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「まあ、入りたまえ」
 少ししかドアを開けようとしないエルフィとシルフィに構わず、ヴァルマはドアを全て開けて俺達を中へ招き入れた。部屋の中へ入ると、エルフィとシルフィは俺達に微妙な距離を取って近づいてこなかった。いや、単に俺の邪眼の事を知っているせいで警戒しているのかもしれない。普段なら、失礼しますぐらい言え、とか口うるさいヤツらなのだ。
 この双子の片方のエルフィ。彼女は半年前、俺のこの邪眼の力の犠牲となった。
 俺の邪眼は、感情の発露を機にその力を発動する。それは一時の感情でも力を揮ってしまうのだ。邪眼の力を抑制するのは、視線を合わせないか、感情そのものをなくしてしまうか、もしくは邪眼そのものを潰してしまうか他ない。
 思えば、あの半年前の悪夢の出来事は俺の邪眼が引き金だった。だが、あれだけ異常とも言える争いをしたというのに、今こうして普通に顔をつき合わせているなんて、なんとも奇妙な状況である。
「久しぶりね」
 セシアは距離を取っている二人に向かってそう微笑んだ。
「久しぶり」
「久しぶり」
 二人はセシアの出方を窺うかのような口調で答える。
「エルフィ、もうケガの方は大丈夫?」
「うん……一応ね」
「ちょっとだけ傷痕残っちゃったけど」
 なんだか酷く物怖じしている様子の二人に、セシアはにっこりと微笑む。セシアに気を許したのか、僅かに二人の緊張した表情が緩んだ。
 俺達は、部屋に三つあったベッドの内の二つに分かれて座った。一つには俺とセシア、その向かいのベッドにヴァルマ、両側にエルフィとシルフィが挟むように座る。
「ところで、この町に着いてから随分ハンターを見かけるんだが、やっぱ大物があるんだな?」
「ああ。だが、どうもそれが厄介なもののようでね。私達は二の足を踏んでいる」
「は?」
 そう答えたヴァルマの言葉に、俺は耳を疑った。
 ヴァルマはアカデミー時代からの付き合いだが、いつも自信に満ち溢れた表情を絶やす事無く、そしてその自信に裏づけるほどの実力を持っていた。普通どう考えても無理な事でも、ヴァルマはその才能をフルに使って実現、もしくは押し通した。その恵まれた才能を、物事を自分の思い通りに動かす事にしか使わないのだ。そのため、俺としては歩く災害のような印象が強かった。そのヴァルマが、自信がない、と言っているのだ。あれだけ自分の能力を誇示してきたヴァルマが、だ。少なくとも俺は、今までヴァルマがそんな控えめな言葉を発した所は聞いた事がない。
「お前らさ、その、神器とか持ってるだろ。戦力だけに関しては十分過ぎると思うんだが」
 成績優秀者は卒業時にアカデミーから神器と呼ばれるものを授与される。
 神器とは、一言で言えば超常的な力を持った武具だ。通常の武器にはない能力を魔術的な処理を行う事で付加させるのである。神器を持つ者は、事実上とんでもない戦闘力を持つ事になる。無論、それだけの力を持つ神器を誰にでも授与するものではなく、また、精製過程の複雑さから大量生産はされない。
 ヴァルマ達の他に、セシアも神器を持っている。なんせセシアはアカデミーを主席で卒業した人間だ。性格や素行に問題がある訳でもなく、神器が授与されるのもうなづけはする。だが、この三人だけは未だにどうも理解出来ない。神器授与対象者は、成績、実力、品行の三つを考慮されるのだが、この三人は明らかに品行が人並以下だ。品行は最も重要な査定ポイントのはずなのに。
 ともかく。
 神器があれば一騎当千の実力が保証されるのだ。下手な兵士を千人集めるよりも、神器授与者を一人手に入れたほうが軍事力は遥かに向上する。それだけの実力を持った人間が、それも三人もいるにも拘わらず躊躇するなんて。可もなく不可もない平凡な魔術師の俺としては全く理解出来ない。
「自信がないのは仕方がない」
 だが、先ほどよりもやや強い口調で言い捨てる。どこか拗ねたような口調だ。
 本人がそう言うんなら仕方ないけどさ……。
「で、どんな相手なんだ?」
 神器授与者が三人も居てどうしようもない相手なら、俺らの出る幕じゃないから聞いてもしょうがない。そんな事を考えながら俺は訊ねた。
「そうだな。まずはそれから説明するか」
 そう言ってヴァルマは地図を広げた。この辺りの地図だ。
「ここが今いる町だ。そして、そこから西へおよそ半日」
 つーっ、と地図の上を指を滑らせる。そこには城のようなものを示す記号があった。
「城?」
「ああ。だが五十年も前に戦火に遭い、今ではただの廃墟だ」
