BACK
「弱いって……お前がか？」
「ああ」
思わず問い返した俺に、ヴァルマはそう気まずげに答えた。
自分が弱いだ？
俺はヴァルマのその言葉に、しばし意味を窺い知ろうと考え込む。
ヴァルマは俺と同じ魔術師だが、その実力は俺とは比べ物にならないほど遥かに上だ。アカデミー時代の俺は極々平凡な成績の魔術師。だがヴァルマは魔術学科では文句なしにぶっちぎりトップの成績で、稀代の天才法術師と呼ばれたセシアに続いて次席で卒業した。その際には魔杖レーヴァンテインという神器まで授与されている。
更にひがみっぽく言えば、俺の得意とする炎の魔術は単に原子運動を加速させるだけの簡単な魔術だ。しかしヴァルマの得意とするのは、水分子を自在に操る水の魔術。そしてその水分子を摩擦させる事により大量の静電気を生み出す雷撃魔術と呼ばれる高等な魔術すら操る事が可能なのだ。
とまあ、これだけ俺とヴァルマには実力差があるのだ。俺だって平凡平凡言っているが、在学していたアカデミー不知火は、そこそこランクの高いアカデミーだ。そこで全過程を終えたのだから、魔術師としての俺の実力は並よりは上なのであって、単にヴァルマの実力が異常にずば抜けているだけで。
総合的に見ても、どこにもヴァルマが弱いと言える要素などない。頭はキレる、体は神器で頑丈に強化されている、魔術の実力はとんでもないレベル。長所こそ見つかりはするも、短所らしい短所などは見つからない。強いて上げれば、愛想が悪い、ぐらいなものだ。
「意外か？」
「まあ……。まさかお前がそんな事を言うなんて、思っても見なかった。でも、それってどういう意味だ？ 俺からしてみれば、一体お前のどこが弱いなんて全然理解出来ないんだが」
「うむ……少し長い話になるが、いいかね？」
「別にかまわないさ。三人が帰ってくるまで、もう少しかかるだろうし」
そう答えると、ヴァルマは僅かに嬉しそうに微笑み、足を組み直した。
「私とエルとシルは、諸事情で親の愛情というものを知らないで育ったんだ。ずっと三人で互いだけを信じながら生きてきた。その両親とも死別し、数え切れないほど親戚や施設をたらい回しにされたが、その中で出会った人間は皆、私達に悪意を持つ者ばかりだった。だから自然とそうなってしまったのだろう。常に真と誠を持って相対してくれた人間は、私にはエルとシル以外いなかったからね」
半年前のあの時、ヴァルマはこの世で自分以外に信じるのはエルフィとシルフィだけだと言っていた。きっとそうなる原因がその生い立ちにあったのだろう。そういえば、その時にロイアが話してくれたっけ。三人の生まれた村では双子は不吉なものとされていて、エルフィとシルフィは両親にも気味悪がられていて、ヴァルマが二人にとって唯一の味方だったそうだ。
そんな環境が、三人の兄妹の垣根を越えたルナティックな関係を生み出したのだろう。兄妹とか恋人とか、そんな俺達が常識としている既存の形式など関係はなく、ただこの世で信頼できる人、愛し愛される人がたまたまその人物だっただけなのだ。異常と言えば異常なのだけど。これまでは変態兄妹めなんて思っていたが、そういった事実を知るとなんだか同情にも似た悲しみが込み上げてきた。こういった感情を向けられるのを、ヴァルマが特に嫌うのは知っているのだけど。
「私はずっと、エルとシルを守るだけの力が欲しいと願ってきた。何物をも覆す、それこそ自然の摂理にすら歯向かえるほどの絶対的な力だを。だから自ら進んで魔術を学び、神器も手に入れた。そしてこの脆弱な体を補うためにも、あんな真似をした」
アカデミー時代に起きた、宝物庫襲撃事件の事だ。
グレイスが一時は退学まで追い込まれた、今となっては思い出すのも忌まわしい事件だ。
半年前のあの時の折に、その事件の真相が明らかになった。事件の裏側には意外にも、ロイア、ヴァルマ、エルフィ、シルフィが深く関わっていた。誰もが抜き差しならぬ理由を抱えており、誰も責める事が出来なかったが、また誰も釈然としなかった。
