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 無人の宝物庫内を駆ける。その重厚な作りのため、私の足音が宝物庫内に耳やかましいほど反響する。
 内部の見取り図などある訳もなく、どのような作りになっているかなんて知りもしない。けれど思っていたよりも単純な構造で、勘だけを頼りに突き進んでいると一分も経たずにそれらしき扉の前に辿り着いた。
「これは……」
 神器封印室。そう扉のプレートには標されている。
 建物の外観は、主に神器の製造に用いられる魔法金属で作られていたのだが、この扉だけは極普通の鉄鋼で作られている。本当に神器を保管している部屋のものにしては、いささか拍子抜けする薄さだ。
 なんにせよ、うだうだと考えている余裕はない。その向こう側は、もう数々の神器が収められている場所だ。
 私は槍を握り締め、扉の前に構える。空気と共に魔素を肺の中に吸い込む。魔素に流動のイメージを与えて魔力に変換、それを右手に集中させる。昇華。私の衰弱した体を動かす、唯一の命綱だ。今の私はこれしか頼る力がない。気合を込め、扉に向かって一撃。直後、扉には同心円状に大きな穴が口を開けた。
「ふう……」
 大きく溜息をつくと、全身にずっしりと疲労感が重くのしかかってきた。私はそれを精神力で跳ね除ける。この一連の作業もすっかり慣れてしまった。
 今の音で、ほぼ間違いなく他の警備中の生徒が気づいたはずだ。これでいよいよ引き返せなくなったし、行動には一層の迅速さが必要となった。一分一秒をも大切にしなければ。
 扉に開いた穴から封印室の中に入る。
「ここが……」
 さすがに宝物庫と呼ぶだけあり、そこは黴臭く埃っぽい空間だった。臭いも酷く、こんな場合でなければ一時たりとも居たくない。
 早くこの中にある神器の中で一番攻撃力の高いものを見つけなければ。私は周囲の棚を見回しながら倉庫を早歩きで巡る。
 これも違う。
 これも違う。
 どれも神器として凄まじいエネルギーを発しているが、ドラゴンにはとても及びそうにない。ドラゴンを間近に見た事はないが、何度か魔物の類と一戦を交えた事はある。魔物は総じて人間にはないバイタリティや好戦性を持っている。単純な肉体的の強さを考えれば、人間とは比べ物にならないほど優れている。そんな彼らの中で三本の指に入る強さを誇る種族の内の一つを相手にするのだ。生半可な力では、たとえ神器といえども私自身の命取りとなってしまう。
 私は室内に充満するエネルギーの中でより強いものを辿りながら闇雲に突き進む。ふと、私はとある棚の前で足を止めた。それは周囲の棚から隔絶された位置にある真っ黒な棚だった。そこには大小様々な形の鉄製の箱が数多く並んでいる。
 凄い……。
 私は思わず背筋を震わせた。その棚からは、これまでの神器とは比べ物にならないほどのエネルギーの奔流が渦巻いていた。明らかに普通の神器とは思えないほど強いエネルギーを、この鉄箱の一つ一つが放っている。
 そんな鉄製の箱が並ぶその中で、一つだけ厳重に鎖を巻かれた一つの鉄の箱に私は注意が向かった。
 何故、こんなにも厳重な封印が施されているのだろう?
