BACK

 酒の臭気を漂わせた熱気が渦巻く会場を、逃げるように飛び出す。
 今夜は卒業式後夜祭。生徒が一番活気付く日だ。悲喜こもごもあるだろうが、俺は今、最も優先させなければならない使命感に突き動かされている。それに、酒は匂いを嗅ぐだけでも辛くなるほど苦手で、しかも人込みは過呼吸になるからあまり得意ではない。
 思い返せば、入学試験を受けたのが十六歳の時。ほとんどまぐれで合格したこのアカデミー『不知火』での四年間、随分と色々な事があったものだ。
 必死になって勉強し、時折気を抜きながら、成績としては極めて平凡な魔術師として卒業する事となった。世界情勢が未だに不穏な今の御時世、魔術師として認められたのなら、どんな成績であろうとも職にあぶれる事は無い。もっとも、俺はスカウトされて公職に就くような優等生では無いのだけれど。
 夜露に濡れた芝の上を踏み越え歩く。靴が草と擦れ合うたび、きゅっきゅっと音を立てる。尚も足を前へ蹴り出し、呼吸が早まる。
 遠くから、まるで獣の咆哮のような嬌声が聞こえてくる。後夜祭の会場の方は悪乗りに半分足を突っ込んだような盛り上がり方だ。それに対し、俺の周りはうるさいほどの静寂に包まれている。濡れた芝と月夜が妙に合い物寂しげな静寂に拍車をかけるのだが、そんな状況を楽しむような風情のある性格でも無い。
 アカデミーの敷地内を抜け、校門までやってくる。どっしりと立ちはだかる巨大な石造りの校門。そして、おそらく学園長の趣味であろう、墨字を意識したであろう『不知火』という石の彫刻文字。何度も見た、未だに意図が分からない趣味の看板だが、これも今夜で見納めだ。
 俺は校門の柱へ背を預け、上着のポケットに手を突っ込む。
 待ち合わせ場所は此処。
 俺には在学中に出来た仲のいい友人が七人いる。前から計画していたのだが、後夜祭で訳の分からない騒ぎをするより、どこかの店を借りて八人で卒業をしんみりと祝おうという趣旨なのである。しかし、ここで待ち合わせをしているのはその七人ではなかった。その中の、とある特定の一人。これは、少々訳ありの用件なのだ。軽い空気に染まる前にしておきたい、大事な話。
 と―――。
「ガイア、お待たせ」
 五分も待たない内に待ち人は来てしまった。まずい。シミュレートはまだ途中なのに。
「待った?」
「いや、今さっき来た所だよ」
 彼女―――セシアは俺の隣に並び、同じように校門の柱へ背を預ける。
「何? 大事な話があるって」
「いや……まあね」
 セシアは法術を専攻した法術師だ。しかも、俺のような平凡な成績ではなく、今年度の主席で卒業した優等生である。セシアは天才と絶賛された法術の異才で、在学四年目には教授達も教える事がなくなりアカデミーの研究室に招かれている。素行も特に問題がある訳ではないため、真っ先に今年度の神器授与候補に推薦された。俺とは天と地ほども差のある、別世界の人間。
 せめてもう少し平凡な法術師だったらと、常日頃から心の何処かで思っていたが、それを今ほど強く思った事はないだろう。彼女の優秀さに、俺はいつもにも増して酷く気後れしていた。
「確かさ、まだ進路決めて無かったよな?」
「ええ。あちこちからスカウトの話は来てるんだけど、どれも似たり寄ったり。どこにしようか決めかねてるわ」
「ふうん、そう……」
 オファー一件につき、契約金は普通の人が一生暮らしていくのに十分なほどの額が相場らしい。そんな話が自由に選ぶほど来ているのだから、セシアの一生がどれだけ安泰なのかは火を見るより明らかだ。
「ガイアはハンターだっけ?」
「ああ」