 俺達の故郷であるニブルヘイムも、かつては大小無数の国が乱立し、日々侵略戦争を繰り返していた混沌としていた時代があった。国が滅んでは生まれ滅んでは生まれる時代だ。今でもかつての城跡などが多数残っている。もっとも俺は、歴史なんて小難しい教科は、並程度の知識しか持っていない。本当は大きな戦争の名前や当時の大国の名前なども、今でも語り継がれているのだ。
「そこに獲物が?」
「その通りだ。それでまず、相手についての情報を知るべく、昨日今日と役所で城に向かったハンター達の証言を幾つか集めていたのだ。それらを統合し、推測と考察をしてみたのだが。どうやらその廃墟に、城を警備する騎士がいるようだ」
 騎士。
 その言葉から、今はもう崩壊したヴァナヘイムの聖騎士団を思い浮かべた。騎士って聞くと、みんな似たような重い鎧を身にまとい馬に乗って戦場を駆け巡る、っていうイメージがある。ニブルヘイムの騎士は魔術の心得があったりもするが、魔術師よりも肉体攻撃に比重を置いた肉体派という感が強い。基本的な役割といえば、戦役の前線に立つ事や城の警備といったところだろうか。いわゆる公務員だ。デスクワークよりも戦闘などの危険な仕事が多いが。
 そういえば、よく貴族のお坊ちゃん連中が騎士団に入団するって話を聞くが、これは少し事情が違う。騎士団に入り、その騎士団が戦場で活躍するとその貴族の家の名前を戦果と一緒に宣伝出来るのだ。ただ、騎士団としては素人のお荷物を抱える事になるのだから、貴族側は寄付という形で資金援助をするのである。
「騎士? 廃墟になってるのにか?」
「そうだ。それも、並大抵の腕ではないようだ。二人三人の徒党ならともかく、十人前後の猟団も幾つか潰されている。たった一人の騎士を相手にだ。たとえ素人でも、剣一本でどうにかなる数ではない。そこから推測するに、かなりの技量の持ち主である事が分かる」
 集団戦闘において、例えば十対五で戦った時、終了後に五対ゼロになるかといえばそうではない。ある一定以上の人数の差がつくと、数で劣る側は成す術もなく一方的に攻め立てられてやられてしまうのだ。確か授業では、なんたらの法則、とか言っていた。そのため、幾らその騎士が強くとも、五人十人に一斉に襲い掛かられてしまえば、あっけなくやられてしまうものなのだ。剣で一度に倒せる人数など、せいぜい三人。一度に広範囲を攻撃できる魔術師ならともかく、剣一本の騎士の限界なんてそんなものだ。
 これがいわゆる戦闘の定石だ。だが、その騎士はこの定石を覆してしまうだけの力を持っているというのである。確かにそれは、戦闘について専門的に学んだ俺達にしてみれば恐ろしい事実だ。
「その騎士は、あまりに多くの人間を斬って大量の返り血を浴びるあまり、甲冑が赤く染まっている事から鮮血の騎士という仇名までつけられている」
 まるでホラー話に出てくる殺人鬼みたいな名前だ。それにしても、誰もいない廃墟でそんな事をしているなんて、まさかその騎士とはちょっとイっちゃってるヤツとかなんでは……?
「だとすると、相当な実力の持ち主ね。でも、どうして廃墟になった城を守ってるのかしら?」
「もしかして、城の中に何か宝物でも隠してるんじゃないか?」
「それはないな」
 あっさりとヴァルマが否定する。
「なんでだよ。あるかもしんないじゃんか」
「もしそうならば、発見した者が速やかに持ち去っていくだろう。あれではまるで宣伝しているようなものだ。わざわざ危険を冒す必要はない。第一、侵略を受けた際にそういった宝物類は根こそぎ持ち去られているはずだ。よって君の考えは、実にユニークではあるが可能性は極めて低い」
「おばか」
「まぬけ」
 ヴァルマがびしっと俺を斬り捨てると、更にエルフィとシルフィが追い打ちをかける。やや勢いに欠ける追い打ちではあったが、むかつく事に変わりはない。
 やれやれ……。
 だが、不思議と俺はそれほど腹は立たなかった。腹が立つというよりも、こういうやりとりをしていると、なんだか仲の良かったアカデミー時代の頃に戻れたようで嬉しかった。あの半年前の事件の事が、今もずっとしこりとして残っていただけに、こうした他愛のないやりとりを交わせると気分がすっきりする。
「何にせよ。そういう訳で戦力が少しでも多く欲しいのだ。……それも信頼できる」
 信頼できる。
 そう控えめにヴァルマは付け足した。
