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 翌朝。
 僕はいつも通りの時間に起きて朝食を作っていた。空腹感も普通にある。体調はいたって良好だ。
 日が昇り月が沈むと、たちまち嘘のようにヴァンパイアの鼓動はなりをひそめる。日中の発作は、驚くほど微弱なものだ。純血のヴァンパイアが持つ、太陽に弱い性質からだろう。
 僕にとっては夜が明けるのがとても待ち遠しい。月が出ている間は、いつ本能の波に飲み込まれるのだろうかという恐怖感か、もしくは、血を求めて激しく昂ぶる本能を押さえつける事で苦しむかのどちらかだからだ。
 と、その時、部屋のドアを外から誰かが叩く。この力強い音はリームだ。僕はすぐに玄関に向かった。
「おっす、調子はどう?」
「うん、大丈夫だよ。もう熱も下がったから」
「どれどれ」
 リームが僕の額に自分の額を押し当てる。
 目の前にリームの顔が接近してくる。昨日とは違う、人間の男として極普通の衝動が込み上げてくる。だが、リームは僕のそんな気持ちは全然気がついていない。あまりそういう事にはこだわらない性格だからなんだけど、もう少し気にして欲しいとも思う。
「ホントだ。問題ないみたいね」
 そう言ってリームはニッコリと微笑む。
 僕は、リームのその裏表のない所が好きだった。リームの言う事はストレート過ぎるけど、いつも自分の本音を素直に語ってくれるから、僕は気持ちに安らぎを感じる。
「ゴハン食べてく? 今、丁度作ってるとこなんだ」
「うん、食べる食べる」
 リームが僕の部屋でゴハンを食べる事はしょっちゅうある。もう僕の部屋には、自分用の他にリーム用の食器がある。
 今度は着替えやハブラシなんかが増えるんだろうなあ、とたまに考える。すぐこういう事を考えるのは、もしかしたらガイアの影響なのかもしれない。
 僕は朝食の支度の続きを始める。リームの分も作るので、もう少し材料を追加しなければ。
 リームは肉関係が好物だ。とにかく肉を食べれば、元気が湧いてくるそうである。リームにとっては自分の原動力の源なのだ。他にも生卵をそのまま食べたりもする。僕は生卵はちょっと苦手だ。一方僕は、さすがに朝はあまり肉系統のような油ものは食べたくはない。食欲がない訳ではないけど、起き抜けはやはりさっぱりしたものしか食べられない。
「そういえば聞きそびれたけど、追試の方はどうだったの?」
「大丈夫と言いたい所だけど、理事長が補修課題なんか出しちゃってさ」
「補修課題?」
「そう。なんかさ、同期生の成績のいいヤツらの使いっ走りになって、例の通り魔事件をどうこう、っての。それやんなきゃ退学だって。まったくあのクソジジイ」
 どくん、と心臓が大きく高鳴る。
 僕は慌てるあまり、割ろうとしていた卵を取り落としそうになった。
 まさか……リームは僕を捕まえにここに来た……?
 反射的に神経が鋭く尖る。自分の全神経がリームに集中するのが分かった。自分の体勢はそのままでも、すぐに行動できるように気構える。
 そして、ゆっくり魔素を吸い込み―――。
「通り魔だか吸血鬼だか知らないけどさ、そんなヤツぁ一発ガツンとかましてやりゃあいいのよ。ま、ちゃちゃちゃって済ましちゃうわ」
 後のリームが、そうケラケラと笑った。いつものリームの、楽観的な笑いだ。
「そ、そうだね」
 どうやら、僕の思い込みだったようだ。
 リームが僕を犯人だと気づいていない事にホッとした僕はすぐに緊張を解いた。
 でも、いよいよ事態は深刻になってきた。確か、魔術学科の同期生に本過程を修了した凄い人がいたはずだ。そういう人達が僕を探しているという事は、僕自身、これ以上騒ぎを起こす訳にはいかない。そんな事をしてしまったら、僕はあっという間に捕まり、おそらく治安機関に引き渡され、一生拘束される事になるだろう。もしかしたら、処刑されてしまうかもしれない。
 僕は、本当にどうしたらいいのだろう?
 とにかく、体を鎖で繋いででも次の満月の夜は乗り切らなければ。新月が近づけば、少しは衝動が収まってくる。それまでの辛抱だ。
 けど、どうしてそこまでする必要があるのだろう?
 もうアカデミーを辞め、実家に帰ってしまおうか? 実家には僕の事を知っている家族がいる。そこでなら、これ以上苦しむ事もないのだ。ヴァンパイアの血を受け継いだ事を隠す必要がないのだから。
「あーあ、グレイスはいーよねー。次の授業が始まるまで遊んでいられるんだし」
「別に遊んでなんかいないよ。次の授業に備えて、ちゃんと予習もしてるし」
 でも、やっぱり、それは嫌だ。僕は人間として生きると決めたのだ。今、ここで実家に帰るという事は、これからヴァンパイアとして生きるという事になる。それに、今の僕にはここを離れたくない理由がもう一つある。
 別れたくない。
 一緒にいたい。
 だから僕は、ヴァンパイアの本能がもたらす渇望に苦しみながらも、これまで何とか耐え抜いてきたのだ。
 アカデミーに来る時、あれほど硬く決心したじゃないか。人間として生きるという事を。
 頑張ろう。
 生まれ持った宿命なんかに、負けては駄目だ。






 なんだか、面倒な事になってしまった。
 ほんの暇潰しと思っていたのに、これほど厄介な事になってしまうなんて。
 私は、いつも一人でいたから、その分、自分のコミュニケーション能力に自信がなかった。
 けど、今回はそうもいかない。団体行動には、コミュニケーション能力は必須なのだ。むしろ、それがチーム全体の統率や能力を決めてしまうのだ。
 はっきり言って、犯人の捕縛に自信はない。自分のチームをうまく動かす自信が少しもないのだから。
 もう、ヴァルマ達に期待するしかない。
 けど、もし、捕縛に失敗したら、アカデミー側は私をどう見るのだろう?
 これまでと視点が変わるのだろうか?
 私は、今の自分の評価に満足していない。
 何故なら、私だって万能の人間ではなく、むしろ欠点だらけの人間だ。にも拘わらず、周囲の人間の評価はあまりに過剰で、私そのものの人格を塗り潰してしまいかねないからだ。
 私は天才でもなんでもない。
 一個の人間、セシア=ウィルセイアだ。
 だけど、そんな風に見てくれる人間は、私の周りにはいない。



TO BE CONTINUED...