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「次!」
 指導教官の鋭い声が飛ぶ。
 現在は、魔術の実技指導の時間である。とはいっても、まだまだ憶えたての俺達は、そのほとんどが初歩中の初歩の魔術しか扱えない。
 実習内容は、二列に分かれて、立てられた木人に向かって魔術をブッ放すというごく簡単なものだ。
「ガイア=サラクェル、行きます」
 そう宣言し、俺は新たに設置された木人の前に立つ。魔術という性質上、大抵は一発で木人は使い物にならなくなってしまうのだ。
 さて、行くか……。
 ゆっくり大きく息を吐き、目の前の標的をしっかりと頭の中に描く。
 基本過程で習った、空気中の架空物資である魔素を体内に取り込む特殊な呼吸方法により、ゆっくりと調節しながら魔素を貯めていく。ある程度まで蓄積すると、今度は脳裏に魔素を変質させた姿をイメージする。俺の場合は、炎の球だ。
 手のひらを木人に向け、更に集中。
 このイメージを魔素と練り合わせる事により、初めて魔術が成立する。非常に感覚的な過程だが、一度習得してしまえば、それほど困難でもない。難しいのは、加減する方だ。
「飛べ!」
 たった一言の韻を踏むと同時に、変質させた魔素をかざした手のひらから射出。火球はと音を立て、空気を焦がしながら木人の頭部を直撃する。そして音も立てずに頭部を焼き尽くし、後には黒く焼け焦げ、二回り以上も小さくなった頭が残った。
 よし、予定通りだ。
 自分の出した結果に満足した俺は、意気揚々と列から離れる。
「基本は大丈夫だな。イメージングも射出も安定している」
 指導教官は手元のチェック表をつけながら、そう俺を評価する。
「優秀ですか?」
「極めて平凡だ。面白いほどに」
 眉も動かさず、ビシッと教官は俺に向かってそう言った。
 チェッ……。
 もっとも、ギリギリ進級できた俺が、いきなり優秀生徒になるはずがない。平凡レベルまで来ただけでも満足しておかなければ。
「次!」
 こうして魔術の実技は毎日のように行われる。一回生だった頃はほとんど机に向かっていたのに、今はほぼ半々の割合だ。どうやら話によると、進級するごとに実技の割合が多くなるそうだ。
 俺は列の団体から離れる。これは指導教官が生徒一人一人のレベルをチェックするものであるので、これが終わったら、後はほぼ自由に各自トレーニングが出来る。
 さて、本日は何をやろうか―――。
 と、その時。
 突然、俺の背後から爆音が鳴り響いた。続いて、どっと笑い声がこだまする。
 またか……?
 振り返ると、案の定、生徒の一人が僅かに黒い煙を昇らせて失神していた。
「何度も言っているだろうが! 魔素を取り込み過ぎるな! 特にお前らのような四半人前は!」
 魔素には理性を侵蝕する副作用がある。そのため、魔素を過剰に吸収すると、理性が崩壊して暴走するのだ。あの生徒は、また加減出来ずに魔素を取り込み過ぎたのだろう。それで暴走する前に、指導教官に物理的に止められたのだ。暴走を未然に防ぐには、意識を失わせるのが一番てっとり早い。気を失っている間に、取り込み過ぎた魔素が自然に体外に排出されるのだ。
 俺もまた、一歩間違えればあのような姿になる。まだ経験はないのだが、明日は我が身でもある事を常に心しておかなければならない。
「お前は昨日も同じ事をしたな! おい、コラ! ちゃんと人の話を聞いてるのか!?」
 地面に突っ伏したまま動かない生徒に向かって、指導教官の理不尽な説教が続く。
 聞こえるはずがないだろ……。
 せめて意識のある時に言ってくれれば、連日ローストになる事もなかっただろうに。
「さてさて、後は自習自習」
 俺は背を向けてスタスタとその場を後にする。魔術の訓練は、何も実際に魔術を放つだけとは限らない。重要なのは、突き詰めればたった一点なのだ。それは、イメージングである。イメージが明確かつ確固たるものであれば、魔素が僅かでも効果的な魔術を放つ事が可能である。上級魔術は更に高度なイメージを要求されるため、イメージ力を鍛えるだけでもかなり実力は身につくのだ。
 そして俺は隅に立ち並ぶベンチの一つに座る。
 周囲のベンチには、俺と同じように自主トレに励む生徒の姿がちらほらと見かける。分厚い魔術辞典を片手に唸っている者や、顔を真っ赤にしながら手にしたリンゴに向けて念を送っている者など、実にバラエティに富んでいる。あれでも本人達は結構真面目にやってるつもりなのだ。それに、トレーニング方法としては間違ったものでもない。ただ俺は、ああいう第三者が目にした時に思わず引いてしまうようなトレーニングはしない。それに、もっと効果的なトレーニング方法をヴァルマに教えてもらっている。
 さて、俺も始めるか。
 ほんの少しだけ魔素を吸い込み、手のひらに放出。するとそこには、不定形の奇妙な物質が現れる。これはイメージ力を鍛える訓練の一つだ。これを自分のイメージ通りの形に変質させるのである。いわば、粘土遊びのようなものだ。
 まずは小さな炎をイメージする。ボッ、と小さな音を立てて、手のひらの不定形物質がマッチほどの炎に変わる。そして、今度は青い炎をイメージする。ヴァルマの話では、通常は有り得ないものをイメージするのが能力強化の早道なのだそうだ。確かにそれは理にかなっている。現に、このトレーニングを始めてから魔術が格段に安定してきたのだ。
