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 その夜。俺は何も食べる気になれず、部屋に閉じこもってただテキストを読んでいた。読むと言っても、実際はほとんど頭の中に入っていない。
 どうして俺はあんなヤツの事が気がかりなのだ? 別にどうなろうと知った事じゃない。俺が邪眼の持ち主である事を知らずに、日頃からフラストレーションの溜まるような真似をするから悪いのだ。
 そうだ。俺には何一つ非はない。むしろ、被害者は俺の方なのだ。こんな望まぬ力、しかも抜いたら収まりのつかない剣のような力なんて、俺は微塵たりとも欲しいと思った事はない。
 そんなものを、俺は押し付けられたのだぞ? 俺がその力を意図せず使ってしまったとしても、俺は何一つ悔やむ必要はない。俺は被害者だ。咎め立てを受けるいわれはない。
 何度も何度も、まるで呪詛のように繰り返し自分にそう言い聞かせる。
 しかし、俺の胸中からは消えない言葉があった。
 正直に、邪眼の力で傷つけてしまった事を謝ろう。
 まさか。
 そんな事、出来るはずがない。俺が邪眼の持ち主である事を公表するのと同じ事だ。もしそうなってしまえば、俺が邪眼の持ち主である事はあっという間にアカデミー中に広まってしまう。邪眼の持ち主である事を知った生徒や教師達は、一様に俺の事を忌み嫌うだろう。
 みんなだって、表面的には普段通り親しげにするかもしれないが、実際は俺を怒らせないように機嫌を伺うようになるかもしれない。少なくとも、今まで通りに仲良くとはいくはずはない。そして、その内に自然と離れていってしまう。それは、俺が何よりも恐れる孤独という名の恐怖だ。
 邪眼を生まれ持ったばかりに、誰からも自分の人格を否定され拒絶される。それが、俺は何よりも怖かった。だから俺は、人より過剰に保守的になり―――。
 くそっ……。いい加減、こんな堂々巡りの押し問答を繰り返したところで、精神的にまいってしまうだけだ。
 俺は立ち上がり、かけてあった上着の袖に腕を通しながら部屋を後にした。






