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時刻は二十時を回った頃。ヴァルマ達三人の部屋に、珍しく来客の姿があった。リビングには人影が二つ。一つはヴァルマ。そしてもう一つはロイアだった。いつも一緒にいるはずのエルフィとシルフィの姿はない。ヴァルマが席を外させたのである。
「ほう。心機能が低下する障害、か」
テーブルの上にはタンブラーが二つ並んでいる。タンブラーの中の琥珀色に染まった氷は、ゆっくりとその身を溶かしていく。ヴァルマはタンブラーの一つに少しずつ口をつけながら話を聞いているが、一方のロイアは全く手をつけていない。
「……はい」
膝の上で固く指を組んでいるロイア。視線はどこか一点を虚ろに見つめている。
相対するヴァルマは、まるで日常の些末事に対しているかのように平然とした表情で構えていた。ロイアの本来ならば驚くべきその告白にも、さしたる興味を持っていないかのような素っ気無い素振りだ。しかし、それはあくまで表面的なものだった。酒に酔った様子を見せてはいるものの、その視線は普段にもまして鋭くロイアの挙動に注がれている。その目は、ヴァルマが何かを画策している時に見せるものだった。ロイアのその告白に対し、どう自分に有利に運ぼうか考えているのである。しかし、当のロイアにはそれに気づくほどの注意力は今はない。自分の事だけで精一杯だ。
「それで、私にどうしろと? 悪いが、医術は専門外だ。こういう事ならば、セシアに相談するべきではないのかね?」
「いえ……。医者にも法術師にも、とっくに見限られました。従来の治療手段では治す事は出来ないそうなのです。ですから、ヴァルマに相談に来ました。貴方ほど知識を持った方ならば、何か良い方法を知っているかと思いまして……」
「方法、ね」
ヴァルマはタンブラーの中に僅かに残った琥珀色の液体を飲み干す。しかし、それでも思考能力が低下するほどには至らない。それどころか、今のヴァルマの頭脳は普段以上の精細さを持ち、ロイアの発言の一部始終に対して膨大な量の試行錯誤を繰り返している。
「ない事はない。ただ、少々クリアしなくてはならない条件が厳し過ぎて、あまり現実的ではないが」
「では、あるにはあるのですね?」
と、これまでずっと重苦しい表情を浮かべていたロイアの顔が僅かに綻ぶ。
これまで、どの医者や法術師にも治療を放棄されてきた彼女だ。どうしようもない、以外の言葉を聞かされただけでも、喜ぶだけならば十分過ぎた。
「教えて下さい! それは一体何なのですか!?」
まるですがりつくような鬼気迫った様子で、ロイアはヴァルマにそう哀願する。しかし、一方のヴァルマはそんなロイアをそれほど構う訳でもなく、ただ淡々と自分のタンブラーに氷とウィスキーを注ぎ足していく。焦るロイアとは対照的に、極めて安穏とした様子だ。一見した限り、そんな事など自分には関係ない、とでも言いたげな様子である。
「ドラゴンの心臓」
唐突にヴァルマは、たった一言そう呟いた。
「ドラゴンの?」
すかさず問い返すロイア。しかし、ヴァルマは水差しを取り、中の水をタンブラーに注ぎ始める。新しく作ったそれを一口飲み、それからようやく、ゆっくりと視線をロイアに向ける。
「心臓は生物にとって生命力の源だ。その機能が衰退しつつあるのならば、他の生物の心臓から生命力を体内に取り込めばいい。育ちの悪い植物に養分を与えるのと同じ理屈だな」
「なるほど……しかし、何故ドラゴンなのですか?」
「ドラゴンの生命力は、不死族を除けば、この世に存在する種の中で最も優れている。ここが重要な点だ。心臓の機能が低下しているということは、身体が死に向かっているという事になる。死とは自然の摂理。それを強引にひっくり返すのだ。他の生命体の中途半端な生命力では効果は期待できない」
「そうなのですか……。けど、竜族は」
竜族は、この世で三本の指に数えられる最強の種族の一つだ。
体表は金剛石よりも硬い竜鱗に覆われ、いかなる攻撃も寄せ付けない。そしてなにものをも切り裂く爪と牙、そして口から吐くブレスを武器としている。そして更に、竜語による特殊な魔術まで使用するのだ。
これだけで、普通の人間は竜族との接触を恐れる。特に怒れる竜に遭遇した場合は、もはや人間には死の他ない。それだけ絶大な戦闘力を竜族は保持しているのだ。
「それが最大の問題点だ。人間の戦闘力では竜族に立ち向かう事は無謀の一言に尽きる。しかし、ドラゴンを仕留めない事には心臓が、機能の薄れつつある心臓に注ぎ込む生命力は手に入らない」
「それじゃあ……」
「そう、あながち机上の空論という訳でもないが、実現はあまりに困難だな」
