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何かあったのでしょうか?
昼休み。
いつものようにみんなと、昼食を取りに南食堂に向かっていたその時。私はふと、ついこの間までとは違う、何か違和感のようなものを感じた。それが何かと言えば―――。
「だから言ってるだろう? 昨日のはほんの軽い冗談だって」
「冗談であんな事するの? 変態」
私より何歩か前を歩く二人。先ほどからあの調子で、何やら小突き合ったりはしゃいだりを繰り返している。声はよく聞こえてくるけど、その内容まではよく分からない。どうやら昨日何かあったようなのだが、それ以上の事は分からない。
最近、何故だかガイアとセシアが親密になっているように思えてならない。まず、ガイアの冗談に対するセシアの受け答え方が、以前より変わっているのだ。どう変わったのかと聞かれれば、少し言葉の選択に困る。何と言うか、あまりに感覚的なので曖昧な表現になるけれど、どこか柔らかくなったというか、真っ向から跳ねつける威圧感がなくなっているのだ。表では怒っていても、心の内では笑っているような。
「俺はやる時は堂々とやるぞ」
「ほら見なさい。やっぱりわざとしたんじゃない」
「だから、触ってないって。意識もないのに面白くないだろ」
つん、としたセシアの表情。けどそれは、初めの頃のような冷たさや威圧感はなく、逆にどこかおどけているように見える。セシアがみんなにより打ち解けてくれるのは喜ぶべき事なのだが、目の前の光景には、どこか物寂しい気がする。自分がガイアの隣に居たかったからだろう。
れっきとした証拠はないけど、でも間違いなく二人は―――だろう。今はそこまで行っていないかもしれないけど、そうなる日も遠くない。こういう時だけ鋭く働く自分の勘がもどかしい。テストの選択式問題なんて、勉強したものならともかく、全く分からない問題を当てずっぽで解答して正解したためしはないのに。
「ロイア」
「ロイア」
「ひゃっ!?」
突然、後ろから両肩を叩かれ、私は思わず身を震わせて声を上げる。
「ど、どうしたの?」
「きゅ、急に声出して」
振り向いたそこには、エルフィとシルフィの驚いた顔があった。
「いえ、その、ちょっとボーっとしていまして……」
「ふうん、そうなの?」
「ふうん、どうかしたの?」
二人は左右から私の顔をしげしげと覗き込んでくる。その表情があまりに無邪気なので、つい私は口元を綻ばせてしまう。
「大した事ではありませんわ。ほら、よくありますでしょう? 思い出したいのですが、自分でも何を思い出したいのか分からない事。それですわ」
「ああ、なるほど」
「ほう、それも然り」
二人は全く一緒の動作でうなずく。まるで等身大の鏡に映しているかのような光景だが、それももう見慣れたものである。
すぐに一人で考え込むのは、私の悪いクセです。不毛な事を思い悩むのは、もうやめておきましょう。
そして私達は、ほぼいつもの時間に南食堂へ到着する。
相変わらず今日も窓際の大席はきちんと八人分空いている。これが去年から今までずっと続いており、既にこの席が私達の指定席と化している。ガイアは、ヴァルマが良からぬ手を回しているからだ、と言っているのだが、ヴァルマがそんな悪い事をする訳が無い。きっと、いつも私達がここに座るので、皆が気を使って空けてくれているのだろう。
「もう少しで亢龍杯ね。あー、早く来ないかなー」
沸き立つ闘争心を堪えきれないらしく、うずうずしているリーム。
前回は、何やら上部の判断で惜しくも出場は見合わされたのだが、今回は遂に念願叶って格闘技学科二回生の部に出場する事が決定したのである。大会では、前回のフラストレーションも込めて大暴れするらしい。この様子だと、上位入賞は間違いないだろう。
「そういや、ヴァルマ。お前、また今年も辞退したんだって?」
「私は益のない戦いなどに興味はないからね」
そう言ってお茶に口をつける。
「ほう? そんな事言って、単に体力がないからだろ?」
「適材適所、という言葉がある。私は自分が頭脳労働に向いている事をよく知っている。身の程をわきまえた選択、と言ってもらいたいな」
ヴァルマはとても優秀な魔術師で、その上、まるで頭の中に書庫があるかのように博識なのである。だから私達は、分からない事があればすぐにヴァルマに訊く。するとヴァルマはいつも的確な解答をしてくれるのである。
