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 日曜日。私はガイアと一緒に街を歩いていた。それも二人っきりである。
 どうしてこんな事になったのか。
 事の始まりは、つい昨日の事である。
『そういや、上着。着れなくなったって?』
『背中のところに大きく穴が開いちゃったからね。火を消すのに使ったから』
『じゃあさ、俺、弁償するよ。そもそも俺のせいなんだし』
『いいわよ、別に』
『いーや、やる。気が済まないから。午前十時に、中央広場の時計塔の下で待ち合わせ。決定』
『なに勝手に決めてるのよ』
『そんじゃな。サイナラ』
『ちょ、ちょっと待ちなさいってば』
 そんな訳で、断れない状況を作り出されてしまったのだ。これでは行くしかない。
「ねえ、もう暖かくなってきたから、上着なんていらないんじゃない?」
「じゃあ、代わりにああいうのはどうだ?」
 と、ガイアはとある店のショーウィンドウを指差す。ランジェリーショップ、それもかなり面積の狭いデザインばかりのだった。私は無言でガイアの脇腹を引き千切る。
「ま、まあ、あれさ。上着どうこうってのは口実だからね」
「私を連れ出す? それとも、今のようにセクハラ発言責めをするため?」
「両方」
「でしょうね」
 ガイアは、つい数日前はあんなに破綻していたとは思えないほど、普段の明るい姿を取り戻していた。
 ふと思ったのだが、ガイアのこういった不真面目でヘラヘラとした性格は、実は自ら望んで構築した性格なのかもしれない。目的は、何事も脱力していい加減に生きる事で、気を張り詰めさせないようにするため。そうすれば、邪眼の力をうっかり使ってしまうような緊迫した精神状態に陥らない、というメリットが得られる。
「本当の目的は?」
「別に。これと言って、特になし」
 へらへらと締まりのない顔で笑うガイア。
 ……まさかね。やっぱり私の買い被りかしら? そんな殊勝な心がけがあるようには思えないけど……。
 けど。
 人間なんて、誰しもが必ず二面性を持ち合わせている。光が強ければ影が色濃くなるように、表の顔が明るければ、裏には想像もつかない暗い顔があるものだ。
 精神が一色の人間なんて存在しない。どこかしら黒と白の二面性があり、双方のバランスを保つ事によって精神状態を安定させられるのだ。光あっての影、影あっての光だ。そのどちらかが強過ぎてしまうと、すぐに精神に変調を来たす。残虐極まりない犯罪に走ったり、よく分からない神仏の類を盲信して隷属したりするのが、その顕著な例だ。
「なら、買い物でも付き合ってもらうわ。お金は払ってくれるんだったよね?」
「でも、あれだ。無難なヤツには払わんぞ。煽情的かつ革新的なデザインじゃなきゃ許可しない。若い内は守りに入っちゃ駄目だよ」
「何の事を言ってるの?」
 まったく、と思わず溜息。
 ガイアの戯言はともかく、一時横に置いておこう。
 休日の街は、大勢の人の姿があった。ニブルヘイムは平日と祝日の差がはっきりしている国だ。ヴァナヘイムは一年の流れから平日と祝日を割り出している。つまり、行き当たりばったりの傾向が強いという事だ。ヨツンヘイムの方は、しっかりと祝祭日や休日は定められているものの、休日返上で働く事が常らしい。もっとも、治安を考えれば休日どころではないのだろうけど。
 人込みの中を、ガイアと二人連れ立って歩く。
 何だか妙な気もした。
 これはまるでデートみたいだ。
 そういえば私、デートとかした事なかったっけ。なんせ昔のあだ名が、背が高かったせいで大魔人だったし。あ、そういえば、カチンとくる発言をしたヤツを辞典でぶっ叩いた事もあった。もしかすると原因は、身長じゃなくてそっちの方かもしれない。
 そんな訳で、そのせいで恐れられてしまい、男の子がやけに遠かった。当時は、女の子にはそこそこ慕われてはいたが。頼りにされても、逆にこちらの方が困ってしまう。私は何でも解決出来る訳じゃないのに。
「俺さ」
 と、急にガイアが口を開いた。口調が先ほどまでとは打って変わって神妙である。
「あんまり人込みは好きじゃないんだ。というより、むしろ怖い」
「どうして?」