「おや、トレーニングかい?」
 なにやらやけにキザったらしい声が聞こえてきた。
 ああ、ヤツか……。
「見て分からないか?」
 俺は目もくれずにそう答える。
「ハッハッハ。精が出るねえ」
 ヤツは額に手を当て、わざとらしい仕草で笑う。いちいちオーバーでキザなその仕草にイライラが募る。
 こいつは同じ学科のヤツで、コンペータ=クラウサースという。成績はかなり上の方なのだが、何故か自らを『炎の貴公子』などと呼んではばからない。その上、真性ナルシストで救いがたいアホだ。自分の実力を鼻にかけて、こうして俺みたいなヤツに嫌味を吐くのを趣味としているかなり嫌なヤツではあるのだが。しかし、そんなこいつにも弱点がある。
「何か用か? コンペイトウ」
「私はコンペイトウではない! それに私の事はクラウサースと呼べと再三言っているだろうが! 頭には『美しい』『華麗なる』『レディハンター』などをつけろ!」
 こいつはファーストネームで呼ばれる事を極端に嫌うのだ。その上、その名前がお菓子に似ている。だから大抵の連中は、こいつに嫌味を言われるとコンペイトウと言い返すのである。
「ああ、分かった分かった。分かったから、あっち行っててくれ。アホが染る」
「おのれ言わせておけば―――おっと、これは私とした事が。地べたを這いずり回る節足動物如きに声を荒げてしまうとは」
「誰が節足動物だ。それより、そろそろお前の番じゃないのか? あっち」
 と、俺は木人に炎の球をぶつけている列を指差す。
「フッ。この私が下々の者と同じ訓練をしなくてはならないとはな。これも美しいが故の宿命か……」
 コンペイトウは目を細めて天を仰ぐ。何やら常人には見えないモノが見えているようだ。
 これは脳の病気だろうか? 早期治療、もしくは処分してしまった方が社会のためだと俺は思う。
「さて、民草。この借りは後で返させてもらうからな。美しく華麗な私の妙技で」
「分かった分かった」
 しっし、と手で追い払う。
 世の中にはああいうタイプのバカもいるものだ。
 それにしても、毎日毎日鬱陶しいものだ。ああいうヤツがいるせいで、俺は余計なストレスを体に溜め込んでいるのである。とっとと、どっか別のクラスにでも行ってくれないだろうか?
 コンペイトウへの苛立ちをゆっくり鎮めながら、再び気持ちをトレーニングに集中させる。
『クラウサース! 華麗に行きます!』
 あのバカが、離れたここでもはっきりと聞こえるほど大きな声でそう宣言した。
 せっかく集中したのに、また邪魔された。チッと舌打ち。
 その間に、コンペイトウが発動モーションに入る。
 すると、奇妙な形に構えた手に凄まじい炎が燃え始めた。その炎は球体から徐々に形を変え、そして鳥の姿と化す。
『フェニックス・イリュージョン・アタック!』
 その掛け声と共に、コンペイトウの手から火の鳥が放たれる。
 火の鳥は真っ直ぐ木人に直撃する。そして木人は、跡形もなく崩れ去った。
『クラウサース! 妙な技名をつけるなと、いつもいつも言ってるだろうが!!』
 激怒する指導教官。
 確かにふざけた名前だ。だが、それとは裏腹に、威力は凄まじいものだ。あの木人を跡形もなく消し炭にしてしまうなんて。その上、炎で鳥を作るなんてのは俺の技術では到底不可能だ。
 っくそ……。なんでこうも才能の差というものが明確にあるのだろうか? 俺はかなり努力しているというのに……。あんな何も考えていない本能だけのバカの方が魔術師としては優れているなんて。理不尽だ。
『貴様には、この美的センスが分からないのか!?』
『真面目にやれと言っているのだ! もう一回だ! それとも、単位は要らんか!?』
 幾ら自称天才と言っても、単位がもらえなければただの落ちこぼれだ。渋々、コンペイトウが配置につく。その間に新しい木人が運び込まれた。
『こんな地味な技は、私の美学に反するのだが……』
 再びコンペイトウがモーションに入る。構えた手のひらに火球が現れる。だが、あまり気乗りしない表情のクセに、俺のよりも二回りも大きい。ヤツが本気でないのは明らかである。にも拘わらず、俺よりもはるかに強力な魔術を操っているなんて。
 くそっ……。しくじって恥でもかけ。
 遠目でコンペイトウを睨みながら、ボソッとつぶやく。
 その時、突然。コンペイトウの姿が爆煙に包まれた。そして、ドサッという音と共に、まるで糸の切れたマリオネットのように倒れる。
『す、すみません!』
 隣の列にいた生徒の一人が慌てて駆けつける。だが、指導教官がすぐにそれを制し、自らが負傷したコンペイトウの様子を確認する。どうやら今の生徒が魔術を暴発させてしまったようだ。方向を誤り流れてしまった火球の先に、運悪くコンペイトウが立っていたのだ。
 魔術の炎は普通の炎とは違い、単純な物理的破壊力も併せ持つ。つまり、普通の炎とはまるで勝手が違うのだ。その上、防御手段をまるで身に付けていない。たとえ初歩の魔術とはいえ、そんなものの直撃を受けたらひとたまりもない。
『おい、誰か担架を持って来い! それと、法術学科に連絡しろ!』
 俄かに騒がしくなったその場を、俺は茫然と遠くから見つめていた。
 コンペイトウが担架に乗せられたその時、ようやく俺はハッと我に帰った。すぐさま俺の胸に後悔が込み上げてくる。
 しまった……!



TO BE CONTINUED...