 やっばい。もうこんな時間。
 最近見つけた、学術書専門の古本屋。そこの壁にかけられていた細工時計の針が指し示す時刻を見て、私は思わず慌ててしまった。
 正直言って、お世辞にも綺麗とは言えない古い建物。土地的にもあまり目立たない場所にある店なのだが、中にある本はどれも今になっては絶版になって手に入りにくくなった希少価値の高い本ばかりで、どれにしようか目移りしてしまうほどだった。だが、そうこうしている間にこんなに遅くなってしまったのである。
 今夜はどこかで食べてから帰ろう。今から部屋に帰って作るのもなんだし。
 結局一番初めに手に取った本を持ってカウンターで代金を支払い、店を後にする。
 うひゃっ、寒い!
 外に出るなり、冷たい風が吹き付けてきた。冬も過ぎ、暦の上では立春を迎えた頃ではあったが、さすがに日が落ちてからは未だに気温がぐんと低くなる。少なくとも、朝と夕方はまだまだ上着が手放せない。ニブルヘイムは寒帯気候であるため、この寒さは仕方がないのだ。生まれた時からこういった寒さの厳しい環境で暮らしてきた訳だけど、それでも寒いものはやはり寒い。特に指先や爪先は、まるで氷のように冷たくなる事だって当たり前の事である。
 さて、と。久しぶりになかなかいい本が手に入った。今夜ざっと読んで、明日早速研究の資料に当てよう。アカデミーには大きな書庫室があるのだけれど、実は見掛け倒しで参考になる資料が乏しいのだ。今日だって、法術学科の書庫室の資料だけでは足りないから、あちこちの書庫室を歩き回った。
 ふと、その時。
 昼休み後の一番最初、法術学科の校舎から出ようとした時、ガイアと出くわした事を思い出す。そういえば、今日のガイアはどこかおかしかった。やけに落ち着きがなく、何やら苛立っているように見えた。
 前々から思っていた事なのだが、ガイアは意外とちゃらんぽらんな性格に見えて、いつも自然体で分け隔ての無い人だ。エリートだ天才だと散々もてはやされる私に対して普通に接してくれる数少ない人。今でこそ他の六人とも仲良く打ち解ける事が出来たけど、ガイアは初めから私に対してそう言った偏見を持たないで接してくれた。そんなガイアの態度は凄く嬉しかった。自分を法術師ではなく、セシア=ウィルセイアという一人の人間として見てくれたのだから。
 ガイアは、そういった既成概念で人を見ない性格なのだろう。誰にでも分け隔てなく接する、とても平等な人なのだ。けど、そんなガイアは絶対に私と目を合わせようとしなかった。それは見た限りでは私だけでなく、他の人でも同じだ。ガイアは、どんな時でも決して人とは視線を合わせたりしないのだ。
 あれはどういう事なのだろう? クセなのだろうか? それとも、単なる私の思い違い?
 ガイアの唯一それだけがいつも引っかかっていた。人の話を聞く時は相手の目を見る。そんな事を律儀に守るような性格ではないけど、全く合わせないというのも不自然でおかしい。意図的に視線を合わせないようにしているのだろうか? だったら、それは一体何のために? 視線をそらされると、ちゃんと相対していないような気がして、どこか物足りなさというか寂しさを感じてしまうのだ。
 ……あら?
 と、その時。向こうの通りから見覚えのある人影がふらふら歩いて来るのを見つける。
 ガイアだ。
 だが、何故か足取りが左右に蛇行しておりおぼつかない。私はすぐさまその傍へ駆け寄る。
「ガイア? どうしたの?」
 ガイアの顔を下から覗き込む。歩くのも辛そうな様子である。
「ん……? なんだ、セシアか」
 苦しげな声でそう答えたガイアの顔は、薄闇でも分かるほど真っ赤になっていた。
「お酒飲んでるの?」
「うるさい……」
 ガイアは酷い下戸だ。みんなと呑み会をする時だって、誰かに強制される場合を除いては、決してアルコールに手を出そうとはしない。
 そんなガイアが酔っているなんて。まさか自分で呑んだのだろうか?
 否が応にも私は、昼間のアカデミーの事もあり、何か事態があるのではと詮索せずにはいられなかった。
「俺の事は放っておいてくれ。不幸になるぞ」
「何を言ってるのよ、まったく。ほら、送ってってあげるから」
「うるさいな! 関わるなって言ってるだろう!」
 唐突にガイアは感情を荒げてそう叫んだ。
 が、驚くのも束の間、ガイアは声を張り上げた弾みでバランスを失い、よたよたと反対側の通りへ。
「っつ」
 と、偶然にもたまたまそこを歩いていた中年の男性ぶつかる。
「おい、どこ見て歩いてんだ?」
 中年の男性はガイアが酔っている事を見抜いてか、露骨に不快そうな表情を浮かべてガイアを突き飛ばす。そのままガイアは道端に尻餅をつくようにして倒れ込んだ。
「痛ェな! おい!」
 だが、ガイアは更にケンカ腰で突っかかって行く。明らかに普段とは様子が違う。普段のガイアは、こんな風にケンカ腰には絶対になったりしない。
 せっかく立ち去りかけた先ほどの男性が気に障ったらしく足を止めて再び戻ってきた。彼もまた、表情からして大分酔っているらしい。
「ちょっ……ガイア、いい加減にしなさい! すみません、この人、ちょっと悪酔いしちゃってるもので」
「おい、ガキ。大人にケンカ売るとどういう事になるか教えてやるか? ああ?」
「黙れ! 消えろ!」
 と、叫んだその瞬間―――。






 ハッ、と我に帰った時は、既に手遅れだった。
「ぎゃああああああ!」
 男のこの世のものとは思えない悲鳴があたりに響き渡る。
 しまった……! また、俺は―――。
 男の頭を、赤々と燃え盛る炎が包み込んでいる。男は炎に焼かれる激痛に苦しみ悶え、頭を抱えながら路上を転げ回る。
 うっ……。
 その時、呑めない酒がまた回ってきたせいか、急激に嘔吐感が込み上げてきて、俺は溜まらず路上に吐いた。
「誰か! 誰か来て下さい!」
 セシアは上着を脱ぎ、それで男の頭を叩いて炎を消し始める。
 皮膚が焼け爛れるその匂いに、俺は更に嘔吐感を催す。だが、夕食も食べなかった胃の中には何も残っておらず、ただ消化器官系統が激痛を伴いながら収縮するだけだった。
 炎に頭を焼かれる中年の男。
 これもまた、俺の邪眼のもたらした逃れようのない厄災。
 自分の不可解としかいえないこの力に、改めて途方もない恐怖が込み上げて来た。
 そして。
 俺は無我夢中でその場から走り去った。



TO BE CONTINUED...