る途中も、何度か野盗に襲われましたもの」
 そう言ってロイアはニッコリ微笑む。その柔らかな笑顔が、ロイアに襲い掛かった野盗の哀れな末路を雄弁に物語っている。まあ、運の悪い野盗もいたものだ。一見するとおっとりとして物静かなロイアではあるが、戦う時はまるで別人のように荒々しい姿に豹変する。
「リームはフリーのバウンサーだっけ」
「うん。でも、最初の仕事でちょっと派手にやり過ぎちゃって。それ以来、どうもそこそこ有名になっちゃったらしいんだ。裏の世界で。だから、仕事を依頼してくる人ってほとんどあっちの人なんだ。その内、当局にマークされそうだね」
 既に出来上がってしまい、支離滅裂な事を口走りだしたリームに代わってグレイスがそう答える。
「確かに、リームらしいといえばリームらしいが……」
「だから、それ以来僕がちゃんと見張っているんだけどね。これ以上変な伝説作っちゃったら、本格的にスカウトされちゃうかもしれないから」
「ああん? 見張る? なにを偉そうに」
 と、その言葉を聞きつけたリームがグレイスを締めにかかる。右甲をグレイスの右頬に当て、添えた左腕でぎりぎりと締め上げる。綺麗なフェイスロックだ。
「お、おい。グレイスはリームみたいに丈夫に出来てないぞ」
「だったらガイアが代わる?」
 故郷の村での事を思い出す。
 リームの実家は格闘技の道場である。幼い頃、俺もそこに通っていた時期があった。目潰し、噛み付き、急所攻撃以外は何でもアリ、一人で歩く事すら出来ない赤子にさえも殴り合わせる完全フルコンタクト制という、今思えばとんでもない方針の道場だ。
 事件は俺が七歳の頃の事である。リームと手合わせをさせられた時、それは起こった。カウンター気味にもらってしまったリームの突きが胸に入り、アバラが折れてしまったのだ。運良く内臓に突き刺さったりしなかったのが唯一の救いだ。以来、俺は道場と名のつく場所は足を踏み入れるだけで鳥肌になる。
 グレイスはほんのりと頬を赤くしながら、自分の顔を締めるリームの腕をパンパン叩く。不意に俺は、子供の頃に近所の肉屋が鶏を絞めているのを目撃してしまった事を思い出した。
「ああん? もうギブアップ?」
 つまらなそうにリームはグレイスを開放する。見た所、あまり状況は良く分かっていないようだ。
「苦労してるな……」
「もう慣れたよ」
 そう言ってグレイスは苦み混じりに笑った。どこか切ない気持ちにさせる表情である。だから俺は言ったのだ、人生設計は早期の修正が肝要だと。
 と―――。
 突然、宿の入り口が乱暴に開けられた。
「ん? 何だ?」
 そして雨の降りしきる音と共に、幾つかの人影が雪崩れ込んで来る。
「やれやれ……。なんて雨だ」
 そう長身が、つけていた旅人用マントのフードを脱ぐ。フードの下から現れたのは、見覚えのある陰気な雰囲気の長髪の男。
「兄様、早く部屋を取りましょう」
「兄様、早く部屋を取りましょう」
 続いてフードを脱いだのは、全く同じ顔をした二人の女性。
「あ! ヴァルマじゃない!」
 そう叫んだリームは、やや危なげな足取りで三人の元へ。
「おや? どこかで聞いた声と思ったら、リームじゃないか。何故、こんな場所に居るのかね?」
「おーっす、久しぶり。相変わらず陰気なツラねえ。人生楽しんでる?」
「君も相変わらずのようだ」
「兄様、他の人達もいますわ」
「兄様、他の人達もいますわ」
 雪崩れ込んできた人影は驚く事に、ヴァルマ、エルフィ、シルフィの三人だった。
 そこに物音を聞きつけて奥から宿の主人がやってくる。
「宿帳は後ほどで結構ですよ。お部屋は二つですか?」
「いや、一つでいい。三人用の広い部屋があれば助かる」  そう言ってヴァルマは主人から部屋のカギを受け取った。
「久しぶりだね、君達。かれこれ一年ぶりかな?」
 ヴァルマは相変わらず不健康そうな顔色である。雨に打たれたせいで体温が下がっているのだろう。アカデミー時代の事を考えると、命の灯火がカウントダウンしていそうだ。
「挨拶はいいからさ、先に部屋行って着替えてこいよ。お前、永くない顔色だぞ」
 ヴァルマを見ていると本当にハラハラする。アカデミー時代もよく咳き込んだり体調を崩して授業を休みがちだった。さすがのリームも、ヴァルマに何か腹の立つような事を言われても決して手は出さない。うっかりしてシャレにならない事態に及ぶかもしれないからだ。
「そうかね? ま、とにかくこの格好では寒いのは当然だからね。着替えてから参加する事にするよ」
「兄様、早くシャワーを浴びましょうよう」
「兄様、早くシャワーを浴びましょうよう」
 エルフィとシルフィにじゃれ付かれながら、ヴァルマ達三人は二階へ上っていった。
「相変わらずね」
 今の双子の発言に対する意見も含ませてのセシアの談。俺もため息混じりに無言で頷いた。
「ですが、兄妹仲がよろしくていいじゃありませんか」
「ああいう仲の良さは必要ないと思うな……」
 ともあれ、こうして俺達は一年ぶりの再会を果たした。
 あまりに偶然の巡り合わせだ。こんな、お互い何の繋がりもない、他国の田舎の村での再会。確率にしたら相当低いだろう。
 しかし、俺はこの偶然に心から喜んだ。下手をしたら、仲間とは一生逢えないかもしれないと思っていたからだ。
 神の御業とでも言うべきだろうか。なかなか粋な計らいをしてくれたものだ。



TO BE CONTINUED...