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そして俺達は、追い出されるように理事長室を後にした。廊下に出るなり、理事長室から苦悶にうなる声が聞こえてきた。おそらく胃痛だろう。歳が歳だけに、いらん心配もしてしまう。なにはともあれ、俺の進級は確定した。胃を痛め、頬をこけさせてまで取り組んだ問題は、今こうして晴れて解決したのである。
しかし、俺の気分は未だに重苦しかった。
それは、いかに自分が非才な人間かを思い知らされたからである。
天才やら麒麟児やら白眉やらになりたいという訳ではないのだが、こうも世の中には優れた人間が、それも身近にいると思うと、はっきり言って気分が滅入ってしまう。
「さて、と。とりあえずは食堂にでも行って今後の方針を話し合おうか。自己紹介などは道すがらにしよう」
と、顔色の悪い長身痩躯の彼、ヴァルマ=ルグスがそう言った。
「ちょっと、なに勝手に仕切っている訳?」
早速リームが不愉快な顔をしてヴァルマに噛み付く。リームは人に指図されるのが嫌いなのだ。それが初対面の相手となっては、腹が立つのも無理はないだろう。これはあくまでリームの場合だが。
「はて? エル、シル、理事長は先ほど何と仰られたのだったかな?」
「さあてねえ」
「なんでしたでしょうねえ」
思わせぶりに、遠回しに嫌味っぽく微笑みながらリームを向く。知っていて、わざと言っているのだ。
「……そういう事を言ってるんじゃないわよ。こん中で、アンタが一番エライって訳じゃないでしょ?」
「はあ、なるほど。セシア、君は仕切りたいかね?」
「遠慮するわ」
セシアは相変わらず淡々とした口調でそう答えた。我関せず、と言わんばかりの態度だ。
「では、エルとシルはどうかね?」
「私達は兄様に従います」
「私達は兄様に従います」
エルフィとシルフィは声を揃えてそう答える。
この二人は、割と挑発的な言動が目立つものの、兄であるヴァルマには素直らしい。それだけ兄と仲が良いのだろう。
「だから、私がするしかない」
ニッコリ微笑むヴァルマ。そして、ゴホゴホと咳き込む。なんて底意地の悪い笑顔なのだろう。俺は心の奥でそうつぶやいた。
本校舎を出て中庭に出る。そのまま遊歩道を辿って南食堂へ。
現在はテスト休暇期間のため、昼間なのに生徒の数は極めて少ない。休みだというのにアカデミーに来るのは、よっぽど勉強熱心な物好きか、もしくはやむにやまれぬ事情のある人間ぐらいなものだ。俺達は後者に当てはまる。いわゆる不幸な方の人間だ。
「さてと。我々については、先ほど理事長が言った通りだ。私の事はヴァルマで構わない」
「あ、補足事項」
「あ、補足事項」
と、双子の二人が同時の声を上げた。
「なんだ?」
「私をエルと呼んでいいのは、兄様とシルだけです」
「私をシルと呼んでいいのは、兄様とエルだけです」
そう言えば、ヴァルマはエルフィをエル、シルフィをシルと呼んでいたっけ。
「もし、呼んだら?」
何気なく、俺はそう訊ねた。
「その時は残念ですけど」
「然るべき処置を下します」
そう言って、ニッコリと微笑む。
ヴァルマのような陰気さはなかったが、別な意味で凄みがあった。もちろん、試そうという気にはなれない。
二人は、一年目にして奥伝過程まで突入した、超がつくほどの優秀な剣士だ。そんな二人が一度に襲い掛かってきたら。想像しただけでも背筋が凍る思いだ。
「ふうん、面白そうじゃん」
するとリームは大きく息を吸い込んだ。大声で叫んでやろうというのである。
「バカ、やめろ。どうしてお前はそうすぐに」
「ああ? 誰がバカだって?」
リームが俺の胸倉を掴んだ。俺よりも小さい手のひらをしているくせに、それとは裏腹に握力は猛獣並だ。
「ちょっ、ちょっと待て! 落ち着け! 暴力では何も解決しないぞ!」
「大丈夫。痛いのは最初の一瞬だけだから」
意味を分かってて言っているのだろうか? だが、これがリームにとっては冗談でないのが恐ろしい所でもある。
「さて。非生産的な行動を取っている者は置いておいて。先に君から」
「それでは改めまして。私はロイア=リーヴスラシル。どうぞお気軽に、ロイアとお呼び下さい」
礼儀正しくロイアは挨拶する。
「よろしくね」
「よろしくね」
エルフィとシルフィは笑顔を浮かべる。先ほどのような凄みのある笑顔ではない。どうやらロイアに好感を抱いたようだ。まあ、ロイアには大抵の人間は好感を抱くだろう。
「ここに太い血管があるんだって。だから、ここを押さえると、意識が一時的に喪失するの」
リームの指が俺の首にかかり、そのままギュッと締め付けてきた。まるで万力にかけられたかのような錯覚を覚える。
「いだだだだ! それじゃあ、単なる力技だろうが! ぐああ! 先に窒息する!」
「すれば?」
リームは平然と言ってのける。しかも目が笑っている。