既にヴァルマは全過程を修了したため、申請をすればすぐにでも卒業が出来るのだが、今は研究室を一つ借りて、魔術の研究をしている。魔術学科の教師に、頼むから残ってくれ、と泣いて頼まれたからだと言っていた。やはりアカデミー側も、ヴァルマのような優秀な人材は手放すのは惜しいのだろう。
「そういえば、ガイアもわきまえてるよね? 自分の立場」
「そういえば、ガイアもわきまえてるよね? 自分の立場」
そう同時に口を開く、エルフィとシルフィ。
「は? 何の事だ?」
「だって、亢龍杯には出ないんでしょう?」
「だって、亢龍杯には出ないんでしょう?」
「出ないんじゃなくて、出れないんだ! っていうか、誰が出るか! あんな公開殺人!」
前回の亢龍杯は、重傷者四十人、軽傷者だけなら二百を越える結果に終わった。本当にいつ死者が出てもおかしくはないほど、亢龍杯は過激なのである。基本的にルールはなく、一対一で時間は無制限。テンカウント、相手のギブアップ宣言、対戦相手が死亡した場合にのみ勝敗が決する。ただの行事だというのに、ルールブックには何の躊躇いもなくストレートに『死亡』の二文字が記されているのだ。冗談にしては性質が悪いけど、戦士たるものは常にこの事実を胸に秘めておく心構えが大事なのだろう。
「エル、シル。哀れな人をからかってはいけないよ」
「はーい」
「はーい」
ヴァルマの言う事には素直に返事をする二人。
「ケッ……相変わらず仲がよろしい事で」
一方ガイアは、面白くなさそうにやさぐれた表情を浮かべている。
「そうそう。亢龍杯が終わったら、次は夏休みだ。ねえ、夏休みはどうする?」
リームが嬉しそうに言い出す。
普段、彼女は何かとアカデミーは窮屈だの息苦しいだの愚痴をこぼしていたのだから、やはりそれらから解放される夏期休暇は楽しみなのだろう。
「なんだ、お前。少し気ィ早くねえ?」
「春が過ぎれば、あっという間よ? 今から考えておかなきゃ、夏を取り逃がすわ」
「で、お前は何をしたい訳?」
「そうねえ、海にでも行って、サメかマグロを獲ってこようかなあ」
「素潜りでか? まあ、がんばったってくれい」
あきれの混じった顔で、ガイアはなげやりに答える。
リームは冗談を言っているのではなく、いたって真面目だ。しかし、リームには悪いけど、私もそれは幾らなんでも無理と思う。それに、そんな人が潜れるような所をサメやマグロが泳いだりしない。第一、ニブルヘイムのような気候で海に潜ったりしたら、心臓発作若しくは凍死してもおかしくはない。夏とは言っても、単に一年の中で比較的平均気温が高いだけなのだ。
「私は例の如く湯治に行くよ。去年行った所は、なかなか効いたからね」
ヴァルマは体が弱く、よく熱を出したりして体調を崩す。生まれつきの体質なので、薬を服用してもなかなか良くはならないらしい。
「お肌にもいいの」
「美容に最適なの」
エルフィとシルフィは、アカデミーでも有名な美人姉妹である。でも、二人はヴァルマ以外の男性にはまるで興味がない。兄妹なのに、とは思うが、本人達がよければそれでもいいのかもしれない。
「相変わらず爺むさいやっちゃなあ」
ガイアが馬鹿にした笑みを浮かべる。と、ガイアの座っていた席のテーブルの目の前に二本のサラダフォークが突き刺さる。
「次は当てます」
「次は血が出ます」
にっこり微笑む二人。だが、目は笑っていない。
「……悪かったよ」
渋々謝るガイア。
そうなる事を知っているのですから、よせばいいのに。それとも、もしかして、やられたがっているのでしょうか?
「俺はどうすっかなあ。グレイスはどうすんだ?」
「一度、実家に帰るよ。やっぱりうちの両親、心配してるみたいだからね」
グレイスの実家は、とある地方の有数の資産家なのだそうだ。グレイスは一人息子なのだそうで、それで遠い所に就学しに行ってしまったグレイスを心配しているのだろう。
「うーん、俺は帰りたくないなあ。成績でどうこう言われそうだから……」
「自業自得ね。ま、たまには親孝行の一つでもしなさい。ところで、ロイアは?」
「私ですか? 私も一度実家に帰ろうかと思っています」
「なんだ、結局みんな去年と同じじゃん」
昼休みも終わりが近づき、南食堂を出る。
ガイアとセシアは、また並んで歩いている。来る時と同じように。
その内、腕を組んだりするようになるのだろうか?
