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「さて、始めようか」
「はい……」
「はい……」
 卒業式を終え、今週中にはこの部屋も引き払う事になっている。皆も既にそれぞれの目的に向かって発った後だ。我々もまた、すぐに旅立つ予定だ。だが、その前にしておかねばならない事がある。そう。半年前に手に入れた神器、魔宝珠を使うのだ。
「兄様……」
「兄様……」
 エルとシルが不安げな表情を浮かべる。
 魔宝珠は未知の神器。ようやく実験段階を終えたというものだ。その不安も無理は無い。
「心配するな。私は決していなくならない。私が今までに約束を破った事があるかい?」
「はい……」
「はい……」
 私の言葉に納得しつつも、依然として不安の拭えない表情だ。私は二人にそっと口付けた後、自分のベッドの上に座った。
 まずは上を脱いで上半身をさらす。資料によれば、魔宝珠は文字通り体に寄生する。となれば、寄生させる場所は、目立たず、かつ傷つきにくい場所がいい。
「では、始めるよ。二人とも、後は頼む」
「はい」
「はい」
 先ほどまでとは打って変わって、覚悟を決めたかのような強い瞳をしている。昔はあんなに泣き虫だった二人が、よくもこう強くなってくれたものだ。
 私は手のひら大の鉄箱の蓋を開いた。その中には、私が第三宝物庫から強奪した神器、魔宝珠が青い輝きを放っている。
 これが、私のこの忌々しい体を作り変えてくれる。長年欲して止まなかった、何事にも怯まない強靭な肉体が、今、こうして現実に私のものとなろうとしている。魔宝珠とは体組織を強化する寄生神器である。魔宝珠を体に寄生させる事で体組織を細胞レベルで強化できるのだ。
 魔宝珠を右手に持ち、起動韻詩を踏む。
「……動いた」
 起動韻詩によって封印を解かれて、まるで生物の心臓がするそれのような鼓動を始める。これまで何の変哲もない宝石だった魔宝珠が、中から生命の力強い奔流を感じさせた。
 資料には、魔宝珠のような生体に寄生するタイプの神器を実際に人体に使用した報告例はない、とされている。つまり、生体を細胞レベルで強化出来るというのはあくまで理論上は可能というレベルでしかないのだ。無論、アカデミーの神器開発陣の技術力を否定する訳ではないが、理論上の計算と実際に起こった事象とが大きく違っていた、なんてことは神器に限らずざらにある事だ。
 しかし、私には他に選択肢が残されていないのだ。毎週のように体調を持ち崩し、時には生命すら危うくさせるような私の体。私が短命なのは火を見るよりも明らかだ。寿命に関してだけは、如何なる精神論を持ち出したとしても、自らの望む日まで延長させる事は出来ない。
 それが否が応にも対面しなくてはいけない現実であり、私に与えられた運命だ。だが私は、それを甘受するつもりは毛頭ない。私はエルとシルを残して死ぬ訳にはいかないのだ。
 私は魔宝珠を胸に近づける。
 もし天命というものが存在するのなら。私は全力を持ってそれに抗ってみせる。いつ人生に幕を下ろすのかは、自分の意志で決めるのだ。天やら神やら、そんな訳の分からない存在に自分の人生の行く末を左右される訳にはいかないのだ。
 と―――。
 突如魔宝珠は、私の手から離れ勝手に胸の中へ飛び込んだ。そのまま、まるで意思を持っているかのように自ら胸にめり込み始める。
「ぐっ……」
 胸に、まるで木の根が生え伸びるような、無数の何かが体を侵蝕する感触が伝わる。それは私の体を侵蝕するのと同時に鋭い痛みを伴わせた。
「兄様……」
「兄様……」
 いつの間にか私は、胸に半分ほど陥没した魔宝珠を押さえながら苦しみ悶えていた。そんな私の様子に見かねたエルとシルは、私の両脇に寄り添って不安げに私を見つめる。
「大丈夫だ……心配はな―――」
 瞬間。
 私の体内に伸びていた根は、全身を侵蝕しきったのかこれ以上の侵蝕をやめた。だが、それと同時に全身に焼け付くような痛みが走り始めた。これまでの針を刺すような鋭い痛みではなく、たとえるなら、自分の体を細切れに切り刻み、肉と骨とを分別されるような痛みだ。
「ぐああああああああっ!」
 たまらず私は声をあげた。
 凄まじい激痛だった。気を抜けば内臓を引き抜かれるような、まさに痛みの嵐だ。
 魔宝珠が全身の細胞の配列を作り変えているための痛みだろう。ある程度の予測はしていたものの、これほどまでとは思ってもいなかった。このままでは、何より先にこの激痛でショック死してしまう。
 ベッドの上で痛みにのた打ち回る自分を、混濁する意識の奥で微かに感じた。喉や胸を掻き毟りながら、その痛みを取り出そうと暴れている。だが、体表を傷つけようともそれを痛みとして感じさせないほど、体内を蹂躙する痛みは途方もなかった。
「シル! 兄様を押さえて!」
 シルが私の体の上に馬乗りになり、私の両腕を押さえつける。その間にエルが私の口にタオル噛ませ、舌を噛み切らぬようにした。
