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「お? グレイスじゃん」
講義が終わり、校舎から出たその時。一人の少女が近づいてきた。
リームだ。
「あ、リーム。今日はみんなはいないんだ?」
「あのね、いつまでもあんな取り巻き連れてたら、いい加減バカに思われるでしょう?」
「それもそうだね」
と、僕は微苦笑。
リームは入学して一週間ほどで、格闘技科の新入生を全部シメたらしい。そのせいで、リームには千人近い手下がいる、とか、百人くらい行方不明にしている、とか、そんな噂をたまに耳にする。
その信憑性は疑わしいものだけど、少なくとも、リームと歩いていると、時々格闘技科らしき人が会釈して道を空けるのは事実である。
「今日はもう授業は終わり?」
「うん。そろそろ基本授業期間も終わりだしね。期末テストの対策講習ばっかりなんだ」
今日の講義にガイアは出てこなかった。今日は部屋で自分で勉強するって言っていた。
「うげ……そういや、格闘技科にもペーパーテストがあったんだった……ユウウツ」
表情に影を落とすリーム。
ガイアの話だと、リームは文武両道という言葉には程遠く、どちらかと言えば体ばかり鍛えていた方なのだそうだ。それなので、ペーパーテストは苦手なのだろう。
「じゃあ、メシ食べに行かない?」
「うん、いいよ。何を食べに行く?」
「肉!」
二人連れ立ってアカデミーを後にする。
既に夕暮れに差し掛かり、日の落ちるのが早いこの季節、辺りの景色が薄暗くなってきた。
都会は夜でも昼間のように明るい。僕の住んでいた所では、とても考えられないようなきらびやかさだ。ガイアは随分順応したみたいだけど、僕は未だに慣れない事の方が多い。やっぱり、僕が社交的な性格ではないのが原因だと思う。
「格闘技科って、座学の授業は何をするの?」
「人体組織について、とか。経絡、秘孔、急所、なんてのやってるの。もう、退屈で退屈で。まったく、私は医者になりたいんじゃないっつーの。グレイスんとこは?」
「魔学基礎、神学、流体力学、超心理学、神秘学に後は―――」
「いいわ……。なんか、聞いてるだけで頭痛くなってきちゃう」
「そうかなあ」
「ま、グレイスも魔術だか奇術だか憶えて、ちったあ強くなったか?」
「憶えたって言っても、まだ基礎だけだよ。これから属性資質検査をするし」
僕達は基礎過程を終え、一応は魔術師として見習いレベルまでは来ている。魔素の取り込み方や、イメージを与えて放出する方法も実習で習った。魔術の、本当に基礎中の基礎は出来る事になる。というより、今度の期末テストは、ペーパー試験の他に、実技課題もある。テストは勉強すればなんとかなるけど、実技はいまいち自信がない。
「ふうん、なんだかよく分かんないけど、まあガンバレ」
アカデミーを出て繁華街に入った二人は、よく行く焼肉店へ入った。料金が固定制の、いわゆる食べ放題の店だ。ただし、飲み物は別料金となる。
「まずはカルビ、カルビ。モツもいいわね。タンもいっとくかな。あとはビール」
「ねえ、また飲むの?」
この国では、飲酒は18歳以上と定められている。しかし、僕達はまだ16歳だ。本来なら補導の対象となる。
「大丈夫だって。16も18も大した変わんないわよ。そう簡単に補導なんてされないわ」
「いや、僕が言っているのはそういう事じゃなくて」
問題は量なのだ。
いつもリームは泥酔するまで飲むのである。それで毎回僕が部屋まで送っているのだ。
「うっさいわねえ。ほら、グレイスも付き合いなさいよ」
勝手に僕の分まで注文する。僕は断れない性格なので、こうやって毎回リームにつき合わされてしまう。
とにかく、自分まで潰れないように気をつけておかないと。二人揃って酔いつぶれてしまったら、大変な事になる。
「さって、次は何を食べようかな」
一杯目のビールを飲み干しながら、品書に目を通す。
リームは瞬く間に一人前の肉を平らげてしまった。僕はまだ、その半分も食べていない。
もう、何度もリームとはゴハンを食べているが、今でもリームの食欲には驚かされる。一体、あの体のどこにあれだけの量が入っていっているのだろうか?
