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 激しく高鳴る鼓動が、密着したグレイスの体から伝わってくる。荒い息づかいが私の首に何度も当たる。私の首筋にはグレイスの唇と、そして普段は隠れている鋭い牙の感触があった。
 唇は柔らかくて温かい。しかし、牙は逆に冷たい鈍痛を与えてくる。グレイスの両手が、まるで逃がさぬよう拘束するかのように私の背中を掻き抱く。時折爪を立てては、苦しげに唸り声を漏らす。そんなグレイスを、私はただ、そっと抱き締める。
 グレイスはヴァンパイアのクォーターだ。週に何回か、こうして人間の血を飲まないとおかしくなってしまうのである。体自体は血液を飲まなくても平気だが、精神の方はそうもいかない。中途半端に吸血鬼の習性を受け継いじゃったからだ、と言っていた。
 前にグレイスは、血が飲みたいのを我慢し過ぎて暴走した事がある。グレイスは優しい性格だから、たとえどんなに苦しくとも誰かを傷つける事は良しとしない。だから私がこうして自分から血を飲ませてあげているのである。
 しばらくすると、グレイスの鼓動がゆっくりと穏やかなものになる。全身の力が抜け、息づかいも整ってくる。そして、そっと私の首筋から離れた。
「ごめんね、いつも」
 と、微苦笑。いつもグレイスは気まずそうな表情を浮かべる。私に対して気負いがあるのだ。別に私はそれほど負担に感じてはいない。お金は使えばそれまでだけど、血は幾ら減ってもすぐに元に戻るというのに。
「なによ、今更」
 私は微笑みながら、グレイスの顔へ手を伸ばす。そして、僅かに唇に残った私の血を親指で拭ってやる。
「じゃあゴハンにしよっか?」
「うん。お腹空いた」
 グレイスは立ち上がり、キッチンの方へ駆けていった。私は服の胸元を合わせ、ベッドの上に倒れた込んだ。少し頭がクラクラする。少し吸われ過ぎたかもしれない。
 ふとベッド脇にある窓から空を見上げる。季節がら大分昼の時間が長くなってきたが、さすがにそろそろ星がちらつき始めている。そんな微かに輝いている星達を追い抜き、一際大きく輝くものも紫色の空に浮かんでいる。
 そういえば、今日は月齢十三日だったけ。グレイスは、満月に近づけば近づくほど強くヴァンパイアの本能が出る。結果、吸う血の量も多くなるのだ。付き合い始めて以来、すっかり月齢を確認する習慣がついた。グレイスにとって月齢はとても重要である。満月が近づけば発作が強くなり、逆に新月が近づけば発作は弱くなるのだ。
 普段は優しげな目元をしているけど、一度発作が始まれば、目は真っ赤に変色して爪や牙も伸びる。一時的だがヴァンパイアの血が強くなるからだ。グレイスは周囲に自分の事は隠しているから、当然人前でそんな姿は見せられないし、最大限に注意を払わなくてはいけない。
 やがて夕食の準備が整い、私はグレイスとテーブルに向かう。グレイスは私よりもずっと料理がうまい。グレイスの実家は資産家だか領主だかで、随分の金持ちだ。そんな家の一人息子がどうしてうまいのかと言えば、何でもこっちで一人暮らしをするためにかなり練習したそうだ。元々、手先が器用で神経質な性格のせいもある。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん? 何?」
 一口大に揃えられた肉を一つ頬張ったその時、ふとグレイスが訊ねてきた。
「もうそろそろ夏期休暇に入るでしょう? 僕さ、また実家に帰るんだけど、一緒に来てくれない?」
「私がグレイスの実家に?」
「うん。リームの事を手紙に書いたら、父さんと母さんが是非一度会いたいから連れて来いって言うんだ」
「ふうん、そう」
 私は実家に帰った所で家族はいない。母は私が生まれて間もなく死に、親父も数年前に急死してしまった。実家の道場は、親父の一番弟子のものになっている。特別、わざわざ里帰りしなければならない理由はない。
「いいわよ。なんか美味いモンでも食べさせてくれれば」
「大丈夫。その事も手紙に書いてるから。色々と用意してくれるって」
 あらかじめ知っていたかのように、ニッコリと微笑む。一体その手紙には私の事をどう書いたのだろう? 少々疑問に思ったが、特に気にしない事にした。




「グレイスの実家に行くの?」
「グレイスの実家に行くの?」
 翌日の昼食時。
 たまたま夏期休暇の事が話題になり、私がグレイスの実家に行く事を聞いたエルフィとシルフィが驚いた表情を浮かべた。
「なになに、結納?」
「なになに、結納?」
「違うわよ。両親に挨拶するだけ」
 どうしていきなりそこまで話が飛躍するのだろうか。二つ揃って興味津々と。
「でも、両親に紹介するって事だから、何も意味はないって訳じゃないよね?」
 と、セシア。
 まあ一般的にはそういう事になるんだろうけど……。
「グレイスはどう思っているのかしら?」
「え……?」
 そうロイアに問われ、しどろもどろになるグレイス。
「って言われても……。ねえ?」
 返答に困り私に振ってくる。
「私に聞かないでよ。グレイスの親の話でしょ?」
 グレイスが手紙に何を書いたのかは知らないし、両親が何のために私に会いたいのかも知らないのだ。
「なるほど。息子の未来の妻になる人物に興味があるという事か」
「ひゃー。両親公認!」
「ひゃー。両親公認!」
 嬌声を上げるエルフィとシルフィ。
「妻ねえ。でもさ、まだ引き返す事は出来るぞ? 考え直すのが賢明だ」
 私はビーンズサラダの豆を一つ摘み、それをガイアの額に目掛けて弾く。
「だっ!?」
 ガイアの額に当たった豆は粉々にはじけ飛んだ。



TO BE CONTINUED...