 まさかヴァルマからこんな言葉を聞くなんて。そう俺は意外に思った。あの時ヴァルマは、この世では自分自身と妹達しか信用しない、と言った。つまりそれは、俺達との付き合いなんて所詮は表面だけのものでしかなく、本質的な部分には信用など微塵もないという事を意味する。なのに、そのヴァルマが俺達に、信頼できると言った。一体どういう心境の変わりだろうか? そういう事を素直に話す所など見た事がない俺にとっては、少々不気味でもある。
「無理だろうか?」
「い、いや、そんな事はない。うん。いいよな?」
 ヴァルマのすまなさそうな表情に気まずくなり、俺は思わず隣のセシアに話を振る。
「え? ええ。丁度、お金に困ってるし」
 ぎくしゃくとしながらも、セシアは笑顔で承諾した。
 俺もセシアも、ヴァルマの意外な様子に驚いていた。人間性とは、洗脳でもしない限りは一年二年で変わるものではない。それが外部からの干渉が原因ならともかく、自発的に変わろうとするなんて、十年単位で考えなければ、本質から変わるのは非常に難しいのだ。
 半年前のヴァルマとはまるで別人のようだった。一体、何がヴァルマをこうさせたのだろうか? 訊いてみたくもあったが、まさかこんな質問を正面からぶつける訳にもいかない。
「そうか、助かる。さて、エル、シル。悪いが酒と何か食べるものでも買ってきてくれないだろうか?」
「はい、分かりました」
「はい、分かりました」
 二人はヴァルマの頬に軽く口付けると、元気良く立ち上がる。そういう所は半年前と変わっていない。
「セシアも行きましょう」
「セシアも行きましょう」
「え?」
 二人はセシアの腕を掴み、無理やり立たせた。
「なに、急に?」
「いいからいいから」
「女同士、仲良くしましょう」
 よく分からない理屈を述べながら、セシアはあっさりと二人に連れて行かれてしまった。 
 お、おい、ちょっと待てよ……。
 部屋に残された俺は戸惑った。正直言ってヴァルマは苦手なのだ。みんなといる時ならまだしも、二人っきりなんて。ただでさえ自発的に口を開かないヤツなんだから、会話が続きそうもない。
「すまないな。少々強引になってしまって」
「何が?」
「セシアを連れて行かせた事だ。どうしても君には話しておきたい事があってな」
 じゃあセシアを連れて行ったのは、ヴァルマの指示だったのか。そんな素振りなど見せてはいなかったのに。以心伝心というヤツだな。こいつらなら、それもありうるか……。
「で、話って?」
「ああ……」
 と、ヴァルマは口元を押さえてややうつむき加減になった。
 まさか、エルフィの件じゃないだろうな。この状況で戦闘になったら、十中八九、俺はやられるな……。
 俺はどくどくと心臓を高鳴らせながら、いつでも飛び出せるように気構えていた。
 ヴァルマは神器を三つも所有している。本気で襲い掛かられたら、かなり絶望的な実力差だ。逃げ果せるかどうかの自信もないが、とりあえず無抵抗でやられてやるほど俺はお人よしでもない。
 けど、ヴァルマにはそんな戦闘的なピリピリした空気が一切感じられなかった。人は相手に仕掛ける時、多かれ少なかれ必ず殺気を放つ。俺らのような人種は、そういった気配には敏感に気づけるように訓練されている。人体の動作の何よりも殺気は雄弁に語る。それを感じた瞬間に動作が始まると言っても過言ではない。今のヴァルマには、それが圧倒的に抜け落ちていた。どうも、半年前にエルフィを傷つけた俺への恨みがどうこうという様子ではない。
 だったら、一体なんだ?
 ヴァルマはなかなか口を開こうとはしなかった。
 気まずい沈黙が互いの間に訪れる。普通にしていれば聞こえない建物の外の音や、廊下を歩く誰かの足音が閑古に聞こえてくる。それに刺激されて、より会話しようと思うのだが、なかなか切り出す事が出来ない。そもそもヴァルマとタイマンで話し合った事なんて一度もないのだから。
 きょろきょろと落ち着きのない行動を見せては、また口元を手で押さえたりを繰り返すヴァルマ。俺はそんな様子をただ黙ってじっと見ている他ない。
 そんな息苦しい時間が何分か経過した後。やがてヴァルマはたっぷりと逡巡し、かすれかけた声でゆっくりと語り始めた。
「私は弱いな、と思ってね」
 そう言って微苦笑を浮かべた。
 ……は?
「弱いって……お前がか?」
 魔術学科ではトップクラスの実力者だったヴァルマ。神器も授与され、そしてそれ以外に二つも神器を持っている。実力だけを考えてみれば、おそらくこの世で三本の指に数えられる最強種族クラスとも対等に渡り合えそうなほどのレベルだというのに。
 決して自分を過小評価なんかしない性格なのに。これだけの要素を持ちながらも、何故、そんな事を言うのだろうか?
「ああ」
 思わず眉を潜めて問い返した俺に、ヴァルマは苦笑しつつ、そうはっきりと答えた。