リームに急かされ、僕も一杯目のビールを飲み干す。ふわーっとした感覚が込み上げてくる。だけど、まだそれほど酔うとまではいかない。そこそこ余裕は残っている。
「あ、そこ焼けてるよ」
「うん」
大分満腹感が出てきた。かなり食べたのだが、リームはまだまだ半分といった感じだ。
「僕はそろそろシメに入るよ」
油の多いものばかり食べたので、そろそろ雑炊とか当たりの柔らかいものを食べて終わりにしよう。
「もう? 食欲でもないの?」
「そんな事ないけど……」
リームが食べ過ぎなんだよ。
けど、さすがにそんな事を言うのは失礼なので、とても口には出せなかった。
「う〜、ぐるぐるぅってしてる」
ヘラヘラと笑いながら歩いていく。
これ以上は呑ませたらまずい、という所で、なんとか店から出る事が出来たが、さすがにこの様子では、一人で部屋まで帰れるかどうかは心配である。それに、またどこか別の店で呑もうとする可能性だってあるのだし。
「リーム、飲み過ぎだよ」
「まだまだ飲めるわよ」
「駄目だって。もう、こんな調子で呑んでちゃ体を壊しちゃうよ」
「大丈夫よ、私って頑丈だもん」
そういう問題ではないのだけれど。
いや、たとえそうだとしても、内臓の負担というものは誰でも一緒のものだ。こんな呑み方をしていたら、すぐに肝臓を悪くしてしまう。
「それとも、心配してくれてるう?」
突然、がばっと肩に腕を回してくる。
思わずドキッと僕の心臓が高鳴る。
「ま、まあ、一応は……」
酔っているせいだ。
そうは思ったけど、やはりドキドキせずにはいられなかった。
「フフフ。私ねえ、グレイスのそういう所、好きだなあ」
「……え?」
「ねえ、私みたいに粗雑な女って好きじゃない?」
「え? あ、いや、その、そういう訳では……」
まじまじと覗き込まれ、僕は思わずしどろもどろになる。
間近にあるリームの顔は、酔っているため赤く紅潮している。
僕は気恥ずかしくて直視できず、視線を下にそらす。
と、リームが僕の肩から腕を離す。
「あ〜あ、私、なんか酔ってるなあ。今のは何でもないからさあ、忘れていいよ〜」
五歩ほど先を歩きながら、くるくると回る。
リームがあんな事を言ったのは酔っているせいだからだろうか?
たとえ酔った勢いでも、『好き』と言われたのは初めての事だ。
なんだか、不思議と僕は浮き足立ってきた。
僕は、リームが好きだった。
これまでずっと僕は、それは片想いだと思っていた。
リームは格闘技科では、その強さがゆえに有名になっている。けど僕は、強いどころか見た目からして弱そうだ。
釣り合うとかどうとか考えた事はないけど、リームはきっと自分より強い男の人が好きなんだろうなあ、とずっと思っていた。それだけに、この時のリームの言葉に僕は胸が高鳴って止まなかった。
僕はリームとの距離を、今よりもっと近づける事ばかり考えるようになった。ほのかな片想いが、いよいよ真剣な確固たる激情に変わってきたのだ。
リームが好き。
だから僕は、どうすれば距離を縮められるのか、一生懸命に考えた。
来る日も、来る日も。そればかりを。
だけどそんな時の事だった。
上京する前に、父が僕に言った言葉。
「私達は、人間社会には相容れない存在だ。それだけは忘れるな」
この意味を、今一度思い知らされる事になったのは。
TO BE CONTINUED...