「たまに夢で見るんだ。大勢の人が俺の目の前で次々と死んでいく光景。そして汗びっしょりになって目を覚まし、夢で良かった、って安心する。けど、それから家を出ると、夢で見た光景が思い浮かんでくるんだ。そして、今度は夢では済まされない、って恐怖が込み上げてきて。だから、人込みはあんまり好きじゃない」
「夢は、所詮夢よ。目が覚めたら消えてしまうわ。シャボン玉と同じ」
「ああ、分かってる。でもさ、やっぱり怖かったんだよな……」
「じゃあ、今日は一体どういう心境の変化?」
「お前に言われてさ。変わろうと思えば変われるのかなあ、って」
「そっか」
 一時の感情だけで人を殺す事が出来る邪眼。
 確かに恐ろしい力だ。自分が殺されるかもしれない、という意味ではなく、鞘から抜き放たれれば収まりのつかない剣を持つ事への恐怖だ。
 そんな力、私だって持ちたいとは思わない。確かに気に食わない連中にこっそり気づかれず恨みを晴らせるというメリットはあるけど、それ以外のリスクがあまりに大き過ぎる。大切な人をも傷つけてしまうかもしれない力なんて、私はいらない。
 望まぬ力を持たされてしまったガイア。
 その気持ちを完全には理解してあげる事は出来ない。だけど、いつまでも同じ所に留まろうとするのを、手を取って引っ張っていく事ぐらいはできる。しかし、本人に前へ歩く意思がなければ意味がない。与えられたものだけを消化しているだけでは何の進歩もない。自主的に動く能動さが何よりも成長を促すのだ。でも、ガイアは自らの意思で立ち向かう気になってくれたようだ。そして今日は、そのほんの第一歩目。私がそのきっかけになってくれたのならば、それでいい。
 その後、通りを二人でぶらぶらと歩く。
 私は、ガイアにサマーセーターを一着買ってもらった。ノースリーブのヤツだ。着るにはまだ季節的に早いけど。これがガイアの言う所の煽情的なデザインらしい。なんとも男という生き物は想像力豊かなものである。
 それから昼時になり、私達はその近くの喫茶店に入った。軽食と飲み物を共に頼んだ。私はオレンジシェイク、ガイアはブラックのコーヒーだ。
 アカデミーではみんなと昼食を取るので、私はガイアがよくブラックコーヒーを飲む事を知っている。けど、だったら、グレイスは何をよく飲む、と訊ねられると私は答えることが出来ない。とりあえず、コーヒーとか答えるだろう。どうやら私は、ガイアばかり観察していたようである。
 ふとそんな自分に気づき、苦笑。
「ねえ、ガイア。あの話、してもいいかな?」
「あの?」
 コーヒーカップに口をつけながら、何の話だ、と目で問い返してくる。
 私はトントンと目じりを叩いて示す。
「ああ……。別に構わない。大声でなければ」
 あまり気乗りしなさそうな表情だ。まあ、仕方がないだろうけど。
「あれからどう?」
「しばらくは鬱状態だった。心なしか体も気だるかったし。思ったよりキテたな」
「それって、まずいじゃない」
「いや、大丈夫さ。基本的には視線を合わせなければ何も起こらない」
 そう言ってガイアは視線を下にそらす。
「じゃあ次は、そのクセを治してもらいたいわね。どうして私とも視線を避けるの? 効かないって言ってるのに」
「仕方ないだろ……クセなんだから」
「だから、そのクセを治すの。少なくとも私に対する時ぐらいは。ほら、こっち見る」
 テーブルに身を乗り出し、ずいっと上半身で詰め寄る。しかし、ガイアは相変わらず視線を上げない。明らかに私の視線を避けている。多少強引な気もしたが、こういった些細な事から治していかなくてはいけないのだ。いつまでも視線を合わせる恐怖に怯えていては、力の克服なんて到底叶わない。まずは邪眼の事を知っている私とから克服してもらわないと。
 要はコントロールだ。邪眼の力は自分の意志で制御出来ないから怖い、と言ったが、裏を返せば、制御できれば何も恐れる必要はなくなる。理想論だけど、絶対に出来ないと決まっている訳でもない。そもそも邪眼自体が未知のものなのだから。
「こっち見なさい。どこ見てるの?」
「いや。意外とくっきり割れてるなあ、と」
 ハッと私は視線を自分の胸元に落とす。
 そして、シェイクのストローをガイアの鼻に刺した。



TO BE CONTINUED...