窒息ぐらいでは死なないと思っているのだろう。だが、頚椎やら血管やらにダメージを負えば、意外と脆く人は死ぬ。
幾ら腕を振り払おうと抵抗しても、リームの腕はぴくりともしない。その前に、段々と俺の頭が破裂しそうな圧迫感を覚え始めてきた。
「さて、そこの顔面が鬱血している君」
「ガ、ガイア=サラクェルだっ!」
「ガイアと呼んでもいいかね?」
「いいから、助けてくれ!」
そんな俺に、平然とした様子でヴァルマが問い掛けてくる。こちらは会話どころではないというのにだ。
ヤツの目には、俺の危機的状態が映っていないのか!? くそっ、なんてヤツだ……。
「リーム、そろそろ」
と、その時、ロイアが背後からリームの肩を叩いた。
「もうちょっとだけ。今、面白いトコだから」
そう言ってリームは肩を振ってその手を振り払う。
「リーム」
ロイアの手が、俺の首を締めるリームの腕を握り締めた。そのまま無言でギリギリとリームの腕を握り締める。たちまちリームの表情が青ざめていった。唖然とした顔でロイアの顔を見つめる。リームが驚くほどの力で握り締められたのだろう。もしかしたら昇華を使って握力を強化しているかもしれない。
「わ、分かったわよ……やめるわよ」
「仲良くしましょうね」
俺の首から手を離したリームに、ロイアがニッコリと微笑む。相対するリームの顔には、僅かに驚きと狼狽の表情が浮かんでいた。
ようやく俺は自由に呼吸が出来るようになり、咳き込みながらも思う存分新鮮な空気を吸い込んだ。
それにしても、あのリームが萎縮するなんて。ロイアは意外と迫力があるんだな……。
「あ、そうそう。最後は私ね。リーム=タチバナ。よろしく」
「リームは格闘技科だったね。という事は、腕力にはさぞや自信があるのだね?」
「もちろん。はっきり言って負けなし!」
ヴァルマにそう問われ、リームはむくむくと自信を回復したかのように元気になっていく。リームにはそれしか取り得はないが、その取り得が人並はずれているのだ。唯一の武器が、とんでもなく強いのである。
「ははあ。これはさぞや重宝しそうだ」
「任せなさい。通り魔の一人や二人、私にかかればちょちょいのちょいよ」
ふふん、と得意げに胸を張る。
いや、違う。ヴァルマは違う意味で言ったのだ。だから重宝という言葉を用いたのだ。おそらく、荷物持ち、もしくはそれに準じた意味合いで用いたのだろう。いや、十中八九、間違いない。
「あれ?」
唐突にリームが声を上げた。俺もリームが向いている方に視線を送る。通りの向こうに人影を見つけた。だが、やけに足元がふらついている。
「あいつは……」
グレイスだ。
普段から生白い顔をしているが、今はそれが更に白さを増している。飛び出していったリームを、俺もすぐに追いかける。
「グレイス? どうしたの?」
「あ、ああ……リーム」
随分間近で声をかけられ、ようやくグレイスはリームに気づいたようだった。グレイスの視線はやけにうつろだ。意識が朦朧としているのだろうか。手にした本も重そうである。
「彼は?」
やや遅れて歩いてきたヴァルマがそう訊ねる。
「友人のグレイス=ハプスブルグっていうんだ。魔術学科に籍を置いている」
「ふむ。なにやら顔色が優れないが?」
咳混じりにヴァルマが言う。思わず心の中で、お前が言うなってと突っ込んでしまった。
グレイスの顔には冷や汗がふつふつと浮き出ている。どう考えても、暑くてかいているような汗ではない。あれだけ汗をかいているのに、顔色は逆に青白い。
「ん? 熱でもあるの?」
リームがグレイスの前髪をかきあげ、あらわにした額に自分の額を押しつける。
「うわ、凄い熱!」
「大丈夫だよ……」
そう言ってグレイスが微笑んで見せる。だがその頼りなげな笑顔は、どう考えても無理にしているようにしか見えない。
「何言ってんのよ、まったく。ちょっと、悪いけど私、これからグレイスを部屋まで送っていくから」
リームは構わず、ぐいっとグレイスの腕を自分の肩に回し、自分の腕を反対側のグレイスの脇の下に通して体を支える。
「了解した。必要事項は後でガイアを君の部屋によこそう」
って、なんで俺になるんだよ……。
反論しようと口を開いたその瞬間、エルフィとシルフィの有無を言わさぬ視線が突き刺さってきた。
僕のすぐ隣にリームの体がある。
ふらつく足取りの僕を支えるため、肩を貸してくれながら歩いている。
この密着感。
僕は、普段とは違う意味で辛かった。
リームの体を駆け巡る血潮の鼓動がはっきりと伝わってくる。その心地良いリズムに、僕の中の情欲が激しく暴れる。
今、僕は、渇いて渇いて仕方がないのだ。
ヴァンパイアの本能。
猛り狂うそれが、しきりに求めているのだ。
リームの体内を流れる血液を。
僕はその衝動を抑えるのに必死だった。
何が何でも、リームだけは傷つけたくなかったのだ。
リームは、僕にとって大切な人なのだから……。
TO BE CONTINUED...