「……そうですか」
視線を自分の膝に落とすロイア。
「だからあきらめるしかない。と、ここまでは一般論だ」
「え?」
「ドラゴンを倒す手段は、案外身近にある」
そう言って水割りをあおる。からん、と氷とタンブラーがぶつかり合う音が響く。
「と、言いますと?」
「神器さ。神器の超常的な力があれば、ドラゴンを仕留める事も不可能ではない。もっとも、その力を使いこなせている前提だがね」
神器とは、それ単体で戦況を引っ繰り返すほどの力を持つ戦闘兵器だ。そのどれもが超常的な力を保有し、所持者には絶対的な戦闘力を与える。その反面、開発コストはあまりに膨大で大量生産は不可能である。それだけの力を持つ武器を無闇に与えた所で、犯罪の後押しにしかならないのだが。
「ですが、私は神器の授与候補には上がっていません。第一、卒業時まで体が持つかどうかも……」
悔しそうに唇を噛む。
ロイアは既に自分の先が見えていたのだ。とうに体は限界が近づいている。あまりに循環機能が退化してしまい、昇華によって体機能を強化しなければ動く事すらかなわない状態である。ロイアには、一刻の猶予も許されないのだ。死の足音が、本当にすぐ後ろまで迫り来ているのだから。
「だから? だから何だというのかね? 君は何が一番大切なのかが分からないほど愚鈍な人間ではないはずだ。今の自分の状況において最優先すべき事はなんなのか、とっくに分かっているだろう?」
ヴァルマはもう片方の手で、ロイアの分のタンブラーを持つ。それを、ロイアの目の前に向ける。うつむき加減だったロイアは、しばらく目を伏せたまま、じっと黙りこくった。が、やがてゆっくりと顔を上げると、差し出されたタンブラーを手に取った。そして一気に中身を飲み干す。
「通常、宝物庫の警備は複数名で行われる。もし、仮に警備網を突破するのならば、事前に綻び目を作っておく事をお奨めしよう。君には失敗は許されないだろうからね」
「……御助言、ありがとうございます」
ロイアはゆっくりと立ち上がった。そしてヴァルマに一礼すると、くるっと踵を返して外の方へと足を運ぶ。
「ちなみにもう一つ。異種族の生命力を自らの体に取り込むという事は、本来ならば摂理には反する事だ。それなりのリスクもあるだろうし、必ずしも順応するとも限らない。ドラゴンの心臓を取り込んだところで、必ずしも助かるという保証はない。アフターリスクもある。それ以前に、私の理屈が正しいという根拠もない」
「でも、私にはそれ以外に他ありませんから……」
背を向けたままそう言い残し、ロイアは部屋から出て行った。無言で見送るヴァルマ。タンブラーに残った水割りを一気にあおる。
そして、溜息。
それが安堵のものか自己嫌悪のものか。ヴァルマ本人にも分からない。
「兄様、起きて下さい」
「兄様、起きて下さい」
自分を揺り動かすその手に、ハッとヴァルマは目を覚ます。
「……ん、眠ってしまっていたか」
「こんな所で眠っていると風邪を引きますよ」
「こんな所で眠っていると風邪を引きますよ」
ヴァルマは寝起きの回らない頭を抱えながら微苦笑を浮かべる。どうやら一週間前のあの時の事を夢に見ていたらしい。
「兄様、ロイアが動くようです」
「明日の深夜、場所は第三宝物庫」
「そうか」
おいで、と両手を広げるヴァルマ。エルフィとシルフィはヴァルマの隣に座り、そのまましなだれかかる。
「作戦通りだな。第三宝物庫には、あの神器がある。私のこの忌まわしい体を作り変えてくれる、あの神器が。騒ぎに乗じて宝物庫に乗り込む。エルとシルにはフォローを頼む。我々は、姿だけでなく存在そのものを誰にも気づかれてはいけないからね」
ヴァルマはエルフィとシルフィにロイアの行動を監視させ、ここ数日の動向は全て把握している。その上で代行警備を統括する組織とコンタクトを取り、グレイスを第三宝物庫に就けさせた。全てヴァルマの計画通りである。
そして、シナリオは最終段階に迫ってきている。アカデミー上層部の内部情報を入手し、そこから各神器の保管場所を割り出し、ヴァルマが目的としている神器が第三宝物庫に保管されている事を突き止めた。後は、そこから目的の神器を盗み出すだけだ。そのための下準備は完璧である。ロイアが宝物庫を襲撃し、その騒ぎに乗じる。たとえロイアが失敗したとしても、自分達はリスクなしに目的の品を手に入れられる。そしてロイアの性格上、自分達との接点を口にしない事も計算の上だ。これほど都合のいい手駒はない。
「兄様は、私達が守りますから」
「兄様は、私達が守りますから」
「ああ……」
自分の体にもたれかかる二人を、ヴァルマは優しく抱き寄せる。
TO BE CONTINUED...