「正統なカリキュラムから得られた確かな実力と多くの神器。それは私に多大な力をもたらしてくれた。しかし、それは果たして本質的な強さを手に入れた事に成り得るのだろうか？ 私は強くなったのか？ それが疑問だった」
「力は力だろう？ 力がなけりゃ誰も守れないのは事実だし。お前は強いよ」
「だが私は、単に表面的な力に執着し過ぎているような気がしてならない。野良犬と同じなのだ。興味を示さぬ者にはこちらも興味は示さないが、危害を加えようとする者には容赦なく噛み付く。確かに昔の自分と今の自分の力は違う。しかし、それは牙の太さの違いしかない」
深く重苦しい溜息を吐き、陰鬱げに頭を抱える。
「私は弱い人間なのだ。神器を使いこなしているつもりが、完全に神器の力に振り回されてしまっている。神器の力を過信し、己の力を計り誤っている。いずれ、より本質的な強さを持った何かに遭遇した時、エルとシルを守りきれるのだろうか不安で仕方がない。だから、今回のような得体の知れない強さを持つ標的を相手にする事を躊躇っているのだ」
ヴァルマは俺に向かって弱音を吐いているように思えた。
あの自信家のヴァルマが、己の弱味を告白しているのだ。よほどその事で頭を悩ませているのだろう。意外な姿と言えば意外である。けど、俺の事など全く信用していなかったと、この半年間ずっとそう思い続けてきた。だが、こうして自分の弱いところ痛いところを曝け出してくれているのは、少なからず俺を信用してくれているからかも知れない。
どういう気持ちの経緯があったのか正確には分からないが、少なからずこれまでの自分の姿に何かしらの疑問を持ち、省みている内にそう考えるに至ったのだろう。
「まあ、その、なんだ。あんま気にするなよ。俺たちゃまだまだ若いんだしさ。とにかく、自分の弱さを理解出来てるんなら、何を鍛えなければいけないのかも明白になってるんだし。弱点はこれから克服すればいいし、迷いがあればゆっくり答えを探せばいいさ。そう焦るなよ。お前らしくもない。はっきり言ってな、かなり贅沢な悩みだと思うぞ。俺なんか、もっと慎重に相手を選んでないとヤバイぐらいなんだからな」
「フッ……それもそうだな」
微苦笑を浮かべる。
ようやくいつもの表情に戻った。嫌味ったらしくて虫が好かないところがあるが、やはりヴァルマはこうしていないと、なんだか調子が狂う。
と、ヴァルマが大口を開けて大きなあくびをした。
「ん？ なんだ、寝不足なのか？」
「いつも、エルとシルの二人を相手にしているからね」
意味深な表情のヴァルマ。
そういやこいつら、兄妹ってよりもアレだからなあ……。
「……ふーん」
頭の中に色々と不道徳的な事を想像したが、それらを口に出すのにはどうも躊躇われた。リアクションに困った俺は、苦い愛想笑いを浮かべて返す。
「冗談だ。真に受けるな」
俺の顔がおかしかったのか、そう愉快そうに微笑む。
ヴァルマが冗談を言った。
俺にとって、冗談の内容よりも、冗談を言った事実の方が遥かに驚くべき事だった。皮肉こそ飛ばすが、ジョークの類は決して口にはしないヤツだったのに。
顔立ちは整っているが性格の悪さが表情に出ていて、御世辞にも印象のいいヤツではなかった。だが、今では顔色も良く、喋るたびにしょっちゅう咳き込む事もない。そして、そう自然に笑っていると、同性として嫉妬したくなるような魅力があった。背も高くて足も長いし、顔立ちも整っている。腕力も知性も兼ね備えているし、男としては申し分ないだろう。本当に、ヴァルマのヤツは変わった。以前に比べて愛想も良くなってきているし。しみじみと俺はヴァルマの変化を噛み締めた。
「まあ、明日からよろしく頼むよ」
「こちらこそ。みんなの足を引っ張らぬように、せいぜい頑張ります」
「君は相変わらずひがみっぽいな」