 激痛のあまり、もはや自分でも自分が何をしているのかすら分からなくなっていた。
 それでも意思の片隅では、この激痛にしきりに耐える自分が微かに残っていた。如何なる運命も切り開き、自分の思う人生を生き抜かんとする自分だ。
 その自分だけを頼りに、この抗い難い激痛に必死で抵抗し続けた。だが、ある時突然、その意思とは無関係に意識がぷつりと切れた。




 気がつくと、既に朝だった。カーテンの隙間から朝日が差し、その眩しさに思わず目を細める。
「私は……」
 寝起きのため、頭の回転がすこぶる悪い。毎日の事だが、同じ事の繰り返しのはずなのに状況把握にはどうしても数秒単位で時間がかかってしまう。
 いつの間にか寝間着を着せられていた。そっと胸を触ると、その上からは硬い異物の存在を感じた。胸に埋め込んだ魔宝珠だ。胸や首筋に疼痛が走っている。どうやら痛みに耐えかねて自分で掻き毟った傷痕のようだ。
 それらを元にし、時間と共に昨夜の出来事が逆回転に思い出されてきた。時間と時間のパズルが組み合わさると、意識を失っていた空白の時間帯を推測できる。
 ゆっくり上体を起こす。
 傍らに、ベッドに突っ伏すように座りながら眠っているエルとシルがいた。二人とも着のままで、同じ格好をして眠っている姿が実に微笑ましかった。
 ずっと私を看ていてくれたのか。それで途中で疲れて眠ってしまったのだろう。
「起きなさい。風邪を引くよ」
 私は二人を揺り起こす。ん、と僅かに唸り、二人は憂鬱げに頭をあげた。
 お互い目が寝惚けている。自分に似て、寝起きは頭がよく回らないのだ。そのまましばしこちらを見つめながら、時折目を擦ったりしボーッとした表情で固まる。
「……あ、兄様!?」
「……あ、兄様!?」
 と。状況を把握した途端、二人は急に驚きと喜びとを同時に顔に浮かべた。
 そのまま二人は私の首元に抱きついてきた。よしよし、と二人の背を叩いてなだめる。もう、こういうじゃれあいをする歳ではないというのに。幾つになっても子供っぽさの抜けない二人に苦笑する。
「お体は大丈夫ですか?」
「お体は大丈夫ですか?」
「ああ、何ら問題はない。むしろ、これまでにないほどいい気分だ」
 いつもは、起床直後から最低一時間は気分が優れない。全身も倦怠感が強く、腕一本動かすのも苦痛なほどだ。しかし、今は全くそれが感じられなかった。むしろ、今すぐにでも外に飛び出したいほどの活力が全身に満ちている。
 そして更に、
「ん……何やら腹が空いたな……」
 私は自分の空腹感に驚きを隠せなかった。これまではほとんど空腹感は感じた事がなく、食事はもはや栄養供給の手段と化していたのだが。栄養どうこうよりも、とにかく何かを食べたくて食べたくて仕方がなかった。空腹のあまり、喉の奥が締め付けられるような感覚がしている。
「ゴハンですか?」
「ゴハンですか?」
 二人も私の言葉にいささか驚いている。
「酷い空腹だ。早く何か胃に収めたくて仕方がない」
 私は二人が用意した食事を、自分でも驚くほどの勢いで平らげてしまった。
 食事には時間をかけ、ゆっくり噛んで食べる。そういった今までの心がけなど、綺麗にどこか吹き飛んでしまっていた。空腹を満たしたいあまり、そんな煩わしい事をいちいち意識してはいられなかったのだ。
 その上、普段自分が食べる量ではまるで満足出来なかった。更に二人に食事を作ってもらって食べ、結局いつもの三倍以上の量をたいらげた。
「いきなりどうしたのですか?」
「いきなりどうしたのですか?」
「うむ……。もしかすると、魔宝珠の副作用なのかも知れないな」
 食欲が満たされると、ようやく自分の変化に疑問を抱き始めた。
 通常、肉体改造とは一定のカリキュラムに添って長期的に行うトレーニングのようなものだ。それが、たった一晩で起こり得るとは、普通ではありえない。第一、自分はそのようなメニューを組んだ覚えすらないのだ。となれば、これは魔宝珠に要因があると考えるのが普通だ。
「副作用ですか?」
「それは一体?」
「魔宝珠は寄生する神器だ。生体を強化する代償に、私の生体エネルギーを吸収しているのかもしれない。この空腹感は、おそらく消化機能が強化された事と不足した生体エネルギーを補おうとするのが重なったせいだろう。なんにせよ、この程度ならば副作用にもならないだろう。食事量の多い人間など、ざらにいるからな」
 時と共に、私の肉体は至極強靭なものに変化していく事だろう。その前にアカデミーを去ってしまえば、私の急激な変化に疑問を抱く者はいない。そして、幾らかの時が経てば。全ての変化を時の流れに理由付ける事が出来る。
 ようやく、全ての願いが叶った。二人を守り抜いていくための力、強靭な肉体の二つを手に入れたのだ。
 満足だった。
 こんなに満たされた気持ちになったのは、まさに生まれて初めての事だろう。
 人として、本来ならば許されない事を私は犯したのだが。少しも後悔はなかった。
 私は、そんな価値観とは無縁の生き方をするのが信条なのだから。



TO BE CONTINUED...