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「ううっ、イブリーズ……」
 カールはがっくりと肩を落とし、瓦礫の中に横たわる白骨化した死体の元で涙を流していた。
 三人はそっと視線をうつむけ彼の姿を視界から外す。
 生前のイブリーズは、カールによほど慕われていたのだろう。それがこのような姿で再会するなんて、あまりにも残酷な巡り合わせである。
「このままにするのは忍びない。弔ってやりましょう」
 ヴァルマはそっとカールの肩の上に手を置く。いつになく優しげな口調だ。カールの心情を察しているのだろう。
「……はい」
 涙を拭いながら、力なくうなづくカール。
 三人は協力して瓦礫の中から遺体を静かに取り出した。骨格からして、生前のイブリーズはやや大柄な体格だった事がうかがえるが、今となっては軽々と持ち上げられるほどであった。それが、無情な時の流れというものを感じさせる。いつしか一同は言葉を交わさなくなった。
「形式は火葬で?」
「……ええ」
 ヴァルマは右手に魔力を集中させる。そして、燃え盛る炎のイメージを開放した。ぼうっ、という空気を焦がす音と共にヴァルマの右手が炎に包まれる。炎は黒から赤、橙、そして白と明るい色へ変色していく。炎の温度が急上昇しているためだ。
 ヴァルマの得意とする魔術は水だが、彼は魔術の原理そのものを理解しているため、あらゆる魔術を使いこなす事ができる。おおよそ魔術に関しては扱えない分野は存在しない。ヴァルマが水を主に用いるのは、水の持つ性質が彼と最も相性が良いからである。
「構いませんか?」
「お願いします……」
 力なく頷くカール。
 ヴァルマは躊躇う事無く横たえられた遺体に炎を放った。一度でも躊躇ってしまえば、二度目以降からはより強い躊躇いが生じてしまうからである。
 白い高熱の炎は音も匂いもなく遺体を焼いていった。ぶすぶすと音を立てながら、ものの一分も経たぬうちに僅かな骨だけを残して焼き尽くしてしまう。それは一瞬にも思えるようなあっという間の事で、これまで何十年も人として生きていたはずの姿は脆く崩される。
 カールはひざまずき、残った遺骨をかき集め始めた。その目には涙こそ浮かんではいなかったが、表情だけは変わらず悲嘆に暮れたままだ。むしろ涙は出尽くした感さえある。
「兄様ー!」
 突然、向こう側からこの場の重い空気を切り裂くようにエルフィの声が聞こえてきた。
「おや? エル、どうした―――」
 そのままエルフィは、ふと振り返ったヴァルマの胸に飛び込んだ。
「良かった……無事だったんですね」
 ぎゅっとしがみつくエルフィ。治療が完了する前に後宮の中へ向かったエルフィは、ヴァルマの無事を知らなかったのである。今にも泣き出しそうな表情のエルフィを、ヴァルマは微笑みながら優しく撫ぜた。
「ねえ、エル。ガイアは?」
「あ、そう!」
 シルフィのその言葉に、エルフィはハッと顔を上げた。
「ガイアが、後宮の屋上にいるんです! 鮮血の騎士と二人で!」
「二人で!?」
 そう声を上げたのはセシアだった。普段は激情とは無縁のクールなイメージの強いセシアには珍しい仕草だった。
「自分が引きつけておくから、セシアを呼んで来いって……。鮮血の騎士はゴーストだったんです。だからセシアじゃないと倒せないから……」
 エルフィはすまなさそうに視線をうつむけた。たとえ本人が希望した事とはいえ、ガイアを一人で残してきた事に気負いを感じているのだ。
「あ、セシア!」
「あ、セシア!」
 途端にセシアは走り出した。無論、ガイアの元にいち早く辿り着くためだ。
 鮮血の騎士の強さは十二分に把握している。一度は全員で戦っても手痛い反撃を受けて逃げ帰らざるを得なかった状況に追い込まれた事もある。それに、ガイアはヴァルマとは違い神器を持っていない。魔術師としての能力は決して低い訳ではないが、鮮血の騎士はそれでどうこう議論出来るようなレベルではないのだ。
 頭の中に最悪の事態の映像がちらちらと映っては消える。その、まるで理性を挑発するかのような自らの思考に、より焦燥感をかきたてられる。
「兄様、私達も!」
「兄様、私達も!」
「ああ、急ごう。ガイア一人では心配だ。すまないが、我々は場を外させてもらいます」
「ええ。お急ぎください」
 カールをその場に残し、三人もセシアの後を追った。
 セシアは物凄い勢いで後宮入り口に向かって駆けていく。普段は人前ではガイアに対して淡白な印象を受けるが、実際それは単なる照れ隠しのようなものがほとんどだ。ガイアを想う気持ちは、そんな印象からは想像もつかないほど強く激しい。この行動がその全てを物語っている。
 数分もしない内に後宮の入り口が見えてきた。
 三人の前を行くセシアは、何の躊躇いもなく入り口へ向かう。頭に血が昇っているらしく、ガイアの事しか考えられなくなっている。
 と―――。
