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 私は槍を構え、眼前を見据える。
 目の前には、私の何倍もある巨体が覆い被さるように立ちはだかっている。それは、この世で三本の指に数えられるほどの強さを持つ種族の一つだ。普通の人間なら、まずは被害を最小限に抑える手段を考えるだろう。しかし私は、一歩たりとも退かない。そして出来る限り思考をクリアにして冷静であり続ける。
「……行きます」
 そっと手にした相方に戦いの始まりを告げる。
 どくん。
 私の声に応え、槍が大きく鼓動する。そして鼓動は微熱となり、やがて胎動に変わる。目前の巨躯、ドラゴンパピーが、こちらの戦意に気がついたのか、空を引き裂かんばかりの咆哮をあげて威嚇する。ビリビリと空気が振動し、私の肌にぶつかる。思考は透明になっているが、体は本能的に相手を恐れて冷たい汗を流す。
 と―――。
 まるでその咆哮に呼応するかのように、私の槍も咆哮を上げた。途端に熱の上昇が激しくなり、握っている私の手のひらを熱く灼き始める。
 槍が、ブリューナクが逸っている。戦いと血を求めて。けど、私の足は震えていた。それは、圧倒的な恐怖と、そして躊躇いだ。
 それらを振り払うかのように深く息を吸い込む。
 体が動けば、私に負けはない。私には神器がある。
 迷いを心の奥に押し込めた私は、自ら足を踏み込んだ。




 私の心臓には先天的な欠陥があった。循環機能に問題があったのである。それが最近になって急に浮き彫りになった。初めは、少し激しい運動をすると眩暈がする程度だった。私はそれは単なる貧血と考え、それほど気には留めなかった。だが、その度合いは酷くなっていき、やがて昇華なしでは走る事すら出来なくなった。活動能力を大きく低下させた私の心臓は、著しく私の行動を制限していく。歩く事すらも重労働な状態まで陥った。
 昇華に魔術のような精神を侵蝕する副作用がなかったのが幸いだった。昇華さえあれば、何とか私はかつての体の状態を一時的に取り戻せる。その頃の私は既に、一日のほとんどが昇華を使わなければいけなかった。常用している状態だ。それでもなんとか昇華のおかげで、周囲には平素の自分を装う事が出来た。しかし、それにも暗い影が落ち始めた。昇華を使っている間に得られる身体の自由にまで制限がかかってきたのである。つまり、私の心臓自体がそれだけ衰弱したのだ。
 それは自分の元に死が一歩一歩近づいている事の現われだった。心臓の機能が限界まで衰弱してしまったら、もはや昇華では自分の体を支える事は出来ない。待つのは、心臓がその機能を終える事だけ。
 どうしようもない恐怖が私を締め付ける。私は精神的にどうにかなってしまいそうなほど、その現実に恐怖した。とてもまともではいられなかった。前後不覚になり、死に物狂いで助かる方法を捜し求めた。その末に辿り着いた手段がこれだった。いや、初めからこうするしか方法はないと、私は確信していた。だから自分の体の異常を両親にも打ち明ける事はしなかったのだ。
 大切な友人を裏切り、傷つけて、この槍、神器ブリューナクを手に入れ、何の関係もない命を狩ろうとしている。心臓が失った活力を取り戻すには、不死に近い生命力を持つドラゴン族の心臓を口にするしかないのだ。
 仕方がないのだ。
 私が助かるには、もはや他に方法がない。




 暗雲の立ち込めていた空模様が本格的に崩れ出した。降り出した小雨は俄かに豪雨と変わった。
 冷たい雨が私を打ちつける。
 右手のブリューナクは未だに熱を放ち続け、降りしきる雨を受けてもうもうと蒸気を上げている。握り締める右手は、ブリューナクの熱に灼かれて鈍痛が走っている。けど私は、その痛みが痛みと感じられなかった。気持ちがひどく空虚で、目的を果たした事へ何の感慨も抱けない。
 私の目の前には、変わり果てた姿のドラゴン・パピーがその巨体を横たえていた。目は虚ろに開き、中空を見つめている。だらしなく開いた口からは薄紅色の舌が出、ドス黒い血がとうとうと流れている。
 つい先ほどまでは、動いていたのだけれど、今はもうただの肉塊と変わり果てている。幾ら限りなく不死に近い生命力を持つドラゴンと言えど、首と胴体を切り離されれば終わりだ。金剛石よりも硬い竜鱗も、ブリューナクの前には成す術がなかった。
 と。
 切り離された首が苦しげに声を漏らし、私は息を飲んだ。その強靭な生命力が故、たとえ胴体から切り離されてもすぐには死ねないのだろう。
 私はブリューナクを地面に突き立て、そっとその傍へ。私の体ほどあるドラゴン・パピーの首をそっと抱き締める。右手と左手は届かないけれど、それでも自らの温もりを分け与えてあげるかのように、急速に冷たくなっていくそれを強く抱きしめた。
「ごめんね……」
 悲しみで詰まった喉から、やっとそれだけの言葉を搾り出した。けど、それは激しい雨音にかき消されてしまう。
 私が生きるために、何の関係もないあなたが死ななければいけないなんて。
 普段、当たり前に食べている肉にも同じ事が言えるのだけど。私は悲しさと申し訳なさで居た堪れなかった。
 いつまでもいつまでも私は、雨と血に濡れる寒さに打ち震えながら抱き締めていた。
 血に塗れた私の道の、第一歩目。
 冷たい雨が、そんな私を祝福してくれている―――。



TO BE CONTINUED...