 ハンターとは、人間に深刻な危害を加える魔獣や魔物を退治するのが主な仕事だ。魔物にはそれぞれランクが定められており、倒した事を照明するものを持って交換所に持っていけばランク相当の報酬が支払われる。報酬にはピンからキリまであり、腕の立つハンターならば高額の魔物を次々と仕留め、普通に働くよりも遥かに高い金を短期間で手に入れる。しかし実際は、その高い戦闘能力を生かした万屋といった所が妥当である。
 俺がハンターを選んだのは高額の賞金ではなく、その自由さだった。ハンターは何ものにも縛られず、自由気ままに世界中を歩き回れる。それに魅力を感じ、公職ではなくあえてハンターを選んだのだ。
「で、その事なんだけどさ……」
「何?」
 ほら、早く言えってば。言わなきゃ始まらないぞ。ぐずぐずするなってば。
 途端に、天性の根性無しが全身に広がり始める。元々、口達者でもない自分の喉はきゅっと締まり、息を吸う事さえも困難になる。人生を左右し兼ねないこの正念場で、何とも情けない自分の姿にはむしろ腹が立った。
 と、その時。
「おや、お二人さん」
 突然、にゅっと校門から人影が現れる。
 先頭を歩いていたのは、背の高い痩躯の男。髪が長くて顔色が悪く、陰気な雰囲気を漂わせている。彼の名はヴァルマ、魔術師だ。しかし、俺のような平凡な魔術師ではなく、神器を授与された優等生である。性格は、簡潔に表せば陰険で自己中心的。生まれつき体が弱く本ばかり読んでいたせいか、知識だけは膨大に持っている。その上、奸智にも優れた論客で、ヴァルマが口論で負けた事は俺が知る分にはまだない。顔立ちは整っており、多少羨ましいとも思える美形ではあるが性格の悪さが全てのパーツから滲み出ている。しかし、そんな彼だが不思議と身内には優しい一面を持っていたりする。何かあれば真っ先に外敵の排除をしてくれるのだ。日常的に反論不可能の皮肉を聞かされるが、味方にしてこれほど頼もしい人間はいない。
「ガイア?」
「セシア?」
 その後には、まるで鏡に映したかのようにそっくり同じ容姿の女性が二人。
 彼女達はヴァルマの妹で、エルフィとシルフィだ。専攻は剣術で、これもまた二人揃って神器を授与されたほどの達人だ。二人はとにかく兄のヴァルマに心酔し、兄の命令ならどんな事であろうともやりかねない危険人物だ。兄譲りの皮肉をダブルで聞かせる必殺技を持っている。一卵性双生児のため、どちらがエルフィでシルフィか見分けはつかない。ただ、エルフィが青を、シルフィは緑を基調とした服装をしているので、それだけが唯一の見分けるポイントだ。ヴァルマだけはどちらが誰なのかは簡単に見分けられるらしいが、俺達は服装以外での判別は無理だ。
「どうやらお取り込み中のようだね。ロイアはもう会場に行ってしまったようだから、君も早い所決着をつけたまえ」
「早くしてね」
「早くしてね」
 こちらの意図を見透かしたかのような鋭い言葉の後に、エルフィとシルフィの二重奏。ゴホゴホと咳き込みながらヴァルマ達がこの場を後にする様を、ここぞとばかりに俺は睨み付けた。
 あの三人は、アカデミーでは有名な性格破綻者だ。ヴァルマは公の場で神学の教授を完膚なきまでに論破し、その教授は校内に踏み入ると恐怖のあまり眩暈を起こす心の病を患ってしまって現在カウンセリング中。エルフィとシルフィは容姿につられて言い寄って来た男達を打ちのめすため、折った骨の総本数は千本以上。精神的であったり、時には物理的であったり。三人とも外見は良くとも、中身は基本的に腐っている。そんな三人が神器を授与されたのだから、選考委員会の選考基準を疑ってしまう。多分、何らかの圧力があったはずだ。
「なに? 決着って」