「あ」
「あ」
 エルフィとシルフィが斜め前頭上を見上げながら、そうぽつりと声を上げた。
 ぽーっとした表情。だが、今、目に映っている事がこれからどんな事を起こすのかを理解できた瞬間、表情はサッと険しくなる。
「セシア、危ない!」
「セシア、危ない!」
 次の瞬間、エルフィとシルフィは風のように前へ飛び出した。
「え?」
 二人はセシアの体を後ろから抱き抱えるように掴むと、そのまま更に前へ大跳躍する。三人は寄り合わさったまま、芝の上に前からつんのめるように着地した。
 直後、三人のすぐ後ろから、騒々しい金属音が鳴り響いた。その重量が、つい先ほどまでセシアが踏みしめていた芝を黒く抉り出す。
「いたたた……何? 今の音」
 セシアは強かに打ちつけた胸を押さえながら上体を起こし、背後を振り返った。
 そこには、古びた大小の金属の破片が散乱していた。本来は黒い色をしていたようだが、ほとんどが赤茶色に錆び付き変色している。
「大丈夫か!?」
「はい、兄様」
「大丈夫です」
 駆け寄ってきたヴァルマに、エルフィとシルフィはすぐに立ち上がって服の汚れを払い、自分達が無事な事をアピールする。
「それにしても、これは……」
 四人は訝しげに頭上から落下してきた物体を見つめる。
「これ、もしかして鮮血の騎士……じゃない?」
 そうセシアが自信なさげに言う。それには訳があった。
「でも、なんかボロっちくない?」
「でも、なんかボロっちくない?」
 エルフィとシルフィは首をかしげる。
 確かに、金属の破片を繋げると等身大の甲冑になりそうではあった。しかし、金属自体があまりに時間を経過し酷く錆び付いている。自分達が見た鮮血の騎士は、これほど古びた甲冑はまとっていなかった。これほど古いものであれば、魔術を使わなくとも破壊できそうである。
「いや……見ろ」
 金属片にしゃがみ込んでいたヴァルマは、そっと何かを持ち上げた。
「見覚えはあるだろう? どうやら間違いないようだ」
 ヴァルマが持ち上げたのは、黒い鞘に収められた一振りの大剣だった。他の甲冑とは違い、非常に真新しい。
「フラガラッハ……。じゃあ、やっぱりこれ」
「鮮血の騎士。いや、イブリーズ=ヴァンシュタインの亡霊だ」
 四人は、かつてこの城で名を馳せた一人の騎士のなれの果てを無言のまま見下ろしていた。
「この世に迷っていた怨念が立ち消えたのか。なんにせよ、昇天したことで留められていた時間が一気に流れてしまったようだな」
 鮮血の騎士の甲冑が破壊できなかったのは、甲冑の時間そのものが怨念の力によって停滞していたからだろう。
 それがヴァルマの考えだった。無論、そこには明確な根拠も論理立てもない。だが、そう考えるのが一番自然に思えるのだ。そもそも、鮮血の騎士自体、これまでの法術学の範囲では説明しきれるのかどうかもはっきりしない、非常に不可解な存在だったのだから。
「あれ……?」
 と、その時。
 不意に後宮の玄関から誰かが飛び出してきた。四人の視線が一度にそこに集まる。
 現れたのは、右手を真っ赤に染めたガイアの姿だった。
「ガイア! どうしたの、その手!」
 悲鳴に近い声を上げるセシア。血まみれで現れたガイアの姿に驚いたセシアだったが、そのセシアが上げた声にガイアも驚いてしまった。
「いや……ちょっとやられちゃって」
「何がちょっとよ! ほら、見せなさい!」
 有無を言わさずセシアがガイアをその場に座らせ、右手を取り治療を始めた。
「これはキミがやったのかね?」
「うん……まあ、そういうところかな」
 ヴァルマの問いに返ってきたのは、煮え切らない曖昧な返事。答えるガイアの表情には、どこか陰りが見られた。この結果に心から満足していないような表情だ。
「こいつ―――イブリーズはさ、自分で飛び降りたんだよ。それで俺は、慌てて降りてきたんだけどさ。ようやく自分の居るべき場所に気づいたのか、一緒に来てくれる人が迎えに来てくれたからなのか。とにかくイブリーズは、もう二度と怨念に突き動かされるような事はないさ」
「そうか」
 ガイアの言葉には説明が不足しており、後宮の屋上で何があったのかは一同にはいまいち理解出来なかった。けど、それ以上の究明はなかった。みんな、どこかでそれぞれの想像と現実との境界線の範疇で消化してしまったのである。
「よし、これでいいわ」
 セシアは治療を終えると、血で塗れたガイアの右手を綺麗にふき取った。どす黒く固まった血の下からは、元通りのやや節張った手が姿を現す。
「どう? ちゃんと動く?」
 その問いに、ガイアは無言でセシアの胸に手を伸ばし、鷲掴みにした。
 そして、二、三度、胸の感触を確かめるかのように開閉運動。最後に下から掬い上げるように重さを量る。
「うむ。いつも通りだ」
 わざとらしい真剣な表情で、自らの右手の感覚を確かめるガイア。その様子に、セシアは大きく溜息をついた。
「切り落とすべきだったわ」