 だが、そんな疑問に対して思考を巡らせる事もせず、気がつくと私は、その鉄の箱に手を伸ばしていた。まるでその箱に自分が呼び込まれているようにさえ錯覚するほど、それはあまりに自然な動作だった。抱き上げたその箱には、薄っすらとスペルが刻み込まれたネームプレートがつけられていた。私はプレートについた埃を払いながら、そのスペルを読む。
「……ブリュー……ナク?」
 その声に応えるかのように、どくん、と箱の中から力強い鼓動が聞こえてきた。




「片付いたか?」
 暗闇の中から現れたエルとシルに、私はそう問い掛けた。
「はい、兄様」
「姿も見られていません」
「よし、いい子だ」
 そっと二人の頬を撫ぜる。二人は心地良さそうに目を細める。
 と。
 宝物庫の中から、金属が引き千切れるような鋭い破砕音が聞こえてきた。ロイアが内部へ侵入したのだろう。この宝物庫の内部の扉は魔法金属製ではなく、ただの法力処理された鉄鋼だ。耐久度は格段に高いとはいえ、四回生ほどの実力があれば、破壊自体はそれほど難しいものでもない。
「ロイアが出てくるのを待とう。それまで、外部にはこの事態を知られぬようにする。十分警戒を怠るな」
「はい」
「はい」
 私達は正面口の方へ回った。
 辺りは相変わらずしんと静まり返っている。他の宝物庫を警備している生徒達も皆、普段と何ら変わりのない退屈な夜を過ごしている事だろう。今、まさにここで重大な事件が発生しているとも知らず。
 私達は正面口の傍の物影に姿を隠し息を潜めた。
 脈拍は普段よりもやや早まっているが、呼吸はまだ落ち着いている。体力的な余裕は十二分にある。いや、単に柄にもなく興奮し、過剰に分泌された脳内麻薬のせいで疲労を感じていないだけかもしれないが。
 全て計画通りに進行している。ロイアは正面口の警備をするグレイスを薙ぎ倒し、今頃宝物庫内の神器棚を物色している頃だ。彼女自身も、あまり悠長な事はしていないだろう。何せ、我々がこうして援護をしている事を知らないのだから。既にこの一帯を警備している全ての生徒には眠ってもらっている。退屈に疲れ、警戒心の欠片もない油断しきった人間を無力化するなど簡単な事だ。手加減はしなかったから、少なくとも後ニ、三時間は目を覚ます事はない。ロイアは今頃、扉を破壊した音を聞きつけた警備達が何時やって来るのか、気が気ではないだろう。一分一秒を争う事態だ。ゆっくりと神器を閲覧する暇もないだろうが、どの神器を持ち出すにせよ、私は自分の目的の神器が手に入れば文句はない。
 そっと私の肩をエルが叩いた。見ると、正面口から黒い人影が風のように走り去っていく姿が微かに見えた。ロイア本人だ。私達が既に警備を無力化した事も知らず、随分と慌てた様子でこの場から逃げ去っていく。
「よし、行こうか」
「はい」
「はい」
 私達は正面口から宝物庫内部へ向かった。向かってすぐ、そこには一人の人影があった。芝の上にぐったりと横たわったまま、呼吸をする以外、ぴくりとも動かない。
 ほう……見事にやられたものだ。
 それは、完全に意識を失って横たわっているグレイスだった。おそらく今は、夢すら見ていない状態で意識を喪失しているだろう。
 グレイスに構わず、私達は内部へ。
 経路はいたって単純なものだった。すぐにロイアが破壊したらしき、巨大な穴が穿かれた扉を見つけた。これが保管室の入り口だと思ってまず間違いはないだろう。
「ここが?」
「ここが?」
「おそらくそうだろう」
 私は扉の中へ足を踏み入れる。途端に私は思わず咳き込んだ。内部は思っていた以上に埃っぽい。あまり気管の強くない私には、少々酷な環境だ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか?」
 そんな私を心配そうに傍らのエルとシルが見やる。
「ああ、大丈夫だ。問題はない」
 私が咳を一つするたびに、二人は心配そうな目を私に向ける。そんな仕草からも、二人が私を失う事にただならぬ恐怖を抱いている事が窺い知れる。