「え? あ、いや、そのさ、セシアにお願いがあってだな。うん、そう。出来れば聞いて欲しいなあ、っていうお願いが」
「お願い?」
 よし、言うぞ。もう決めた。
 断られたっていい。後悔はしない。もし良い返事が貰えなければ、この後の呑み会で忘れるまで呑めばいいだけだ。
「俺ってさ、知っての通り厄介な体質だろ? まあそれ以前に大した取り得も無いけどさ、その、もし良かったら一緒に来てくれないかな……なあんて」
 緊張のあまり、心臓がバクバクと不整脈を打っている。背中に嫌な汗が浮き出てきた。
「私に、これからも一緒に来いって事?」
「そう……んな感じ」
 自分でも、随分と馬鹿な事を言っているとは思う。なんせセシアに、高額の契約金を捨てて何の保証も無いハンター生活をしよう、と誘っている訳なのだから。セシアほどの法術師に、平凡な魔術師の俺と同じ事をさせようというのである。けれど、自分の言葉には嘘偽りは一片も無かった。多分、生まれて初めて吐き出す、本気中の本気の言葉だ。
 返答が返ってくるまで待ちきれず、そっとセシアの方へ視線を向ける。
 セシアは微笑みながら俺の方を見ている。
 そして、首を横に振った。
「良ければ、じゃなくて、他にもっとましな言葉は無かったの? もう、ずっと待ってたのに」
 そう言って、ニッコリとまた微笑む。
 一瞬真っ白になった頭が再びぎくしゃくと動き出す。返事がどちらなのか、いまいち判断出来ないで変な言葉だけが口から漏れてくる。
「じゃあ、その、一緒に来てくれ……かな?」
「ええ、いいわよ」
 微笑んだままのセシア。その表情に陰りは無かった。そして俺はぎこちなく微笑み返した。
 直後、どちらからともなく引かれ合うように抱き合い、そのまま唇を寄せ合った。
 本当はもう何度も繰り返してきた事なのだけれど、今夜はいつまでも胸が落ち着いてくれなかった。


「おや? ようやくいらっしゃったようだ」
 予約を取った店に入ると、まず出迎えたのがヴァルマのそんな言葉だった。
「お待ちしてましたよ。さあ、こちらにどうぞ」
 そう言って、物腰柔らかな女性が俺達を席へ促す。
 彼女の名はロイア。専攻は槍術である。見た目も性格も非常に穏やかで物静かなのだが、それらに反比例しやる事は大味で豪快。妙なギャップのある人間だが、そんなアンバランスな所がたまらないとか言う奴も居るとか居ないとか。ただ、エルフィとシルフィはロイアだけには良く懐いている。
「さてガイア君、首尾はどうなのかね? 肴が無くて困っていたのだが」
 なにやら座った目つきでヴァルマが訊ねてくる。右手には大ジョッキがしっかりと握り締められている。体が弱いくせにいつもこいつはこういう飲み方をする。複雑な数式は分かっていても、自分の体の事はあまり分からないようだ。
「お前、もう酔ってるな? 目つきがおかしいぞ」
「あれに比べたら、シラフと呼んでもいいものだが?」
 とヴァルマが後を指差す。
「おーっし、ほら、次! 次のを持って来い!」
「リ、リーム。お店の人に迷惑になるから駄目だってば」
 上着を脱ぎ捨て、ジョッキを振り回す女性とそれを必死になだめている男性。
 女性の方の名はリーム。専攻は格闘技。俺と同じ村の出身で幼馴染だ。しかし、今はそれを力一杯隠したい。
 性格は見た目通りで分かりやすく、猪突猛進。実家も格闘技の道場という生粋の格闘家だ。在学中は勝気で負けず嫌いな性格が災いし、しょっちゅうケンカばかりしていた。しかも教師以外には負けなしときている。法術で強化された壁を素手で破壊した事もある馬鹿力の持ち主だが、人間としての繊細さは犬ほども持ち合わせていない。
