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これで、大丈夫だ……。
両方の手首を固定する木製の枷を自分の腕にはめて固定する。出来れば金属製のものが欲しかったが、木製でも十分な強度がある。その上、両足首と膝の二箇所を鎖で縛った。さすがにこれならば、幾ら渇いても身動き一つ取れないはずだ。
遂に来てしまった。恐れていたこの日が。
体の奥底にうごめくヴァンパイアの鼓動が、今日は普段とは比べ物にならないほど激しく流動している。この不吉なざわめきが、僕の中の不安をよりいっそう掻き立てる。
今でこそ太陽が輝いているが、それが沈み夜の帳が下りれば、夜空に月が真円を描く。
満月の魔力は、僕の中のヴァンパイアとしての本能を強く駆り立てる。そうなれば、僕は妄執に突き動かされ人間の血を激しく追い求めるようにだろう。それを手に入れるためならば、いかなる事も辞さない。そういった人間的な理性や道徳心は、全てヴァンパイアの本能によって無理潰されてしまうからだ。
本能に理性が流されたおかげで、これまで何人もの関係のない人を傷つけてしまった。もう、こんな事を繰り返す訳にはいかない。
僕は人間の社会で人間として生きると決めたのだ。だから、決して本能に流されてはいけない。
落ち着け……。大丈夫、僕は乗り切れる。たった一晩耐え抜くだけじゃないか。今までだって、何度もやってきたのだから、なんとかなる。満月さえ過ぎれば、後は新月に向かって後退期に入る。そうすれば、ヴァンパイアの本能も小さく成りを潜めておとなしくなる。それまでの辛抱だ。
日没まで、あと、五時間。
僕は高鳴る心臓を押さえながら、一人、床の上に転がる。
あー、ダルい……。
ひたすら私は園内の敷地を歩き続ける。もう、三周はしただろうか。
時刻は夕暮れ。太陽も沈みかかり、辺りが薄っすらと闇に包まれてきている。今夜は満月という事もあってか、特に厳戒態勢を敷く事になった。ヴァルマの話では、通り魔の正体がヴァンパイアである可能性が高いためだ。それで、今夜は夜中までこうして巡回しなくてはならない。迷惑な事である。
ヴァンパイアは、主に月夜に出没する。それは、ヴァンパイアが太陽の光に弱いからである。あと弱点と言ったら、はニンニクやら十字架やら聖水やらそんなモンだろう。今日は満月だ。まだ陽は落ちていないが、空には雲一つ浮かんでいない。おそらく今夜はかなり明るい月夜になるだろう。こんな日をヴァンパイアが逃すはずがない。またいつものようにひょこひょこ出てきた所を、私が速攻でボコにする、と。これで私も明日から試験休みに入る事が出来る。
それにしてもまったく、出てくるならさっさと出てくりゃあいいのに。ちょっとでも太陽があるうちは出てこないのかしら? 今日ぐらい、うっかり少し早く出てきてもいいのにさあ。ホント、時間と手間ばっかりかけさせちゃって。どうして、たかが進級でこんなに苦労しなくちゃなんないんだろう。
園内には、まだ時折人の姿がある。そのほとんどっていうか全部が、試験休みに入っている連中だ。アカデミーに来ているのは、大体がサークルやら同好会の活動の関係だ。要するに遊びに来ているのである。
そんなヤツらを見ていると、本当にイライラしてくる。人の目の前で楽しそうにしやがって。片っ端からブッ飛ばしてやりたくなる。日も暮れかけた事だし、闇に乗じてやってしまおうか? もちろん、例の犯人の仕業って事で。
と、その時。
アカデミーの真ん中に建てられている、巨大な時計塔の鐘の音だ。これは、午後六時を知らせる音だ。
もうそんな時間なの? 巡回は十時までやるって言ってたっけ。って事は、あと四時間か……。
こんな退屈な事を、あと四時間も続けなければいけないなんて。これでもし、なんも出てこないか、もしくはヴァルマ達の方で片付けられてしまったら。想像しただけでもはらわたが煮え繰り返る。
お腹空いたなあ……。
ゴーン、と十三回目の鐘の音が響く。午後六時だから十八回鳴るのだ。
それにしても、この音は空きっ腹に響くなあ……。
「休憩にしましょう」
セシアが、やや表情に疲れを見せながらも、毅然とした態度で指示する。
今日は一日中、アカデミーとその近隣の市街を捜査して回った。散々歩き回ったおかげで、俺もロイアも足腰はヘトヘトに疲れている。だが、それには比例せず、有力な情報は何一つ得られなかった。つまり、また今日も徒労に終わったのである。
あんまりセシアに言いたくはなかったが、今のような調子では、はっきり言って続けるだけ無駄である。そろそろ捜査体勢を練り直すべきだ。
確かに俺は、事件の犯人などどうでも良く、進級さえ出来ればそれでいい。けど、本気で犯人を捕まえるのであれば、現状の方法ではいくらやっても、砂漠で米粒を探すようなものだ。
捜査を始めた頃は、太陽が東の空にあったのに。今ではもう、西の空に沈みかけている。
本当に無駄な時間だ。俺が授業で居眠りするのと同じぐらいに。
「そろそろ夕飯にしないか? 腹減ったからさ」
「ですね……。では、行きましょうか」
と、またスタスタと歩き出すセシア。
ふうん、店もキミが指定するのね……。
これは俺の独断の偏見であり、とてもセシア本人どころか自分以外の誰にも言えない事だ。
俺は、どうもセシアが無理になんとか結果を出そうとしているように見えて仕方がない。一見、決断力と行動力に優れているように思えるが、その割に結果はなかなかついては来ず、また、決断した割には表情にはどこか不安の色が見え隠れしている。他にも色々あるのだが、とにかくこれらを総ずると、セシアは無理をしているのでは、という結論が弾き出される。もちろん、本人にもロイアにも、それを訊いてみる事は出来ない。これは俺の独断の偏見であり、いわゆる勝手な妄想なのだ。話す俺だって恥ずかしい。
「食事は、私が奢ります」
ふと、唐突にセシアが歩きながらそう言った。
「は? いや、別にいいって。普通はワリカンだろ」
「いいんです。理事長からは調査費用を戴いていますから。それに私は、他に使い方が分からないんです」
「ふうん……、まあ、それならいいや」
理事長のタダメシなら、遠慮する事無く食べられる。思いっきり好きなものも注文できるしな。
さて、それにしても、いつまでこんな事を続けるんだろうなあ……? とにかく、俺達で犯人を捕まえるのはほぼ不可能だ。あとは、ヴァルマのチームが捕まえてくれる事に期待するしかない。
TO BE CONTINUED...