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 詰め寄るシルフィに、その中年の男はすっかり困惑してしまっていた。
「害はなさそうだな」
 緊張を解いた二人は、シルフィの元へ歩み寄った。
「兄様。この人、鮮血の騎士とは関係なさそうですけど?」
「うむ、そのようだが……」
 ヴァルマは男の方に向き直る。
「私の名はヴァルマ=ルグスという。失礼だが、あなたのお名前は?」
「私は、カール=メディチ=ラヴァーダです……」
 男はそう躊躇いがちに答えた。それはシルフィ達に困惑していたからではなく、自らの名前を名乗る事を躊躇しているようであった。
「ラヴァーダ……? あら、もしかして」
 セシアは何か思い当たる所があったらしく、そう声を上げる。
「ええ、御察しの通りです。私は、かつてこの城の人間でした……」
 ラヴァーダとは、かつてこの一帯を治めていた国の名前である。それが五十年前の敗戦によって、現在ここを治めている国に吸収されてしまったのだ。この城は、かつてラヴァーダが国を治めていた時のものなのだ。
「ラヴァーダの名を持っているという事は、あなたはかつてはこの城に住んでいた王族の人間ですか?」
「はい。とは言っても、今は没落したも同然ですが」
 それが名乗る事を躊躇っていた理由のようである。かつては王族だったという身の上のため、人々から奇異の視線を集められるのが嫌だっただろう。
「私は両親と共に五十年前の戦火を逃れ、他の国に亡命いたしました。今はほとぼりも冷めてきたので、最近になってからこの国の外れに戻り、家族の墓守をしながら隠居暮らしをしています」
 ヴァルマは彼の身の上を気遣ってか、そうですか、とあえて軽く流し、それ以上の身の上に関しての追求はしなかった。そういった辛い身の上を詮索するのは、自分も似たような立場の人間でもあるため、気が引けたのかもしれない。
「ここにはどうして? ここは今、ただの廃墟ではない事ぐらいは噂で聞いておられると思いますが」
「ええ、風の噂で聞きました。なんでも既に廃墟と化したこの城に何故か騎士が現れ、近づく人間を片っ端から斬り捨てているというそうで。それで私は、もしやと……」
「では、その騎士に心当たりが?」
「なくもないのですが……」
 またも口調が躊躇いがちになる。
 今度は一体何を隠そうとしているのだろうか? 初対面の人間に、そうこと細やかに問いただすのは礼儀に反する気もしたが、五十年前にこの城で何が起こったのか、その実状を知る最後の一人かもしれないのだ。鮮血の騎士の攻略の手がかりが得られないとも限らない。
「すまないが、是非それをお聞かせいただけないだろうか? 我々はハンターなのだ」
「そうですか……」
 カールは視線をうつむけながら、溜息混じりに答えた。
 どこか、仕方がない、と妥協しているような表情だった。それを見る限り、カールと鮮血の騎士にはかつて関係があり、そして自分達にとって何らかの手がかりとなるべきものを知っているように思える。
 カールは一度大きく深呼吸をして自らを落ち着ける。三人は一斉にカールに注目した。
「この城には、かつて無類の強さを誇っていた一人の騎士がいました。彼の名前は、イブリーズ=ヴァンシュタイン。当時は千人団長ではありましたが、実力は間違いなく周辺諸国でも一、二を争うほどの猛者でした」
「じゃあ、その人が鮮血の騎士なの?」
 確かにそれほどの強さを誇る人間が鮮血の騎士の正体ならば、エルフィとシルフィの高速の体捌きをあっさりと見切り、たとえ牽制レベルとは言ってもヴァルマの魔術をあっさりと跳ね返した事もうなづける。
 しかし、カールはゆっくりと首を左右に振った。
「いえ。そのイブリーズは五十年前の戦で、この城で命を落としているのです……」
 沈痛な面持ち。
 シルフィは不用意な発言を自粛するようにそのまま黙りこくった。
「イブリーズは私の姉と大変に睦ましい間柄でした。ですが戦乱の際に姉だけが逃げ遅れ、敵の手に渡る前に自害してしまったそうです。そして、イブリーズもまた敵の手に落ちて……」
 と、一呼吸置く。
「抵抗を続ける他の騎士への見せしめのため、生きたまま壁の中に塗り込められたそうです……」
 言葉をゆっくりと噛み締めるカール。それでも言葉の語尾は僅かに震えていた。
「ひどい……」
 三人は思わず息を飲んだ。壁に塗り込められるのは、生き埋めにされることとさして変わらない残酷な殺し方だ。戦って死ぬならば、騎士として本望だったかもしれない。それを、そんな人間としての誇りを無視した殺し方をされるなんて。恋仲だった女性も守る事が出来ず、さぞかし無念だったことだろう。
「おそらく、ここに出るという鮮血の騎士とは、イブリーズの怨念だと私は思うのです。ですからきちんと供養してやれば、イブリーズもきっと昇天すると思うのです……。それで私は、ここにイブリーズの亡骸を探しにやってきた次第です」
 酷く悲しみに満ちたカールの表情。彼もまた、そのイブリーズと親交が厚かったのだろう。その親しかった人間が非業の最期を遂げ、そして今は怨念と化して徘徊している事がどんなに耐え難い事か。心情を察しきれない事が悔やまれた。
「セシア、法術師の立場から考えてどう思う?」
「ありえない話でもないわ。人の感情って場に留まるものなの。それが怒りとか憎しみとか、強ければ強いほど明確にね」
「そうか。では、とりあえず我々は彼の遺体を捜そう。あの鮮血の騎士がイブリーズならば、根本的な解決方法になるはずだ」
 今、この城をさ迷い歩いている鮮血の騎士は、非業の最期を遂げたイブリーズの怨念である。あまりに報われぬ最後だったためか、自らの死を認める事が出来なかったのだ。偶然にも真相を知ったのも何かの縁だ。元々はここに鮮血の騎士を倒すためにやってきたのだ。現世への執念を断ち切ってやり、静かに眠らせてやるのが生者としての務めだろう。
「でも、どこの壁かも分からないんでしょ? どうやって探すの?」
「塗り込められた、という事は、明らかに周囲の壁と不自然な所があるはずだ。周囲の壁と区別がつかぬように塗りこめてしまったら、見せしめの意味はないだろう。殺人事件の死体を隠している訳じゃないんだ。もしかすると、ある程度、首、もしくは手足などをわざと出しているかもしれない」
 カールも加わった四人は、カールがこの壁を探している途中という事もあり、まずは後宮の周辺を囲む壁から探す事にした。
 手入れもされていない草木が目立つ庭園だ。壁もかなりの風化が目立つ。
 住居として考えると、外周はさして広いものではない。一周するだけならば大した時間はかからないだろう。
「兄様、あれ……」
 探し始めてから数分。ふとシルフィが向こう側を指差した。
 壁が崩れている。そこに石以外の何かの姿が見えた。
 目をこらして良く見る。
 それは、白骨化した人間だった。
 四人はすぐさまその元へ駆け寄った。
「壁が風化して崩れたようだな」
 元々、使用されていた材質とは合わない塗り具で塗り込められたせいだろう。崩れたのは最近のようだが、明らかに死体周辺の塗り具の破片だけ色や触り具合が違う。
「イブリーズ……」
 カールは変わり果てた故人の前にがっくりと膝をつき、深く項垂れた。
 膝の上でぎゅっとこぶしを握り締め、微かに体を震わせている。その目には大粒の涙が浮かんでいた。