 そんな彼女と付き合っているのが、隣の男、グレイスである。肌は抜けたように色白で体の線は細い。名前だけでなく、見た目からしてまるで深遠のお嬢様のようなヤツだ。専攻は俺と同じ魔術。成績もまあ俺と似たようなものだ。こいつもまた性格は見た目通りだ。しょっちゅうリームに振り回され、後片付けやリームのストッパー役をしている。二人は卒業後はコンビでフリーのバウンサーをするそうだ。発案はグレイスの方らしいが、グレイスには一度、人生の大切さを説くべきかも知れない。
「ねえ、それでどうなったの?」
「ねえ、それでどうなったの?」
 と、エルフィとシルフィ。最初は戸惑っていた左右から襲い掛かるこの話しかけられ方も、今ではもうすっかり慣れたものだ。
「どうだっていいだろうが。ほっとけよ」
「兄様、ガイアが冷たい」
「兄様、ガイアが冷たい」
 これみよがしにヴァルマに助けを求める二人。ヴァルマはそんな二人をこれ見よがしに抱き締めた。
「エル、シル。ガイアはね、きっと誰にも知られたくないんだよ。そう、四年間苦楽を共にしてきた私達にも知られたくはない、それはそれはプライベートな事に違いないんだよ。だから、絶対に教えるもんか、と意固地になってるのに、無理に聞き出そうとしてはいけないよ?」
 ヴァルマは二人の妹を、エル、シルと呼ぶ。この呼び方を許されているのはお互いとヴァルマのみだ。迂闊に他の人間が同じ呼び方をすれば、二人は鬼のような形相で再起不能にしてしまうらしい。無論、試す気にはなれない。
 俺はヴァルマの遠まわしな嫌味に耳を塞ぐ。自分がストレスを溜め易い性格だと知っているからだ。
「さ、ガイア。今夜ぐらいは付き合ってくれるわよね? お酒。お祝いだもんね」
 すると、いきなり横から現れたセシアが意味深な微笑で俺を見た。
 それはちょっと遠慮したい。
 誤魔化そうと苦笑い。けれど、セシアはこういう時はサディスティックだ。否応無しにグラスを持たされ、そこに氷が一個と琥珀色の原液がどばどばと注がれる。本人はスパルタ教育でも気取っているのだろう、だがこれは嫌がらせを通り越した、列記とした殺人準備だ。
「お? ガイアじゃない。やーっと来たのね。ほら、呑め呑め」
 突然、リームが背後から絡んできた。そして手にした新しいジョッキで無理やり俺の口を塞ぐ。すぐさま抵抗する俺だが、腕やら首やらをがっちり掴まえられ抵抗できない。魔術師が格闘家に腕力でかなうはずがないのだ。
「あら、今夜はガイアも呑むんですね。それ、いっきいっき」
 ロイアが楽しそうに手拍子をしながら、苦しみ悶える俺へ嬉しくも無い声援を送ってくる。よく見ると、彼女もほんのり頬が色づいている。唯一の良心だと思っていたロイアもかなり酔っているようだ。不意に、孤立無援、という言葉を思い出し、噛み締めた。
「ガイアに負けてられないわね。早く私も呑まなきゃ」
 拷問の水責めと大して変わらない責めを受けている俺の、どこをどう見たのかは知らないけれど、セシアが負けじとオーダー表を開く。何故、そうも真剣になれるのか俺は理解に苦しい。いや、本当に苦しいのは呼吸なのだがなんとかして神様。
「セシア、これおいしいよ」
「セシア、これもおいしいよ」
「じゃあ、いっそ両方注文しちゃえ。両方飲まなきゃどっちがおいしいか分からないものね」
 う……やばい。
 目の前が暗くなり始め、意識も途切れがちになって来た。周囲の音が壁越しのように聞こえ、瞼も自分で閉じているのかどうか分からない。
 シャレにならないぞ、これ……せっかくセシアが一緒に来てくれるって……。
「あっ! リーム、もう駄目だって! 痙攣しちゃってるよ!」



TO BE CONTINUED...