 私は少しでも埃を吸い込まないよう口元を押さえ、先へ進む。目的とするものは、神器『魔宝珠』と呼ばれるものだ。詳しい資料は手に入らなかったが、生体を強化するのを目的として作られた事は分かっている。これさえあれば、私の体は強く生まれ変わる可能性があるのだ。
「ここだな……」
 やがて辿り着いた倉庫の一番奥の棚。そこだけは周囲とは隔絶されており、棚の色も黒く塗られている。明らかに、他の神器と意図的に区別した棚である。神器の中でも特に別格のものが置かれている棚だ。棚に立ち並ぶものはどれも鉄製の箱に収められ厳重に封印が施され、更に棚全体にも強力な結界が張られている。無用心に触れた者は、雷にも匹敵するエネルギーショックの洗礼を受ける事になる。よく見ると、棚に一つだけ不自然なスペースがあった。これまで置かれていた何かを持ち出したかのようなスペースだ。周囲は埃を被って灰色がちな黒になっているのだが、そこだけは埃が積もっておらず、本来の色である漆黒を保っている。
「結界が張られているが……綻びが無数に目立つな。なるほど、ロイアが苦もなく持ち出せた訳だ」
 確かに強力な結界が張られていたようだが、張り直し作業を怠ったせいか、ほとんど効力を失っている。これでは結界としての機能を果たしていない。おそらく、ここにあった神器をロイアは持っていったのだろう。偶然に起きていた結界の綻び目から箱を持ち出したようだ。
「さて、始めるか」
 棚に立ち並ぶ神器の収められた箱は、その新古の差はあれど、どれからも神器の発する大きな力の鼓動が感じられる。今、ここにある神器を全て持ち出せば、一国の軍隊にも匹敵する力を手に入れる事が出来るだろう。だが、それは実に愚かしい行動だ。神器の力は大き過ぎるが故に、器の小さな人間が所有した所であっさりと神器に飲み込まれてしまう。分相応というものを計り知れない人間に、神器を所有する資格などありはしない。
 ふと、私の目がとある箱の前で止まった。
「『THE GEM OF MAGIC』……これだ」
 それは、小さな四辺形の箱だった。他の神器に比べれば頼りないサイズでもある。だが、それとは裏腹に、その中からは箱を突き破らんばかりのエネルギーが感じられた。私はそっと箱に手を伸ばして棚から持ち出す。箱を持つ私の手に、神器の力強い波動が伝わってくる。
「よし、引き上げるぞ」
「待って下さい、兄様」
「待って下さい、兄様」
 その時。何故かエルとシルは私の言葉に反し、この場に留まる事を主張する。
「どうかしたのか? 我々とて、長居はできないのだぞ?」
 すると二人は、何やら決意に満ちた表情を浮かべている。
「私達も何か神器を持って行きます」
「私達は、兄様を守る力が欲しいのです」
「そうか……。分かった」
 私はそう肯いた。
「兄様、ありがとう」
「兄様、ありがとう」
 まるで子供のように無邪気に微笑むと、二人は再び黒い棚を閲覧し始めた。自分達に合う神器を見つけ出すためだ。
 二人の意思ならば、尊重してやるのが兄としての役目だ。それにこの先、もしも神器の略奪が発覚してしまえば、私達の元へアカデミーは刺客を放つだろう。それに対抗するだけの力は必須である。あらゆる災いから、自分の力だけで二人を守り抜く。それは理想型ではあるが、あくまで希望的観測にしか過ぎない。悔しいとは思っても、それが現実である。現実から目をそらす事は、現状把握を怠るのと同じだ。それはそのまま墓穴を掘る事に直結する。
 ―――ん?
 ふと、その時。何かに呼ばれたように私は、何気なく立ち並ぶ棚の一角に視線を向けた。そこには、一冊の厚い本が置かれていた。
 これも神器なのだろうか?
 見た事もないその形に思わず興味をそそられた私は、気がつくとその本に手を伸ばしていた。まるで、その本に引き寄せられるかのように。表紙は何かの動物の皮で作られている。意外にもしっかりとした作りだ。
 視線を表表紙に向ける。
 その本には、『BOOK OF M』と記されていた。



TO BE CONTINUED...