それ考えると、ちょっと胸が痛んだりもするような気がする。
「ねえ、兄様」
「ねえ、兄様」
自室にて、いつものようにソファーに背を預けて本を読んでいたその時。エルとシルが甘えるような声で訊ねて来た。そのまま、それぞれが私の左右を挟むように座る。
「なんだい?」
「ガイアとセシア、なんか怪しいですよね?」
「ガイアとセシア、なんか仲良いですよね?」
ここ最近の、彼ら二人の事についてそう感じたのだろう。
「そうだね。薄ら気づいてはいたが、やはりそう思うか」
とはいえ、私はこの手の分野は苦手だ。私には、赤の他人を心の底から信頼するという感覚は到底理解出来ない。
「でも、なんか不釣り合い。方や、未曾有の天才法術師」
「でも、なんか不釣り合い。もう方や、極平凡な魔術師」
ガイアとセシアでは、確かに周囲の人間が不釣り合いだと言っても、それは否めないだろう。それだけ二人の立場というものは大きな差がある。その差を埋めるのが、男女間の愛というものだ。しかしそれは、一般的にただの馴れ合いと混同しやすく、そして双方の意思の疎通がうまくいかない事もざらにある。早い話、増長し過ぎた幻想なのだ。
「天才にしろ平凡にしろ、それはただの肩書きでしかないさ。男女間の愛情の成立の法則だけは、私もいささか理解しかねる」
「私達は?」
「私達は?」
今の私の言葉に突き動かされたのか、急に不安げな口調で哀願するかのような声を出す。そして、まるですがりつくかのように私の肩にそれぞれが手を伸ばす。
私は口元に微苦笑を浮かべ、そして互いをなだめるように優しい口調で言葉を続ける。
「いつも言っているだろう? 私達三人はいつも一緒だ、と。私達の愛情は確かなものだ。二人とも、私を疑っているのではないだろう?」
「はい」
「はい」
迷いの無い答え。
そして、私の答えも二人と同じだ。
私は、この世ではこの二人しか愛さない。
他の愛情も要らない。
私は、この二人さえいればいいのだ。
他の人間はどうでもいい。
「ねえ、兄様」
「ねえ、兄様」
と、二人が私の傍らに寄り添うように体を近づけてくる。
それが何を意味するのか、私はよく知っている。
「今夜も一緒に寝てもいいですか?」
「今夜も一緒に寝てもいいですか?」
予想通りの答え。
私は、もう十七になるというのに、依然として子供のような二人にやや微苦笑し、そっとそれぞれの頭に触れ自らの肩へと抱き寄せる。
「ああ。構わないよ。私達はいつも一緒だからね」
私は、愛護やら福祉やら、そんな人間愛を連想させる言葉など信じはしない。
言葉だけの、
上辺だけの、
体裁だけの、
愛。
そんなもの、クズの役にも立たない。
吐き気がする。
私が信じる愛情は、二人の妹のものだけだ。
二人だけが、無償の愛情を限りなく私に注いでくれる。だから私も、出来る限りの愛情を注いであげるのだ。
二人以外からの愛情なんて、全て。
消耗品と同義。
潤滑油と同義。
砂のようなものだ。
愛。
人間が作り出した、もっとも下劣な言葉だ。
信じるとか、支えるとか、他人同士でよくもそんな事が言えるものだ。
どうせ、自己の存在を他人に認めてもらうだけの、自慰のような馴れ合いだろう?
それを『愛』という言葉で綺麗に飾っているだけなのだろう?
裏切る時は一瞬で、あれほど吐いてきた言葉も、あっさり覆せるのだろう?
所詮、そんな程度なのだ。
だから私は、エルとシルしか愛さない。
二人は私の事を何から何まで理解し、そしてまた、私も二人を誰よりも理解している。
見ず知らずの他人に、自分の全てを曝け出すなんて。
私には理解出来ない。
TO BE CONTINUED...